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ワールドカップ南ア大会前、北朝鮮選手を激励した金正恩氏「失敗したら俺が責任取る」

北朝鮮インテリジェンス 更新日: 公開日:
サッカー・ワールドカップ南アフリカ大会で、ブラジル代表カカと競り合う北朝鮮の安英学ら
サッカー・ワールドカップ南アフリカ大会で、ブラジル代表カカ(左から2人目)と競り合う北朝鮮の安英学(左)ら=2010年6月、南アフリカ・エリスパーク、越田省吾撮影

「かませ犬」覆すベスト8

イングランド大会は16チームが出場した。北朝鮮代表はアジア、アフリカ、オセアニア各地域を代表した唯一のチーム。当時、英国ブックメーカーの優勝確率はブラジル50%、イングランド25%、イタリア20%の順。北朝鮮は最下位の1%だった。

北朝鮮チームに投げつけられた別名は、カタール大会での日本や韓国の事前の下馬評と同じ、「under dog(かませ犬)」だった。

それでも、北朝鮮はソ連、チリ、イタリアと同組みになった1次リーグで、イタリアを破る快挙を遂げた。1勝1敗1分けの勝ち点4で、ソ連に次ぐ2位で決勝トーナメントに進んだ。1回戦のポルトガルに敗れたが、ベスト8の成績を残した。

イタリア戦の決勝ゴールを挙げたセンターフォワードの朴斗翼(パク・ドゥイク)選手は「朝鮮の英雄」と呼ばれた。欧州クラブチームからの勧誘もあった。

記者会見で1966年イングランド大会の思い出を話す朴斗翼氏ら
記者会見で1966年イングランド大会の思い出を話す朴斗翼氏(手前から2人目)ら=2005年3月、平壌市内のホテル、仙波理撮影

当時、試合の様子はラジオ放送局の平壌放送が伝え、大会後には記録映画も公開された。ただ、大会後に平壌で凱旋パレードを行うこともなく、選手たちに特別な手当も出なかったという。

北朝鮮を逃れた元朝鮮労働党幹部によれば、北朝鮮のスポーツ選手が例外的な厚遇を受けるのは、少なくとも世界大会で優勝する必要があるという。

1999年にスペイン・セビリアで行われた世界陸上女子マラソンで鄭成玉(チョン・ソンオク)選手が優勝した。鄭選手が帰国した際、平壌市の沿道に30万人の市民が出迎え、凱旋パレードを行った。鄭選手には大会ゼッケンの番号と同じ「772」と同じナンバーのベンツと高級アパート、「共和国英雄」の称号が贈られた。

これは、大会で準優勝した日本の市橋有里選手に勝ったことと、鄭選手がレース直後のインタビューで、勝因について「将軍様の指導の賜物」と語ったことが大きかったという。

世界陸上女子マラソンで優勝したチョン・ソンオク選手
世界陸上女子マラソンで優勝したチョン・ソンオク選手=1999年8月、スペイン・セビリア、溝脇正撮影

1次リーグ敗退、でもアパート支給

一方、北朝鮮は2010年南アフリカ大会に出場した。ブラジル、ポルトガル、コートジボワールと同組になった1次リーグで、ブラジル戦は1-2と善戦したものの、ポルトガル戦は0-7と惨敗。結局、全敗という結果に終わった。

ただ、南アフリカ大会の代表チームには大会後、平壌の特権階級が住む中区域・蒼光通りのアパートが1世帯ずつ支給された。カタール大会では、アルゼンチンを破ったサウジアラビアの選手にロールス・ロイスが支給されるという噂話が一時持ち上がったが、それ以上の破格の厚遇だ。

代表チームには、日本で生まれた安英学、鄭大世両選手も加わっていた。在日朝鮮人の間では「平壌に住んでいない2人にまでアパートを提供したら、どうなるんだろう」という噂話が広がったという。

サッカー・ワールドカップ南アフリカ大会のピッチに立ち、涙を流す鄭大世選手
サッカー・ワールドカップ南アフリカ大会のピッチに立ち、涙を流す鄭大世選手=2010年6月、南アフリカ・エリスパーク、朝日新聞社

当時、北朝鮮代表が出場した試合会場には、アフリカ各地に海外派遣されている北朝鮮労働者が集められ、応援する姿が報じられた。

元労働党幹部は、1次リーグで敗退した南アフリカ大会代表が、ベスト8だったイングランド大会代表よりも厚遇された理由について「最高指導者が関心を持っていたかどうかの違いだ」と語る。

南アフリカ大会が開かれた2010年6月当時、すでに北朝鮮では金正日総書記から金正恩総書記への権力継承作業が始まっていた。

金正恩氏は南アフリカ大会に強い関心を示し、現地のチームにも指示を出していたとされた。「最高指導者が強い関心を持っている」という状況から、アフリカに駐在する北朝鮮大使館などが、海外派遣労働者が応援のために南アフリカを訪れる費用の工面などに全力を挙げたという。

金正恩氏がサッカーに関心を持っている逸話の一つとして、南アフリカ大会以前に、決断力が弱い代表選手に行った指導が国内で紹介されたこともある。

正恩氏がこの選手に「ゴールを外すことばかり考えて怯えるな。失敗しても俺が責任を取るから、思い切ってやれ」と指導したところ、選手は次の試合でゴールを決めたという。

このアドバイスの成果がどうかはわからないが、少なくとも最高指導者がサッカーに関心を持っているという事実は、周囲に知れ渡ったという。

制約だらけの環境

ただ、金正恩氏の熱意にもかかわらず、北朝鮮代表はその後、ワールドカップ本大会から遠ざかっている。元党幹部は「北朝鮮のスポーツ界は制約だらけだからだ」と語る。

そもそも、海外遠征を行うような選手は最高指導者に忠誠を誓う志操堅固な人物でなければならない。親善試合も、基本的に北朝鮮との友好国を選んで行う。海外からの情報の流入にも慎重だ。

北朝鮮サッカーが世界でなかなか勝てない理由として、世界の最新の戦術をすぐに取り入れられないことや、相手チームの情報が不足していることが挙げられている。

韓国メディアによれば、北朝鮮の朝鮮中央テレビは、カタール大会の試合を録画放送している。日本戦も放映されたが、ベスト16まで勝ち上がった韓国の試合は、流していないという。

北朝鮮が栄光に輝いたイングランド大会から半世紀以上が経つ。金正恩氏や北朝鮮代表選手たちは今、どんな思いで、カタール大会を見ているのだろうか。