私にとって鍵を渡されることは、認められたような、特別なことです。歌手を目指し、18歳でジャズやライブミュージックがさかんなニューヨーク(NY)に渡りました。10年以上暮らして、メンズの洋服屋さんで働いていました。
ある日、その店の鍵を渡されたんです。すごくうれしかった。NYの人って人のことを信用するまでに時間がかかるし、上っ面の付き合いはしない。だから、鍵を預けてもらうくらい信用された若かりし頃の自分をずっと覚えておきたくて、その鍵は今もまだ持っています。もうその店はないし、その鍵で開けられる扉はないんですけれど。
JUJUとして活動していけるかまだわからなかった頃、あの洋服屋さんは私の逃げ場でした。あるときそのことを指摘され、洋服屋さんは辞めないといけないなと思いました。社長に伝えたら、「いつでも帰ってきていいよ」と言ってくれました。あのとき辞めたことによって、ちゃんと歌手というものに向き合えたと思っています。
NYで最後に住んでいたアパートの鍵も、今も私のキーチェーンについています。簡単に合鍵が作れるタイプで、特別なものではないんです。重いから外した方がいいと思うんですけど、思い出としてずっとはずせないんですよね。
NYは生きることを教えてくれた街でした。以前は人の目をものすごく気にしていました。でもNYで「人の目を気にすることってそんなに大事?」と問われた気がして。この人生に責任をもてるのは自分だけだし、自分の人生の速度を誰かに決めさせてどうするのって。
NYの人たちは、いい意味でものすごくわがままに生きています。でもそれで成り立っているのは、みんなが自分のことに責任と自信をもっているから。そういうことを教えてくれた街だから、忘れたくないから、鍵を持っておきたい。いろんな意味で私の中でずっと閉じていた心の鍵をあけてくれたのもNYでしたから。
1年前に「鍵穴」という曲の入ったカバーアルバムを出しました。この曲は、大好きな松任谷正隆さん、松任谷由実さんにプロデュースしていただきました。
ユーミンは、子どもの頃から、大人たちの繰り広げるアーバンな悲喜こもごもの世界に連れて行ってくれました。大人になってもユーミンを聴くというところから一度も離れたことはなかった。NYでもそばにあったし、コンサートでも歌い続けていました。
あるとき、由実さんにラブレターを書いたんです。直接お会いする機会が何度あっても、私が育ってくる中で、どれだけお世話になったのかをきちんと伝えたことがなかったので。その後思い切って正隆さんと由実さんにお願いに行き、ユーミンが書いてくれた曲を歌いたいという、ずっとあたためていた夢を伝えました。
そうしてある日、ピアノで弾いたメロディーラインが送られてきたのですが、聴いた瞬間、鳥肌と涙が止まらなくて。
そのあと、今度は由実さんが電話越しに、冒頭の「あなたの鍵でしか開かない 汚れた部屋の隅で」と歌ってくれたのを聴いて、泣けました。あなたの鍵でしか開かない場所に、私はあなたに閉じ込められてしまったという状況って、ものすごく狂おしい。健全な関係ではないかもしれないけれど、その人じゃないといけないという狂おしさは、JUJUがずっと歌ってきた主軸の部分だったからです。
鍵や鍵穴って、誰でも手にできるものじゃない、ものすごくインティメントな世界のもの。特別な誰かとシェアするものだと思います。「鍵穴」の世界観で言うと、甘美な世界に連れて行ってくれるための道具。
鍵がぴったり合う鍵穴を自分と相手が持っているかどうかってものすごく狭い世界の、でも狭いからこそ甘いし、甘いけれど苦しいかもしれない。だからこそ、そういうところに行くために、絶対必要だと思います。
この曲のおかげで、いろいろ悩むこともあったけれどこれまでの道は決して間違っていなかったんだと思えました。これからも聴いてくださるみなさんにとって、そんな鍵だったり「鍵穴」からのぞいてみたくなったりする存在でいたいと思っています。