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罵詈雑言が消え、ポエム調になった金与正談話 米韓演習に報復できない北朝鮮の事情

北朝鮮インテリジェンス 更新日: 公開日:
6月29日に開かれた党中央委政治局拡大会議で討論する金与正氏(左下)=朝鮮中央通信ホームページから

北朝鮮の金与正朝鮮労働党第1副部長が1日、談話を発表した。今月行われる米韓合同軍事演習を牽制する内容だが、興味深いのがその論調だ。昨年6月、南北連絡事務所の爆破を予告したときのような「罵詈雑言」は消え、叙情的な表現を入れた。北朝鮮の研究者や韓国政府の元高官らは、この表現の変化は北朝鮮の苦しい内情を示したものだと解説する。米韓は規模を縮小したうえで演習実施を決めた。研究者らの指摘が正しければ、北朝鮮は強力な報復措置には出てこないはずだ。与正氏が10日に発表した新たな談話も批判のトーンこそ上がれど、具体的な挑発行為には触れていない(牧野愛博)

金与正氏の1日の談話は、ポエムのようだった。「現在のような重要な反転の時期に行われる軍事演習……」と、語尾に余韻を残して相手の反応をうかがうような表現があった。「北南関係の前途をいっそう曇らす好ましくない前奏曲」という比喩もあった。最後は「希望か、絶望か? 我々が選択をするわけではない」という言葉で締めくくった。まるで映画かアニメのタイトルのようだ。

与正氏は昨年6月の談話で、韓国に住む脱北者らが金正恩総書記らを非難するビラを風船につけて北朝鮮へ飛ばしたことを非難。「家の中の汚物」「くずの茶番劇」などの激しい言葉を使った。今回は、全く好対照の表現だ。

北朝鮮に向けて飛ばす風船に結びつけられた垂れ幕。「世界最悪3代独裁を終わらせよう」と書かれている =2011年12月、東岡徹撮影

関係者らによれば、北朝鮮にも、政府の談話や要人の演説を作成するライターたちが、様々な部署に存在する。20187月に北村滋・内閣情報官(当時)と接触した朝鮮労働党統一戦線部の金聖恵統一戦略室長(当時)も、労働新聞に政論などを寄稿するライターだった。表現力を買われ、統一戦線部幹部に抜擢されたという。

そして、外交を統括している金与正氏のもとには、外務省や統一戦線部ら関係者を選抜した常務組(タスクフォース)が結成されている。ロイヤルファミリーである正恩氏や与正氏の名前を使う場合、実務者らによる提案ではなく、正恩氏やその側近たちの指示で談話作りがスタートする。韓国政府の元高官は「与正氏も出席した常務組の会議で方針を決めたうえで、ライターに談話を作らせる。最後は金正恩氏がサインしているはずだ」と語る。

では、なぜ今回は「ポエム調の談話」になったのか。

元高官によれば、北朝鮮の談話や声明は、昨年6月の金与正氏の談話のように、自分たちの要求をむき出しにする「直線的な表現」を使うケースがほとんどだ。19943月の南北接触の際、北朝鮮側代表が「ここ(板門店)からソウルは遠くない。ソウルは火の海になるだろう」と発言したこともある。今回、与正氏が談話で示したような余韻を多く残す表現は異例だという。

元高官は「本来の北朝鮮なら、もっと強い言葉で脅迫するはずだ。与正の口調が例外的に柔らかいのは、国内情勢が厳しいからだろう」と分析する。

北朝鮮は新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための国境閉鎖措置が長引き、経済活動が落ち込んでいる。韓国の情報機関、国家情報院は83日、国会情報委員会に「昨年の北朝鮮産業稼働率は、石炭輸出中断、鉱山浸水、原材料不足などで、例年より5%少ない25%に過ぎなかった」と報告した。金正恩氏も6月の会議で「人民の食糧事情が緊張している」と認めた。

中朝国境を流れる川の中国側の河畔に掲げられた両国の国旗=2019年10月、遼寧省丹東、平井良和撮影

北朝鮮が727日に南北通信線復旧に応じたのも、「来年5月、文在寅政権と同様に北朝鮮に理解がある新政権を誕生させると同時に、米国との対話の一歩にしたい意図があるからだろう」(専門家の1人)という見方が出ている。

関係筋によれば、韓国の文在寅大統領と金正恩氏が4月に親書外交を始めた契機は、文氏が5月の訪米を控えて「バイデン米大統領に伝えたいことはないか」と正恩氏に打診したことだった。正恩氏がバイデン氏宛ての親書を送る考えがあれば、文氏がその仲介をする考えもあったという。

83日の国情院による国会報告によれば、北朝鮮は米朝対話に応じる条件として、鉱物資源の輸出のほか、精製油と幹部に配給するための高級洋酒や高級衣服の輸入を認めるよう求めている。米政府は「無条件での対話」を呼びかけている。北朝鮮としては対話の雰囲気を高め、米国内で「米朝対話に応じるべきだ」という声を大きくしたい思惑があるのだろう。

演習中止を巡って激烈な反応を示せば、逆に米韓両国の反発を招き、通信線復旧に応じた戦略を自ら白紙に戻すことになる。

2015年3月に慶尚北道浦項市の海岸で行われた米韓合同軍事演習での上陸訓練=東亜日報提供

ただ、北朝鮮もいくら国内事情が厳しいからと言って、金正恩氏の唯一の成果だと位置づけてきた米韓演習の縮小という約束を白紙に戻す米韓の行動は傍観できない。韓国政府の元高官も「金正恩が米朝首脳会談で得た唯一の成果が、米韓合同軍事演習の規模縮小だった。来年5月の韓国新政権発足を前に、この成果を既成事実化したい狙いがあるのだろう」と語る。

むしろ、通信線復旧に応じた後だけに、米韓演習まで黙認すれば、北朝鮮軍部や市民から「我々に自力更生や正面突破戦を強要しておいて、米国にすり寄ろうとする指導部は弱腰だ」といった不満が出かねない。

米韓軍事演習は10日から13日までに事前訓練、16日から23日まで本訓練が、それぞれ行われる。米韓関係筋によれば、韓国軍は予定者の一部に不参加の指示を出し、夜間演習を取りやめるなど、規模を更に縮小する一方、演習自体は実施するという。関係筋の1人は「すでに8月初めに、米韓両軍幹部が参加して演習のシナリオを討論する会議も開かれていた。米軍の立場もある。今さら中止できないことは、北朝鮮もわかっていたはずだ」と語る。

金与正氏が談話で異例とも言える柔らかな表現を使ったのは、こうした北朝鮮の、本音と建前の板挟みになった苦しい状況の反映だったと言えそうだ。

金与正氏は10日、「米国と南朝鮮(韓国)軍はついに情勢不安定をさらに促進させる合同軍事演習を開始した」「必ず代価を支払うことになる自滅的な行動だ」などとする新たな談話を発表した。「国家防衛力と強力な先制攻撃能力をさらに強化する」とし、「南朝鮮当局者の背信的な行為に強い遺憾の意を表明する」と表明したが、核実験や弾道ミサイル発射などの具体的な挑発行為には言及しなかった。

北朝鮮は11日にも、米韓両国を非難する金英哲党部長の談話を発表した。口調こそ激しいものの、具体的な措置への言及はなく、「我々は、我々がすべきことを間断なく行っていく」といった抽象的な表現にとどまった。

韓国政府の元高官は、こうした状況を踏まえて「演習が実施されても、北朝鮮は、いましばらく様子を見ようとするだろう。本来なら短距離ミサイル程度を発射してもおかしくないが、それでは全体の戦略が狂ってしまう」と語る。元高官は北朝鮮は少なくとも、今年の党創建記念日(1010日)の時期まで、米韓両国が更に譲歩するかどうかを見極めるだろうとの見方を示した。

北朝鮮研究者の1人は先週、「ミサイル発射よりも、通信線を再び断絶する程度にとどめるのではないか」と語っていたが、果たして北朝鮮は10日午後、韓国側の呼びかけに応じなかった。今後もこうした揺さぶり程度にとどまる可能性が高い。

そして、北朝鮮が見極めたいのは、米国が譲歩するかどうかであって、韓国を交渉相手に見据えているわけではない。韓国政府が期待する南北関係の更なる発展や首脳会談の実施は簡単ではなさそうだ。

文在寅大統領は4日、米韓合同軍事演習の実施について「様々なことを考慮して、慎重に協議せよ」と、徐旭国防相に指示していた。韓国政府内では、演習の更なる縮小を実現したことで、北朝鮮が南北離散家族の面会事業や人道支援協力に応じるのではないかと期待する声も出ている。

しかし、「強い遺憾の意」を表明した北朝鮮が、韓国との交流拡大に簡単に乗り出すとは考えにくい。金正恩氏も19年秋、韓国からの支援を受けた金正日総書記時代の政策が誤っていたとの考えを示している。

米国務省などは最近も、「無条件での米朝対話」を改めて唱え、北朝鮮の非核化措置がない限り、制裁を維持するという立場を維持している。国際社会と北朝鮮との緊張した関係は、当面続くことになりそうだ。