「中学受験を見すえて、学ぶ力の基礎をつくる」。対象とするのは4歳から小学2年生。ある学習塾のホームページに書かれている言葉だ。
少子化の一方、教育産業の市場規模に目立った落ち込みはない。
矢野経済研究所の調査では、2015年度の教育産業市場は2兆5006億円。前年度と比べて0.9%減だが、細かな項目でみると、「幼児英才教育」「英会話・語学学校」「学習塾・予備校」などでは逆に市場が広がった。語学では、特に幼児・子ども向け外国語教室市場が拡大を続け、学習塾では小学校の低学年層を取り込む動きが活発化している。
船井総合研究所によると、これまで主に小学3年以上を対象にしてきた学習塾が、小学2年以下、とりわけ幼児向けに英語やパズル教室などを始める動きが、ここ5年ほど目立つようになった。
塾業界では大手の寡占が進み、中小塾がチラシを1万枚まいても小学生や中学生は数人入るかどうか、というほど競争が激しい。苦しむ中小塾としては、幼児を「青田買い」して生徒数を確保。早くから指導することで、ゆくゆくは中学・高校の合格実績にもつなげたい思惑があるようだ。
幼児教育をめぐっては、お金に関するトラブルも後を絶たない。
「子連れで行ったスーパーで業者から声をかけられ、後日、自宅で話を聞いた。『今日中に契約すれば特典がつく。分割払いなので毎月の負担は小さい』とたたみかけられ、断れなかった」「子ども向けの英会話教室の体験レッスンに参加。月謝が手頃なので入会したら、ほとんど使いもしない数十万円もする教材を買わされた」
国民生活センターによると、幼児用教材の購入をめぐり、16年度に寄せられた相談は125件。担当者は「氷山の一角」とみる。購入額は平均して42万円に上り、約半数は英語教材で、中には100万円を超える事例もあった。大半はクレジットカードでの分割払いで契約が長期にわたり、手数料だけで数十万円に膨れ上がるケースもあるという。
我が子に最大限のチャンスを与えてあげたい。早くから始めたほうが伸びるのではないか。つい、こう思ってしまうのが親心だが、ファイナンシャルプランナーの畠中雅子は「一般的な家庭は、子どもが中学生になるまでの教育費は手取り収入の10%、子ども2人でも12%を上限にしてほしい」と助言する。
子どもの大学進学の費用や親の老後資金がなくなって困る家庭には、幼児期に使いすぎた例が少なくないそうだ。「子どもに過度な期待をせず、幼いうちほど冷静に」と畠中は話す。
「家での育児」か「教育」か 悩むフィンランド
フィンランドでは、幼稚園や保育園に子どもを通わせていない家庭が多い。15歳を対象にした国際学力テスト、学習到達度調査(PISA)で常に上位を占めているので、意外に思うかもしれない。政府はさらに学力を向上させるため就園率を上げようとしているが、「家庭的な育児を」と求める声は根強い。
首都ヘルシンキからバスに揺られて40分。4月も末だというのにうっすらと雪が残る住宅地の一角に、シルパ・アンナラ(48)の家を訪ねた。他人の子どもを預かる「保育ママ」が彼女の仕事だ。
朝7時半ごろから近くに住むエーリス(4)、ヴァロ(4)、ルモ(2)、マルタ(1)の4人が親に連れられてやって来る。4人に朝ごはんを食べさせると、防寒防水の上着を着せて公園や森へ。どんなに寒くても外で遊ばせるのがフィンランド流。自宅に戻って野菜のスープで昼食。昼寝の後、夕方4時すぎに親が迎えにくるまでまた公園で遊ぶ。
長男のエーリスを1歳の頃から預けている母マリカ(40)は「大人数の保育園よりも、少しでも家庭に近い環境で過ごさせたかった」と言う。
2014年のOECDの統計によると、4歳の子どものうち幼稚園や保育園に通っているのはデンマークで97%、スウェーデンで95%、日本で96%に上るのに対し、フィンランドは74%。フィンランド政府は「すべての子どもに早期教育を」と掲げ、園に通う子どもを増やしたい考えだ。
園が足りなくなる可能性も
狙いの一つは学力のさらなる向上。OECDがPISAの成績を分析したところ、幼稚園などに通った子どもの方が、通っていない子どもよりも成績が高い傾向にあったことが背景にある。さらにフィンランドでも日本でいう「小1プロブレム」が指摘されている。小学校に入った子どもが集団行動になじめず、授業に集中できない問題だ。
政府は小学校に入る前の1年を「プレスクール(就学前学校)」と位置づけ、15年から義務教育に改めた。プレスクール前の5歳児以下の就園率も引き上げたいという。
これに対し、子どもや育児について多くの著書がある児童精神科医ヤリ・シンコネンは今年3月、地元紙に慎重論を寄せた。「子どもにとって保育園や幼稚園が良い場所だとは限らない。むしろ、限られた数の大人と親密な関係を築くことの方が重要だ」と彼は言う。
財政も課題だ。昨年8月には財政難を理由に、園の教員配置の最低基準が「子ども7人に1人」から「8人に1人」に切り下げられた。教育文化省の顧問ターリャ・カヒルオトは「保育園に通う子どもが急に増えると、日本のように園が足りなくなる可能性もある。時間をかけることが必要だ」と言う。
移民の適応に乳幼児施設が一役 カナダ
カナダでは移民が社会に適応するのに乳幼児施設が一役買っている。トロント市のローズ・アベニュー公立小学校の一室は乳幼児と親たちで連日にぎわう。教室を使って市の教育委員会が運営する「子育て支援センター」。親同伴で0歳から6歳までの子どもが無料で使える。
訪れた日はインド、フィリピンなどの移民に加えて、シリアから逃れてきた難民の母子がいた。センターがある小学校は、児童の親の85%が英語を母国語としない。学校の周りには集合住宅が密集する。多民族国家のカナダの中でも、とりわけ移民が多い地区だ。
400超あるトロントの小学校区のうち、移民が多く住む75の地区に同じようなセンターがある。センター運営のアシスタントマネジャー、ジョアン・デイビスが、施設の狙いを語ってくれた。「移民は身よりもなく孤立しがちなうえ、貧しい家庭が多い。母親同士でママ友になってもらい、センターからは福祉サービスなどの生活情報を伝えるなどしている」
それぞれのセンターにはペアレントワーカーと呼ばれる幼児教育の資格を持つ熟練の専門職員が常駐している。この日、センターでは、ワーカーが家でも再現できる手軽な遊びをしながら子どもたちに語りかけていた。この姿を母親たちはお手本にする。
欧州や米国では、移民や難民が地域に溶け込めず、もともと住んでいる市民の側も反発するという悪循環が起きている。子育てを通じて社会に溶け込んでもらうカナダの取り組みは、乳幼児を抱える家庭の支援が社会全体にとっての利益になることを物語っている。
写真:中川正子
1973年生まれ。岡山市在住。全国や海外を飛び回り、ポートレート、旅の写真などを中心に活動中。最新の写真集は『ダレオド』(BOOK MARÜTE/pilgrim)