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「何を食べても私の自由」が引き起こした環境問題 身の丈に合った食生活を求めよう

LifeStyle
京都大学人文科学研究所准教授の藤原辰史さん

――地球環境保護の観点から菜食を選ぶという動きについて、どう見ていますか。

肉食が地球温暖化の原因として繰り返し指摘されている中で、菜食を選ぶ人が増えていることは必然的な流れです。ただ、私はもう少し多元的に環境破壊と家畜の関係を考えたい。今の食肉生産のシステムは、家畜にも、畜産農家にも、食肉工場の労働者にも、環境にも負荷をかけやすいしくみになっています。消費者が安い肉を求め、地球規模で肉の消費欲が増大したために、かなり無理をした大量家畜生産が各国で進められています。工業化された大規模畜産の、人と自然に対する弊害を見つめることから今の環境問題を考えたい。

牛や豚や鶏に自然の摂理を超えた過剰な負担を与えない。例えば飼料はできるだけ家畜の内臓に負担のないものにし、出荷寸前の抗生物質の投与もやめるべきだと思います。その過程で家畜の生産量はおのずと決まります。根源的に畜産の思想を転換しない限り、地球環境問題は根本的な解決に至らないでしょう。

大量生産された肉は、大量に捨てられてもいます。資本主義のハイスピードの循環の中に家畜が組み込まれてしまっている。そこをもう一度問わないといけません。

――肉はおいしくて栄養価も高い。それが安く売られている背景について考えなければいけないのですね。

他方で、古来培ってきた畜産文化も失いたくありません。環境に悪いからといって十把一絡げに約1万年かけて培われた畜産文化をなくせば人類にとって大きな損失です。自然への負担を軽減させながら丹念に家畜を育てる技術、畜産の文化は、しかるべき対価を払っても守るべきだと思いますし、そうした畜産のあり方を支えるために政府は金を投じるべきでした。工業化した畜産ではない畜産のあり方を政府が後押ししていくと、その分野の研究も進み、小規模な畜産のノウハウも蓄積されていきます。

――大量生産・大量消費型の従来の畜産のシステムに、私のように無自覚的にどっぷりとつかってしまっている人が多いという現状があります。

菜食主義というのは、結果論的にはそうした大規模畜産システムに対する「否」、一つのカウンターになっています。しかしながら、この構造というのはこのままではなくなりません。フードシステム全体を大規模変換しない限り、気候変動の問題も根本的なところで解決しないと思います。

――システムはどうしたら変わるのでしょうか。例えば牛から取った細胞を培養して作る培養肉のような技術革新に期待するのはどうでしょうか。

培養肉が普及すれば牛を殺す必要もなくなります。飼料も食べさせなくていいので、その分の畑が確保できます。温暖化をもたらすゲップの心配もない、と言われています。問題は解決に向かうように見えますが、これは本当の解決とは違うと思います。

農業と畜産業は、太陽光のエネルギーを最も効率的に利用する産業です。光合成というプロセスを経るから、無料で注がれているエネルギーを利用できます。植物が育っていって、その植物を動物が食べます。プラスチックや鉄やいろいろな資材を使って農業を工業化するのではなくて、ごく自然に、太陽光と太陽熱を最大限利用して、その摂理に沿った農業と畜産に戻していかないといけません。繰り返しますが、その範囲内で消費需要を抑えないと、いつまで経っても環境問題はなくならないと思います。

――表面的に問題は改善するかもしれませんが、根本的なところ、問うべきところをスキップしてしまうということですね。

要は「食とは何か」ということです。食べるという行為は、人間以外の命を奪い、口に入れて、排泄(はいせつ)すること。動物を殺すことを工業化によってスキップすることは、つまり、人間が食物連鎖の中にあることを忘れ、自然とのリンクを断つことを意味します。

それは人間存在そのものを問うていることですよね。これまで培ってきた人類の歴史そのものを問うてしまうようなことになるわけです。そうであるなら、私は新しい発展によって乗り越えるというよりは、もう少し身の丈に合った、太陽光と土壌と水の力を借りた、地球に負荷をかけない農業でやっていくべきだと思います。

――ここまで負荷のかかる仕組みになってしまったのはなぜなのでしょうか。

食は「私」のもの、という考えが強すぎたのではないでしょうか。地球環境問題を引き起こしたのは、お金を払えば何を食べても自分の自由だという「食の個人主義」です。好きなものを食べているつもりが、いつしか広告が宣伝する通りに食べることになり、大量生産・大量消費・大量廃棄のフードシステムに寄与しています。もう一度、食がみんなの共有物だった原点に戻らなければいけません。

――一方で不安なのが、「これを食べた方がいい」「こういう食のスタイルが今後は望ましい」といったことをお上から言われることについては、反発もありそうです。

限りある食料をどう分配するかということは政治の原点です。いまお上から降ってくるということを言いましたが、それは日本人が慣らされた感覚だと思うんですね。政治自体に、もう一度民主主義を回復させるきっかけは、食の分配であるべきだと私は思っています。

仮に、地球環境を考慮するともうこれ以上の肉食は難しい、これ以上輸入が増えると災害時には持たない、となると、食料の分配を決めないといけません。担当省庁が決めて配るのではなくて、その分配をめぐって話し合いをしなければいけませんよね。それが国会ではないですか。

国会や地方議会で一番に話し合うべきは、私たちが何をどれくらい食べるかということ。私たちは降ってきたり、与えられたり、輸入されてきたものを、選択肢があるように見せかけられて食べています。でも結局は買わされているんです。食料主権というものを持っていない。食料主権を取り戻すということは、私たちの身体からわき起こるような話し合いの文化、民主主義の文化を取り戻すことだと思います。

何を食べるか、それはヴィーガンも含めてですけれども、政治を根底から考えることです。ヴィーガンを強制する法律は問題があるにせよ、このまま野放図な肉食を続けていくわけにもいきません。肉食をめぐる議論を市民レベルで活性化していくことが大事なのではないでしょうか。

ふじはら・たつし 1976年生まれ。『給食の歴史』、『縁食論』など、食についての著作多数。『ナチスのキッチン』で河合隼雄文芸賞、『分解の哲学』でサントリー学芸賞。