■食生活を変えてみようと思う 妻に告げると……
「食べ物とか大変になるかも」。7月中旬の朝、妻(37)に言った。面倒なことはやめてと怒られると思い、切り出すタイミングをみていたが、「面白そうじゃん」と意外な反応が返ってきた。
環境保護の観点から菜食を時々取り入れる「ゆるベジ」「フレキシタリアン」と呼ばれる人たちが世界で増えているという。2020年のドイツ連邦食料・農業省のリポートによると、肉食を意識的に控える「フレキシタリアン」が55%に上ったという。日本ではそこまでの広がりはなく、卵や乳製品も含む動物性食品をとらないヴィーガンは少数派だ。
その身になると、いまの社会はどう見えるのだろう。まずは自分が実践してみようと思った。楽しみでもあり、つらそうな予感もした。
我が家では家族4人の食事を基本的に妻が作ってくれている。ヴィーガンになるのは私だけなのに、作り分ける手間をかけるかもしれない。調べるとレトルトや冷凍食品は少し高いがネットで買えそうだ。これで乗り切ろうと思ったが、妻はどんな料理を作れるか、調べながらやってみてくれるという。買い出しは積極的に行くことにした。
キリが良いので東京五輪開会式と同じ7月23日の午後、ヴィーガン生活をスタートした。少なくとも私が取材を担当したヴィーガン特集を掲載するGLOBE11月号(朝日新聞別刷り)の発行日まで、108日間続ける目標だ。直前に池袋で魚介風味たっぷりの大好きなつけ麺を食べ、動物性食品に別れを告げた。テレビで選手の入場行進を見ながら食べたのは大豆ミートのホイコーロー。この時は普通の肉とはちょっと違う大豆の臭みが気になった。
■勇気わいた「ゆるく始めてみては」
取材でまず会ったのはNPO法人日本ヴィーガン協会代表の室谷真由美さん(48)だ。
美容・健康のためヴィーガンを始めて10年以上。団体の代表になるくらいだからさぞ食事方針は厳格だろうと身構えた。だが、目上の人との会食などやむを得ない時は、カツオだしの入ったそばなどを口にすることもあるという。「気にし始めるときりがない。まずはゆるく始めてみてはどうですか」と優しく言われ、勇気がわいてきた。
一口にヴィーガンと言っても、食品の製造過程において動物性のものが使われていないかを確認したり、服やバッグなどに動物の皮が使われているものは選ばなかったりなど、やり方は人それぞれ異なる。型通りにやりさえすればいいというものでもないらしい。室谷さんは「週1でも、月1でも、取り入れることで見えてくるものもある。できることを無理なく楽しく。無理してやっていても続かないし意味がない」と話す。
■スーパーの棚を前に「ほっとした」
これまでヴィーガン食品は特別な店でしか手に入らないと思っていたが、近所のスーパーでも動物性原料不使用のレトルトカレーや袋麺、パスタソースを見つけた。数は少ないものの、探せば意外にあるものだ。スーパーで食品を選ぶときは原材料名を必ずチェックするようになった。自分の場合は、ここに動物性原材料が記載されていなければよしとした。ポークエキスやブイヨン、チキンエキス、カツオだしなどは、お菓子など意外な食品にも使われていることもある。
おすすめはがんもどきだ。煮てよし焼いてよしレンジで温めるだけでもよし。週末にはスーパーでたくさんがんもどきを買うのが恒例になった。食べごたえのあるおかずとして重宝した。
通い慣れたスーパーでふと、ヴィーガン食品の棚ができているのに気がついた。アレルギーやハラール対応などのコーナーの近くにあるスーパーもあった。そうした棚を見つけると、「自分はこの店に受け入れられている」と感じ、ほっとした。ヴィーガン生活を始めてみなければ、こんなことは考えもしなかっただろう。
ただ、外食時は事前によく調べないといけない。ヴィーガン料理店は増えてはいるが、都心が中心だ。価格も安いとは言えないところが多い。悩んだ時によく行ったのがインドカレー店。野菜や豆のカレーにライスなら問題ない。菜食大国インドの知恵を思いながら、この間30回以上インドカレーを食べた。
■代替食品、乳も卵も
ベジタリアンで、京都大学特任教授(電力工学)の安田陽さん(54)は、「肉の生産過程では、メタンガス排出や森林伐採などで地球環境に負荷を与える。食肉の価格に表れない『隠れたコスト』に注目することが大事だ」という。
環境への配慮もあり、最近は丸大食品や日本ハムなどの食肉大手でさえ、大豆ミートに代表される代替肉の開発に乗り出している。オーツミルクやアーモンドミルクなどの代替乳を店で見かけることも増えた。
「日本で最も卵に精通したメーカー」を自認するキユーピーが開発したのは、植物性原料だけで卵を使わないスクランブルエッグ、その名も「HOBOTAMA(ほぼたま)」だ。開発した梶聡美さん(34)は「ヴィーガンの人はもちろん卵アレルギーの人も食べられます」。まだ業務用のみだが、卵アレルギーに悩む人から商品化を望む声が殺到しているそうだ。
ヴィーガン食品はアレルゲンが比較的少ない食べ物といえ、災害時に多くの人が安心して食べられる「備蓄用食料」としての使い方もあると聞いた。私自身も薬のアレルギーがある。ヴィーガンを環境問題への対応の一つととらえていたが、それだけではなさそうだ。「食」には、社会の多様性や寛容さが映し出されるのではないか、と考えるようになった。
■苦しい思いをせず暮らせる社会を
菜食は若い世代には、より身近な選択肢のようだ。ヴィーガンレシピ投稿サイト「ブイクック」を立ち上げた工藤柊さん(22)は、「僕らの世代にとって、環境問題はもう全然人ごとではなくて、毎年水害で亡くなる人がいるのに、自分の子どもや孫の世代に『ごめんね』って謝るだけの人間にはなりたくない」と話す。
工藤さんは高校3年生の時、道で車にひかれてぺしゃんこになった猫を見て衝撃を受けた。「なんでこんなになるまで誰も助けなかったんだ」。怒りと悲しみに突き動かされ、帰宅してインターネットで動物の殺処分の状況や家畜の飼われ方を調べ、牛の出す温室効果ガスの影響なども知った。そういった消費システムの上に自分自身の生活があったことも驚きだった。翌朝母親に「ちょっと今日からお肉とか魚とか卵とか、動物性のものは食べないようにする」と宣言した。
そこまでやるか、と驚いたが、工藤さんはこれまでも、授業でエビ養殖が環境破壊を引き起こしていると知ればエビを食べなくなり、プラスチックごみを減らすためレジ袋を拒否し、教室のエアコン設定を「弱」に変えてきたという。
そうした行動変容の積み重ねがあって、ヴィーガンにつながったのだと思った。疑問を感じてもすぐ行動に移せる人はなかなかいない。「学校の友人たちからは『工藤がまた何か始めたぞ』といじられました」というが、見習うべきところだと思った。
神戸大に進学後、各地のイベントで多くのヴィーガンと出会い、「みんな同じような暮らしづらさを感じていることを知った」。外食の選択肢やレシピの少なさ、社会の理解の乏しさ……。これから始めようと思った人が楽にヴィーガン生活ができる社会にしたい。2年生になると休学して全国300人以上のヴィーガンを訪ね歩き、話を聞いた。
たどり着いたのがヴィーガン料理のレシピを紹介するサイトだった。同世代の仲間と2019年7月に公開。今では麺類やお菓子など3000以上のレシピ投稿が集まる。レシピ本も出版し、今年は総菜の宅配サービスやヴィーガン商品の通販サイトも作った。「課題解決に向け行動を変える人が苦しい思いをせず楽しく暮らせるような社会を作りたい」と工藤さんは話す。
■「価値観の違いは歴然」
「なぜ今、ヴィーガン(ベジタリアン)なのか」というリポートを執筆した大和総研経済調査部主任研究員の市川拓也さんは、「今の若い世代は、学校教育などを通じて『持続可能な社会の担い手』となることを意識して育ってきた世代。社会課題の解決が自分の役割だと考える人は今後も増える」とみる。
動画配信サービスなどで動物福祉や環境保護を啓発するコンテンツに接しやすくなり、「動物が苦しめられていたらかわいそう、環境を守りたいという価値観が形成されやすい状況にある」と話す。
だからこそ、従来型の大量生産・大量消費で環境に負荷をかけるビジネスモデルをたたき込まれてきた世代と比べると、「価値観の違いは歴然で、若い世代が社会課題の解決という観点から菜食を受け入れると、大きな社会変化の波がやってくるのではないか」とみている。
■「山登りと同じ、いろんな道がある」
元ビートルズのポール・マッカートニーを旗振り役に「週1ベジ」をすすめ、食肉の消費を減らそうと呼びかける運動の日本版、ミートフリーマンデーオールジャパン事務局長の小城徳勇さん(53)は「菜食は山登りと同じ」と話す。一直線に山頂をめざす道、景色を見ながらまわる道、ケーブルカーに乗ってもいいし、登頂せずに下山してもいいという。取材先で聞いた言葉で、「いろんなやり方があっていい」という考えを代表する印象的な言葉だった。
菜食の人は「もう肉は食べないんでしょ」という具合に0か100かで見られることが多い。私もかつてはそうだった。でも実態は多様だ。できる時だけやる人もいれば、「貝類は食べる」などいろんな人がいる。それぞれの価値観で決めた行動の先に、それぞれの大切にしたい世界がある。
私なりの菜食とのつきあい方も見えてきた。魚や卵は好きなので、できれば食べ続けたい。意外だったが牛肉や豚肉は減らしても大丈夫そう。でも鶏肉は食べたいなあ、などいろいろな発見があった。
私は、自分の食が地球環境にどのような影響を及ぼすかを意識しながら選択を続けることにしたい。大豆ミートなどの代替肉の味わいや使い方も分かってきたし、外食の知恵もついてきた。週1日ヴィーガンなら精神的にも無理なくできそうだ。
ヴィーガンを始めて体重は4キロ減った。体調は大きく変わった実感はない。「肉を食べないとエネルギーが出ない」とはよく言われることだが、納豆や豆腐、枝豆などからたんぱく質は意識的によく取ったので、少なくとも自分はエネルギー不足だとは感じなかった。
献立を工夫してくれた妻のおかげで、頭が上がらない。仕事で外出中は昼食を抜くこともこれまでは多かったが、期間中はなるべく食べるようにした。ただ、そういえば固い食べ物を口にする機会が減っていないかとも感じた。
スーパーやコンビニで原材料名を確認するたびに、これまで自分が食べるものにあまりにも無知だったことを思い知らされた。何がどこで作られ、どのように自分の食卓まで来たのか、より意識するようになった。同時に、自分にもし大豆や小麦などのアレルギーがあったら、ヴィーガン生活なんてとてもできないだろうとも考えた。
失うものもあった。お菓子作りの楽しさを覚えてきた娘の手作りクッキーは食べず、誕生日や結婚記念日も家族と別メニューだった。息子は焼き肉が好きだが、食べる頻度が減って残念な思いもしただろう。「食卓を囲み同じものを食べる」という機会は、想像以上に貴重なことなのかもしれない。
地球環境にとって菜食は必ずしも唯一の最適解ではない。日本で年約600万トンに及ぶ食品ロスを減らすことにも大きな意義があるし、地産地消、旬のものを食べることも大事だ。何より、自身や周囲の人の健康を害してしまっては本末転倒だ。また、新しい技術が別の環境問題を生み出すこともある。知識を適宜アップデートしつつ、それぞれがめざす社会に向けて動くことが大事なのだと思った。
台所に立つ機会が増え、食材をめぐって家族の会話も増えた。一人の行動が与える影響は小さいかもしれないが、それでも自分なりに納得できるよう考えながら「食」を選択していきたい。ヴィーガン生活をもう少し続けると、今年の3分の1は実践したことになる。そこまであともう少し続けようと思う。