近年、欧米では「肉を食べない生き方」(ベジタリアン)や「動物由来のものを食べない生き方」(ヴィーガン)が広く支持されています。
地球の温暖化が問題になっているいま、世界で排出される温暖化ガスの5%は「牛のげっぷ」に含まれるメタンガスのように「家畜の消化器官」から出たものだとされています。牛肉は豚肉や鶏肉の10倍前後の平均温室効果ガス排出量であるため、牛肉食を減らすことが環境にとって良いことが分かっています。
近年、ヨーロッパでは豚や牛などの食肉用の家畜が劣悪な環境で飼育されていることがたびたび発覚しており、メディアでも大きく話題になっていることから「動物がかわいそう」という理由で肉を食べない人も増えています。
SNSでは #plantbasedのハッシュタグのもと、多くの人が自らの植物由来の食生活について発信しています。
新型コロナ禍で「ベジタリアン」が進んだ理由
ドイツでは、以前から若者を中心にベジタリアンの人が多くいましたが、新型コロナウイルス感染症のパンデミックが問題となった2020年以降、肉の消費を考え直す動きが更に強まっています。
ドイツの食肉工場で、外国人労働者が劣悪な環境で働かされていたことが、大規模なクラスターが発生したことによって明らかになったからです。
たとえば食肉処理工場Tönnies社では、同社と外国人労働者の間に複数の下請け業者が入っており、外国人の手に渡るのはわずかな金額だということが2020年に発覚しています。同社が退勤管理をデジタル化しておらず、また工場内に掛け時計が設置されておらず、労働者に腕時計や携帯電話を持ち込むことが禁じられていたことから、労働者が正確な時間を把握することができないまま残業させられ、かつその残業代が支払われなかったことも表面化しました。
外国人労働者らには会社から狭い部屋があてがわれ、日本でいう「タコ部屋」の状態であったにもかかわらず、労働者の間でクラスターが発生すると、記者会見で同社の担当者は「工場で働くブルガリア人とルーマニア人が週末を利用して母国に帰り、週明けに仕事にすぐに復帰した」などと話し、あたかも労働者の週末の行動によってクラスターが発生したかのような話しぶりであったことも世間でバッシングの対象となりました。
また今年、ドイツの食肉処理の規定を守らず、残虐な方法で牛を屠畜(とちく)したというLandschlachterei Hornという処理場の実態が、動物保護団体が仕掛けた隠しカメラの映像によって世間に知れ渡りました。
近年ドイツで「肉食」というと、食べられるために飼育される動物にとって残酷で、そこで働く人間にとっても過酷なイメージが付きまとうことから、ドイツでは「自分の良心に従って生きたい」「肉を食べるのはやめたい」と考える人が増えました。
バイエルン伝統のソーセージにも「代替肉」
一昔前、ドイツで菜食主義者のためのたんぱく質といえば、ニッポンの豆腐でした。日本にあまり詳しくない人であってもベジタリアンからは「Tofu」という日本語をよく聞いたものです。
近年は食感が本物のソーセージと近く、豆からできたグルテンフリーのWeißwurst( ヴァイスヴルスト)も売られています。このように南ドイツのバイエルン州で昔からよく食べられている伝統ある食品にも代替肉が使われるようになりました。ドイツ連邦統計局の発表によると、2020年には2019年より39%多くの肉代替製品(大豆など植物ベースの肉風製品)が生産されています。
過激化する一部のヴィーガン
肉の消費を減らすことが地球環境に優しいのは確かですが、その一方で一部の「過激化するヴィーガン」が問題になっています。
先日、SNSではイギリス・スコットランドのエディンバラで酪農業に抗議するために、スーパーマーケットで商品の牛乳を床にまき散らす動物保護活動家の動画が拡散されました。
Milk Pours are currently happening across the UK. All are concerned individuals calling on the government to give us a livable future, a #PlantBasedFuture
— Animal Rebellion (@RebelsAnimal) October 15, 2022
Here's the latest milk pour happening in Edinburgh @waitrose pic.twitter.com/mawKIylEmI
牛乳を故意に床にこぼしている女性の横では、無表情の男性がPlant Based Futureという看板を掲げています。
ヴィーガン活動家たちの過激な行動はロンドンでも見られました。
in Harrod's today vegan activists pour Milked on the floor to highlight the environmental destruction of the dairy industry.. pic.twitter.com/0Y19hryntQ
— London & UK Street News (@CrimeLdn) August 8, 2022
もちろん過激な人ばかりではなく、「完全な菜食主義ではないけれど、なるべく代替肉の食料を口にするようにしている」といったフレキシタリアン(菜食中心だけれど、時々は肉もOK)と呼ばれる「融通のきくベジタリアン」も多くいます。
また漁業は畜産業よりもCO₂があまり出ないため「魚介類は食べるが肉は食べない」という人もおり、彼らは「フィシィタリアン(fishtarian)」や「ぺスカタリアン(pescatarian)」と呼ばれています。
英紙ガーディアンによると、ある調査ではドイツの回答者の42%が意識的に何らかの形で肉の消費を意識的に減らしているとのことです。
「命をいただく」という日本の感覚
動物を食べるということについて、欧米と日本では「元々の感覚」が違うのではないかと感じることがあります。たとえば食事の際にフランスでは相手に「Bon appétit 」、ドイツでは「Guten Appetit」と声をかけてから食事を始めるのがマナーです。これはどちらも「どうぞ召し上がれ」という意味で、相手とのコミュニケーションを大事にしているといえます。
ところが日本の場合は、大勢で食事をする際も、一人で食事をする際も「いただきます」と言います。相手との社交やコミュニケーションを大事にするのではなく、「いただきます」には「(生き物の)命をいただく」という意味があることに驚く欧米人は多いのです。
長年、摂食障害に苦しんできた筆者の知人で九州在住のアメリカ人女性アン・クレシー二さんは「『いただきます』の『いただく』は『命をいただく』という意味だと知ってから、食べることに前向きになれた」と話します。
食事の際、命をいただいていることに感謝し、ある意味、動物に対して謙虚な気持ちが垣間見えるのが欧米との大きな違いだと思います。
欧米のベジタリアンから話を聞くと「動物を食べる→動物がかわいそう→だから動物を食べるのをやめ菜食主義になる」といった白黒ハッキリとした思考回路である印象を受けます。日本の人は傾向としてもっと曖昧で、肉を食べながらも、基本的には「命をいただいている」という感覚であることが多いです。
徹底したヴィーガンが日本でメジャーにならない理由
日本の「食育」の観点から見ると、アレルギーを除いて食べ物を「選り好み」することは「よくないこと」だとされています。昔ほどではないにせよ、学校の給食でも基本的には「好き嫌いをせずに全部食べること」が良いとされています。
筆者は、都内のあるサラダ専門店に定期的に通っています。先日、自称「健康オタク」の日本人の男友達を誘って一緒に行ったところ、「確かに健康だけれど、店員さんからの質問が多いのがなんだかなあ…」と言われてしまいました。
ニューヨーク発祥のその店では、サラダボウルを注文する際、客は店員から「苦手な食材はございますか?」「こちらの食材は入れますか?」「トッピングはどちらになさいますか?」「ドレッシングは、どういたしましょうか?」「パンはお付けしてもよろしいですか?」などと細かく質問されるのです。
欧米的な感覚だと、質問の結果、そのサラダは自分の好きな食材だけを集めた「自分だけのオリジナルのサラダ」になるのですが、日本流のお店に慣れている人だと、筆者の前述の男友達のように、「注文の段階で、質問が多いのがストレス」と感じる人もいます。
使用する食材について、店員が細かく客に確認するスタイルは日本では万人受けはしないようなのです。その根底には「決まった物をそのまま食べる」という「選り好みしないこと」が子供の頃から良しとされてきたことがあるのではないでしょうか。
筆者が出身のドイツの食事は、伝統的に豚肉を使った料理が多いです。そんなドイツでいま「ベジタリアン」や「ヴィーガン」という生き方を素晴らしいと感じる人が多いのは、昔ながらのドイツの食生活への反動のような気もします。
筆者自身は、地球環境を考えてなるべく牛肉を食べないようにするフレキシタリアンにはなれても、「肉を一切口にしない」食生活は難しいと感じています。「地球環境」「健康」「体型維持」「自分の好み」…様々な観点から考えると、これからも代替肉を含め何でも食べたいと思うのでした。