アメリカにおびえる北朝鮮
韓国軍の合同参謀本部によれば、2月18日に発射されたミサイルは平壌近郊の順安から日本海に向け、約900キロ飛行した。防衛省によれば、ミサイルは北海道南の渡島大島から西側に約200キロ離れた日本の排他的経済水域(EEZ)内に落下した。
浜田靖一防衛相はこの日、ミサイルが米国本土を射程に収めるとの考えを示した。防衛省によれば、20日の多連装ロケット弾はそれぞれ約400キロ、約350キロ飛行した。
浜田氏の分析通り、18日のミサイルは米国が韓国に約束した「核の傘」を破るための手段だろう。米国本土を狙うICBMがあれば、米国は報復を恐れて北朝鮮を簡単に攻撃できなくなる、という計算だ。
米国は最近、韓国で盛り上がる「核武装論」を警戒。オースティン国防長官を韓国に派遣するなど、「北朝鮮が韓国を核攻撃すれば、米国は必ず北朝鮮に報復する」と強調することに躍起になっていた。米韓は19日、戦略爆撃機などを交えた合同空軍演習をおこなった。今月22日、「核の傘」を含む拡大抑止の運用についての演習も行う。来月には大規模な野外機動演習も控えている。
北朝鮮外務省報道官は17日、米国が国連安全保障理事会で北朝鮮問題を取り上げる動きを示したことについて「米国の一方的な対朝鮮圧迫の道具に変質した安保理に対する抗議として、通常の軍事活動範疇以外に追加的な行動措置を再考せざるを得ない」と警告していた。今回のミサイルは「追加的な行動措置」だったわけだ。20日のロケット弾は、19日の米韓演習への対抗手段だという。それほど北朝鮮の米国に対するおびえ方は尋常ではない。過去をみても、その「おびえぶり」がよくわかる。
1976年、板門店で北朝鮮軍兵士が米軍将校を殺傷した。米軍が朝鮮半島近海に空母などを派遣すると、金日成主席は遺憾の意を表明した。1994年に米国が北朝鮮各施設の限定爆撃を検討するや、金日成氏はカーター元米大統領を平壌に招き、核開発で妥協する動きを見せた。
2018年の米朝首脳会談の背景には、トランプ政権が検討していた「鼻血作戦」と呼ばれる、北朝鮮への限定的武力行使の動きがあったとされる。今回のミサイル発射も、たとえは悪いが「おびえる犬ほどよく吠える」を地で行く動きだと言える。
金与正氏、強硬発言の背景
そして、その米国に対する先兵役を任じられているのが金与正氏だ。朝鮮中央通信は20日、米軍の動きに反発する与正氏の談話を発表した。与正氏は「情勢を激化させる特等狂信者らにその代償を払わせる」と脅し、「太平洋をわれわれの射撃場に活用する頻度は、米軍の行動の性格次第だ」と警告した。ICBMを太平洋に撃ち込むぞ、と脅しているわけだ。
与正氏は18日付の談話でも、米韓両国による拡大抑止力などを巡る動きを「米国とその追従勢力のあくどい行為」とこき下ろした。韓国に対しては「愚か者であるので悟らせてやるが、ICBMでソウルを狙うことはないであろう」と挑発した。
かつて、米朝や南北などの舞台で、ひざ上丈のフレアスカートなどで優雅な印象を振りまいた与正氏の面影はそこにはない。文在寅政権で外交を担当した元高官は「与正は米朝や南北協議で失敗した責任を取らされている。更迭を許された代わりに、強硬派の代弁者をやらされている」と語っていた。
確かに与正氏が「豹変」したのは、米朝協議が破綻した後、2020年6月の南北連絡事務所の爆破を予告した談話からだった。談話には下品な言葉が並び、挑発めいた口調が増えた。この頃から、北朝鮮の公式メディアが伝える写真や映像での扱いが変わっていった。
爆破直後の2020年7月、平壌の党庁舎で行われた主要指揮官への記念拳銃授与式では、与正氏は正恩氏の横で拳銃を渡す手伝いをしていた。その後は、同じ目線の位置にいることが少なくなっていった。
昨年末の党中央委員会総会拡大会議でも、今年2月8日の軍事パレードでも、与正氏がいたのは、正恩氏が着席している場所から遠く離れた、一般の部下と同じ位置だった。位置づけが「兄妹」から「指導者と部下」という関係に変わっていることを意識させる演出だと言える。
そして、その代わりに登場したのが、正恩氏の娘キムジュエ氏だ。昨年11月のICBM実験の際に初登場したジュエ氏は父の横の位置を独占した。かつてその場所にいた与正氏は、他の幹部たちと一緒の写真だけで、正恩氏と並んだ写真はなかった。
キムジュエ氏は2月17日に行われたスポーツ大会の観戦に至るまで計6回、父親と並んでメディアに登場した。父親と並んだ記念切手も発行された。かつて最高指導者の親族では、金日成主席の母、康盤石氏や弟、金英柱氏が切手に登場したこともある。しかし、業績もなく公職にも就いていないジュエ氏が切手に登場したことは異例と言える。
では、なぜこうした事態が北朝鮮で進んでいるのか。北朝鮮の高位層「赤い貴族」たちは、指導者として、金日成の血族である「白頭山血統家門」が必要だ。健康に問題があるとされる金正恩氏の体調も考え、「スペア」をたくさん準備しておきたいのだろう。2021年1月の党規約改正で、最高指導者の代理職を努める「第1書記」のポストを作ったのも、その一環だ。
ただ、スペアたちには「王位継承順位」とも言える序列が必要だ。序列がないと権力闘争が起きる。金正日氏はかつて、権力闘争のライバルたちを「キョッカジ(脇枝)」と呼び、すべてなぎ払うように命じた。
この闘争のため、金英柱氏は長期間、中朝国境近くでの幽閉生活を迫られ、金正日総書記の異母弟、金平日氏は1979年から40年もの間、欧州各国を外交官として流浪する生活を送った。金正恩氏の叔父、張成沢氏に至っては2013年に処刑された。
今回の動きの背景に、どのような思惑が働いているのか、詳細は不明だ。我が子、キムジュエ氏の将来を案じた母、李雪主氏の働きかけかもしれない。
あるいは、党宣伝扇動部副部長を務める金与正氏とその側近たちと敵対する勢力の策謀かもしれない。今後、北朝鮮のロイヤルファミリーにどのような変化が起きるのかは、まだ見通せない。