■NYで飛び込んだ教室での出会い
千葉県の高校に通っているとき、劇団に入りました。引っ込み思案で人前で話すのも苦手だったのですが、劇の間は「自分以外の人間になれる」ことに魅力を感じたからです。大学でも演劇を専攻し、卒業後に劇団青年座の研究生にもなりました。
当時、演劇界は上下関係が厳しく、練習の後によく飲みに行くのですが、私はお酒が飲めないこともあって人間関係に息苦しさも感じていました。1996年、ミュージカルや演劇が盛んなニューヨークに渡りました。
ダンスや歌の教室、そして英語のセリフを話さなければならないので発音矯正教室に通う日々。2年間の学生ビザも切れ、会社を設立して就労ビザをとりましたが、とても演劇で稼げるようにはなりません。行き詰まりを感じていたある日、日本の劇団時代に学んで興味があったパントマイムをやりたいと思い立ち、ネットで「パントマイム ニューヨーク」と検索、表示されたパントマイムの教室に飛び込みました。そこの先生が、世界的にも有名なグレッグ・ゴールドストンさんで、運命的な出会いとなりました。
パントマイムは「そこにないものを見せる」世界です。体と表情だけで、様々なシチュエーションやストーリーを表現します。体や顔の筋肉でジェスチャーや表情をつくることで、楽しいとか悲しいといった感情が、見ている人に伝わります。そうした表現をするには、目をどう使うかが重要です。
先生は天才肌で、当然のようにできるけど、それをうまく説明できない。私は先生の筋肉の動きを分析してコントロールする方法を研究していましたので、それを他の生徒に説明することができました。それで先生に気に入られ、半年後には助手に抜擢されました。
それから一緒にパントマイムのストーリーをつくって公演するようになりました。ニューヨークの「リンカーン・センター」などで公演を年に4、5回開いていましたが、昨年からの新型コロナウイルスの感染拡大ですべて中止になってしまいました。
先生とは公演だけでなく、イタリアやドイツ、ポーランドなど欧州でのワークショップでも一緒に教えています。パントマイムアーティスト以外にも、コメディアンや俳優、フィギュアスケーター、歌手の人たちに、手足の使い方、しぐさや表情のつくり方を教えています。コロナ禍でそれもリアルではできなくなりましたので、オンラインで続けています。
■ネイティブの口元を見て分かった発音のコツ
24歳でニューヨークに来たときは、ほとんど英語が話せず、赤ちゃんのような状態でした。発音教室にも通いましたが、英語が母国語の先生には、なぜ日本人がその発音ができないのか分からない。だから日本人の生徒はほとんど挫折してしまいます。
同じように私もうまくいかず悩んでいました。発音教室に通いはじめて4年ぐらいたったころ、早口言葉の練習をしていて、早く話すためには筋肉を緩めることが必要だと気づきました。ダンスで脚を早く動かすためには筋肉を緩めないといけないことを思い出したのです。
米国人の口元の動きを注意深く見ていると、あごの筋肉がゆるんで下がり、口角は上がって、広がった舌がしなやかに動いていることに気づきました。日本語を発音するには、あごの下の筋肉が収縮し、舌の付け根の筋肉も硬くなって、のどがしまっている状態です。英語の発音を矯正するには、その日本語用の筋肉を矯正する必要があるのです。
パントマイムと同じように筋肉の動きを分析してメソッド化することが、英語発音矯正でも生きました。06年からは日本人向けの教室を始めました。口周りの筋肉をゆるめる英語発音法「スライドメソッド」を紹介する本を18年7月に出版しました。コロナ禍で対面授業はできなくなりましたが、19年から始めたオンライン教室の生徒は増え、今は200人以上の生徒が世界中にいます。ネットで世界はつながっているのを実感しています。
■ハドソン川を渡って散歩
1996年からニューヨークに住んでいます。2001年9月11日の米同時多発テロのときはマンハッタンにいて、航空機2機が激突した世界貿易センタービルから煙が上がっているのを見ました。携帯電話を片手に走っている人、泣きながら右往左往している人……。救急車や消防車のサイレンが鳴り響き、多くの人たちが街にあふれていました。
04年から1年余りはパリに行き、パントマイム界の巨匠マルセル・マルソーさんの学校で教えていた先生からパントマイムを学びました。パントマイムのツアーで共演したことがきっかけで、06年に米国籍をもつ日本人ジャズピアニストと結婚し、ニューヨークに戻ってきました。
コロナ禍でパントマイムの公演は軒並み中止に追い込まれました。舞台がない状況では、パントマイムで体を動かすことはオフの遊びのようなものになっています。米国内や欧州への旅行にもよく行っていましたが、やはりコロナ禍で行けなくなってしまいました。
マンハッタンのミッドタウンに住んでいます。今年に入ってコロナ禍に加え、近所でアジア系の人が襲われるヘイトクライム(憎悪犯罪)が立て続けに起こり、怖くて外出できない時期もありました。最近はコロナのワクチン接種も広がり少し落ち着いてきましたので、休みの日には散歩しています。ただ、14歳の息子は反抗期で一緒に出かけてくれなくなりましたので、一人でハドソン川をわたってニュージャージー州まで行っています。(構成・星野眞三雄)