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世界最大の菜食国、でもヴィーガンが根づかない インドの深いベジタリアン事情

LifeStyle 更新日: 公開日:
菜食主義だといいながら、魚を食べるバラモン=プリ、奈良部健撮影

13億6000万の人口の3割弱が菜食主義とされる、世界最大の「菜食国」インド。欧米のように自ら選んで菜食者になるというより、菜食の家庭に生まれ育つ人が多く、「菜食」と「それ以外」を分ける明確な線引きもない。動物性食品を一切とらない「ヴィーガン」が世界で注目されるが、インドには少ない。食をめぐる慣習や思想が宗教と深く関わるインドで、多様な菜食の世界を見た。(奈良部健)

■精神を乱し、性欲増す「ターマシク」

伝統医学アーユルベーダでは、欲求を抑え、精神を高めて調和をもたらすとされる食べ物(一部の野菜や小麦、米、果物)を「サートビク」と呼ぶ。料理研究家のアヌーティ・ビシャルさんは「精神性や知識を重視するバラモン(カースト最上層・司祭)には菜食が必要とされた」とみる。

一方、生き物を殺して得られる肉類などを「ターマシク」といい、人の精神を乱し、怠惰や攻撃性、性欲を増す食べ物と考えられている。その語源は「暗黒」。歴史家のプシュペシュ・パントさん(74)は「動物の肉を食べると性欲が高まり、思考を邪魔する、というのが『暗黒』を体内に取り入れるという意味だった」という。「バラモンは自分たちの食が最上のものだという神話を書き残し、人々はそれを誤解したのです」

食についての研究を続けるプシュペシュ・パント氏=ニューデリー、奈良部健撮影

■魚食べる「ピュアな菜食主義者」

ベンガル湾に臨む東部オディシャ州。ヒンドゥー教寺院に仕えるジャネシュワル・プジャリさん(36)は、「ピュアな菜食主義者」を自認するが、地元でとれる魚が大の好物だ。菜食と主張するのは、「ニンニクやタマネギを使わずに魚を調理するからですよ」という。

ニンニクやタマネギを使わない魚カレーは菜食なのか? 約2000年前の「マヌ法典」は、この二つをバラモンが食べてはならないものに掲げていることは確かだ。においがきつく、けがれから生じたものと考えられたらしい。

不殺生を徹底するジャイナ教徒のような厳格な菜食主義者も、ニンニクやタマネギを食べない。収穫時に、土の中の生き物を傷つけてしまう恐れがあるためだ。球根は土に埋めれば芽を出すことから、ニンニクやタマネギは食物の栄養や生命力が凝縮した部分ともいえる。ただ、だからといって「魚を食べても菜食だ」というのは、日本の感覚からすると納得するのは難しいのだが……。

インドの厳しい菜食主義者は、赤い色が血を連想させるトマトも食べない。果肉が赤で命を宿す種が多いスイカもご法度。ヨーグルトの中の菌類を避ける人もいる。卵は菜食か否か、という議論も続いてきた。有精卵は肉食だが無精卵は菜食だ、という主張もある。

命を奪わないことを徹底しようとすれば、食べられるものの範囲は狭まる。植物も生きているので、野菜を食べても殺生になる。そう考えれば行き着くのは、インドで今も祭日や特定の曜日などに行われている断食だ。断食こそが徳を積む行為になる。インドの多様な菜食の根本には、「人間が生きることそのものが、常に殺生という罪悪をはらんでいる」という思想があると私には思える。

■「牛乳クレージー」の国

肉食からヴィーガンに変わったモナさん。手にしているのはヴィーガンケーキ=ニューデリー近郊、奈良部健撮影

菜食の伝統があるインドだが、動物性食品を一切とらないヴィーガンは「ファッション」としては注目されていても、根づいていない。なぜなのか。

「海外経験のある若者の間で少しずつ増えてはいますが、『牛乳クレージー』のこの国では難しいですよ」。3年前にヴィーガンになったというモナさん(58)はこう話す。

肉食の家庭に生まれたが、ソーシャルメディアで「動物の悲惨な命の実態」を見たのをきっかけに、ヴィーガンになった。人間が牛乳を飲むために、牛にホルモン注射をしたり、妊娠を強制したり。牛がミルクを生む機械と化しているような動画を見て、動物を保護する運動を始めた。「動物が不自然な形で生かされているのを放っておけないと思った」。それ以降、牛乳の代わりにココナツミルクを使い、革製品を買わなくなった。調理の際に出た野菜の皮は自宅で土を入れたポッドで肥料にし、大事に使っている。

気になるのはモナさんが言った「牛乳クレージー」という言葉。実はインドは世界最大の牛乳消費国でもあるのだ。ヒンドゥー教で神聖視される牛は、牛乳がバターやヨーグルトになり、尿やふんまで活用され、生活の隅々まで行き渡っている。「牛の乳をあがめる伝統があり、あらゆるものに牛乳が使われている社会でヴィーガンの生活は難しい」。料理記者のマドリカ・ダシュさんはそう語る。

■菜食の豊かな世界

私が勤務する朝日新聞ニューデリー支局の同僚アビナシュ・アグラワル(57)は、バニヤという有力商業カースト出身で、母親はジャイナ教徒の出身のため、厳格な菜食主義者だ。タマネギやニンニクも基本的に食べない。出張で一緒に食事をした時に見ていると、頼むのは圧倒的に豆か野菜のカレーだ。「私は豆と(小麦パンの)ローティさえあればそれで満足」とアグラワル氏は話す。肉を食べない分、豆や牛乳、ヨーグルトでたんぱく質を補給する。

菜食のメニューはカレーのほかにも、小麦粉を揚げて鶏の唐揚げや天ぷらのようにした「パコラ」や、チーズを活用したものなどたくさんある。一口に豆といっても、ひよこ豆や小豆、ムング豆など、種類も調理法も多様でその深い世界に魅了される。

インドでは食料品には、必ず「ベジマーク」と「ノンベジマーク」がついており、菜食者が誤って肉食をしないような仕組みができている。「ピュアベジ」をうたってベジタリアン専門を強調するレストランもあるが、どちらかといえば少数派だ。

インドに昨年進出したカレーのCoCo壱番屋やマクドナルドは、店内で菜食とそうでないものの調理場を分けている。食べる空間は肉食者も菜食者も基本的に一緒だが、年配者などの中には、菜食以外のものを出す店で食べることを嫌がる人もいる。たとえ調理場が分かれていても動物性の成分が混じっていないか疑ったり、肉を食べている場面を見るのを嫌がったりするためだ。東南アジアと比べて、外食があまり盛んでないのはこうした事情も背景にありそうだ。

インド西部アーメダバードでは最近、公道沿いや学校、宗教施設などの近くでの肉食メニューを出す屋台の営業が禁止された。肉や卵を焼くにおいへの拒否感が菜食主義者にあるほか、「非衛生的だ」「交通の妨害になる」との声も上がる。ただ肉や卵を出す屋台だけを締め出すのは、食肉関連の業者や肉を食べる人にはイスラム教徒やキリスト教徒が多い傾向にあるため、多数派ヒンドゥー教徒による少数派への「嫌がらせ」だとの反発もある。