「ペアレントクラシー」という言葉がある。
英国の教育社会学者が1990年に生み出した造語で、「ペアレント(親)」と「クラシー(体制)」をくっつけ、親の「財産」と子どもへの「願望」が子どもの将来に大きな影響を与える時代が来たと唱えた。今で言う「親ガチャ」だ。
当時のサッチャー政権は、市場原理主義と個人の責任に重きを置く新自由主義を掲げ、教育にも学校選択の自由を持ち込んだ。富裕層はお金をかけて子どもを良い学校に通わせる動きが広がった。
「日本での広い意味でのペアレントクラシーの始まりは70年代にある」と青山学院大の耳塚寛明特任教授。
東京で都立高校を自由に選べなくする学校群制度が広がり、有力大学を目指す家庭は中高一貫私立校に流れた。90年代には、学校選択の自由を尊重する動きが強まり、2000年には東京都品川区で公立小学校の選択制度が導入された。
グローバルブランドのハロウの日本上陸で、インターナショナルスクールへの注目度が高まっている。ペアレントクラシーの新たなうねりだ。
ハロウやラグビーは別格としても、学費は平均年200万円を超える。高所得の家庭しか手が届かない新価格帯の教育が地歩を固めつつある。「インターをよく知らなかった富裕層が、高額な私大系列の学校からインターに目を向け始めた」と国際教育評論家の村田学氏は言う。
学校側は「公的支援がないなか、質の高い教育の提供にはそれだけお金がかかる」と口をそろえる。優秀な教師を集めるために世界のトップ校は綱引きを演じており、給料をはじめ好条件を提示しなければならない。
保護者の側も公教育に対して「画一的」「グローバル人材育成は無理」と不信感を抱いている。資力を尽くしてでも「子どもに幸せになってほしい」「子どもの未来の選択肢を広げたい」という親心は止めようがない。
学歴の差は将来の資産格差につながる。
アオバジャパン・インターナショナルの柴田巌理事長は「教育は半分は公共財。培ったノウハウを関心がある学校に提供することで、日本の教育の『底上げ』に資したい」と話す。
インターが日本の教育へ影響を与えたとすれば、国際バカロレア(IB)の公立校への普及だ。文科省が掲げる「総合的な学習(探究)の時間」はまさに、IBの「探究的な見方・考え方」「横断的・総合的な学習」を目指している。日本赤十字看護大の渋谷真樹教授は「探求的な学習を進めるときにIBはヒントになる」と話す。
なにより大切なのは、インターを社会から孤立させないことだ。自分と全く違う境遇の同年代の子がいる。「地域の人々に関心を持つようになる社会的統合に配慮したカリキュラムが不可欠。それがないとエゴイスティックなエリートを輩出してしまう」と耳塚教授。
「学校は『小社会』であるべきだ」(米思想家ジョン・デューイ)の教育理念が、ペアレントクラシーの時代に重みを増している。