日本のインターナショナルスクール 成り立ちさまざま、法的定義なく位置づけあいまい
外国人だけでなく、海外で暮らした経験のない日本の子どもたちの通学も増えている。
だが、日本におけるインターの位置づけはあいまいだ。
日本でのインターの歴史は、港町・横浜から始まった。
外国人墓地などがあり、異国情緒あふれる山手地区。昨年12月初旬、横浜市中区のサンモール・インターナショナルスクールでは、子どもたちがクリスマスコンサートの準備に余念がなかった。約400人が入る講堂で、舞台の上がり方やお辞儀の仕方など所作を確認。歌や楽器演奏の出来栄えもチェックしていた。
同校は、1872(明治5)年、フランス人の修道女によって設立された。日本だけでなく、アジアにあるインターの中で最も古い。学制発布と同じ年で、日本の近代学校制度と同じ年月を重ねてきたことになる。海外の貿易商や外交官の娘たちの教育施設が原点だ。当時、息子は母国の全寮制学校に入れ、娘は一緒に日本に連れてくるケースが多かった。当時の伝統を引き継ぎ、同校は1985年まで女子校だった。
すぐ隣には、女子校の横浜雙葉中学高校がある。サンモール・インターの創立者と同じ修道女らが、1900年につくった。サンモール・インターのジル・ゴーリー広報室長(60)は笑いながら言った。「妹の方が、姉より大きくなりました」
サンモール・インターには現在、42カ国の2歳半から18歳の約470人が通う。両親ともに日本人の子どもは2、3割。ゴーリー室長によると、20年ほど前から「日本だけが社会ではない」と考える保護者が増えたという。「外国語ができれば、将来の選択肢が広がりますから」
幼稚園年少の長男を小学校からインターへ進学させる予定の東京都渋谷区の女性(35)は「中学受験などの話を聞くと、親が相当、伴走している。仕事も忙しく、そこまではできないと思い、インターを視野に入れた。自分が英語で苦労した経験も理由にある」と打ち明ける。「そもそも日本の学校の『みんな一緒』文化に違和感がある。髪形や服装の規定などばかばかしい。もっと自由にのびのびとした環境で大きくなってほしい」。
一口に「インター」と言っても、日本国内での位置づけは様々だ。
一つは、学校教育法に定められ、日本の学習指導要領に基づいて教育をする「一条校」。申請すれば、国語以外の教科を英語で行うことが認められている。
二つ目が、朝鮮学校や自動車学校などが該当する「各種学校」に分類されるインターだ。各種学校の認可権限は都道府県にあり、全国に30~40校あるといわれる。三つ目は「無認可施設」だ。
インターはその「性格」でも三つに分けられる。
一つは、アメリカンスクール・イン・ジャパン(東京都)やブリティッシュスクール・イン東京(同)など、米国や英国といった「国家」を一つの単位としたもの。二つ目が、帰国した日本人駐在員らの子どもたちを対象に日本人が作ったインターだ。そして、三つ目が宗教コミュニティが作ったインターだ。
海外で暮らした経験がない、日本国籍の子どもは通えるのか。
スクールによって受け入れ方針があり、一概には言えないが、答えは「Yes」だ。
ただ、日本国籍だけを持つ子どもの保護者には、一条校へ通わせる義務がある(二重国籍の場合は別の扱い)。教育委員会が保護者に対して就学を督促しても就学させない場合は、就学義務違反として10万円の罰金となる。
インターに進み、途中で退学した場合、日本の学校に通うことはできるのか。義務教育年齢であれば、地元の公立校などに無条件で入れる。高校段階まで進み、退学した場合は、高校の受け入れ方針による。一条校のインターであれば、「中卒」になるが、そうでない場合は「中卒」にはならない。大学を受験する場合でも、「インター卒」を受け入れるかどうかは大学の方針による。
インターは法的定義がなく、文部科学省でも全容を把握していない。
担当者は「報道などで開校が相次いでいるのは確認している」と話すのみだ。国際教育評論家の村田学さんによると、「日本におけるインターの数は確実に増えている。当然、通っている日本人家庭の子も増えている」という。これまでは欧米系のインターが大半だったが、2000年代に入ってインド系やネパール系のスクールができ、近年は、イスラム教徒向けのスクールも各地に生まれているという。