格子のない大きな窓から、夏の日差しをいっぱいに浴びた緑の木々が見えた。12平方メートルの部屋にはベッドや机、薄型テレビ、ミニ冷蔵庫があり、一角には専用のシャワーと洗面、トイレを備える。
「広くはないけど、必要なものはそろってる。困ること? インターネットができないのは不便だ。日本の刑務所はどうなの?」
自分の居室を案内しつつ、トミーさん(49)が興味深そうに尋ねる。
共用のリビングルームには大きなテーブルとソファが並ぶ。こちらも窓が大きく、明るい。
窓際には自転車型トレーニングマシンがあった。キッチンでは、男たちが昼食の準備をしていた。すぐそばに刃渡り40センチほどの包丁が2本見えた。柄にワイヤーがつながっていると分かっても、少しドキドキする。
簡素だが清潔感があり、大学の寮か、研修施設のような趣だが、そうではない。ここは殺人や強盗、麻薬密売などに手を染めた252人の男性受刑者を収容する刑務所だ。
2010年、ノルウェー南部にあるハルデン近郊の森に開設された。多くの人が抱くイメージを覆し、「世界一人道的な刑務所」とも「世界一豪華な刑務所」とも呼ばれている。
「できるだけ『外』と同じ生活ができるようにしている。家にはそれぞれの部屋があるだろう。だからここにもあるんだ」
アーレ・フイダル所長(63)が説明する。ノルウェーの刑罰は「自由を奪う」ことにある。決められた時間、決められた場所にいなければならず、家族らとの面会にも制限がある。
だが、必要最小限の自由以外は奪わない。投票や治療、教育、手に職をつけるための訓練を受ける、といった権利は、塀の中も外も変わらない。そうした「ノーマリティーの原則」は、ハルデンのいたるところに表れる。
1人ずつに与えられる居室のほか、DVDや本が整然と並ぶ図書室、広々としたサッカーコート、トレーニングジム、それに音楽スタジオも。
フイダル所長は「学校には音楽の授業があるだろう」と説明し、笑って続けた。
「釈放された時に趣味があるのが大事。薬より、音楽にはまる方がずっと良い」
恋人や配偶者と面会するための個室もあり、入り口のかごにはコンドームがどっさり入っていた。子どもがいる場合、一緒に宿泊できる専用の部屋もある。庭付きで、子どもが喜びそうなゲーム機などが置いてある。
設計思想も独特だ。一般に刑務所は、監視・管理しやすさを考え、居住スペースや工場などを同じ建物に集約する。ハルデンは高さ約6メートルの塀に囲まれた約15万平方メートルの敷地に、居住棟、作業・学習棟、事務棟などが点在する。
「『外』では朝、家で起きて、オフィスや学校に行く。同じだ。ここはミニ社会なんだ」。朝、居室の鍵が開けられると、リビングで食事をし、作業・学習棟に作業や勉強に行く。
午後に居住棟に戻って夕食を食べた後は、読書をしたり運動したり。夜は再び居室に入り、鍵がかけられる。フイダル所長は「ノルウェー社会の典型的な生活を送るんだ」と話す。
監視には不都合なのに、もともとあった森の木々を生かして緑豊かな環境を残したのも、受刑者が「外」と同じように、心の平穏を感じられるようにとの配慮だ。建設費は約148億円(1ノルウェークローネ=13.5円)にのぼったという。
そこまでするのはなぜか。
答えは、更生と社会復帰のためだ。ノルウェーには死刑も終身刑もない。量刑も日本などと比べると軽く、凶悪犯も原則、釈放されて社会へと戻っていく。
「ここにいるのは、やがてあなたの隣人になる人たちだ。どんな人に隣人になって欲しいか、ということだ」とフイダル所長。厳しく抑圧的な処遇は、社会への怒りや復讐心を秘めた隣人を育むことになる、と説明する。
「私たちの仕事は、良き隣人を育て、釈放することなんだ」
北欧ならではの手厚い福祉や人権意識の高さが背景にあるのかと思いきや、ノルウェーも少し前まで、受刑者に厳しい処遇をしていたという。
だが、逃走や抵抗が頻発し、刑務官が殺害される事件も発生。再犯率は60~70%に高止まりしていたという。
「取り組みを変えなければならないという機運が生じた」とフイダル所長。1990年代後半から更生と社会復帰に焦点をあて、犯罪の背景にある教育機会の欠如や無職状態、家庭内の不和などの課題を見つけ出し、解決するアプローチに変更した。
教育や職業訓練を与えて不足しているものを補い、さらに「外」に近い環境で日常生活を続ける習慣を身につけ、コミュニケーションスキルも磨くというものだ。
再犯率は劇的に下がり、矯正当局によれば、2014~18年の再犯率(出所後2年以内)は10%台後半から20%台前半に。北欧諸国でも最低水準に抑え込んでいる。
社会復帰へのモチベーションを高めるのに必要なのは、ハード面だけではない。整った環境や設備、豊富な教育・職業プログラムに目がいきがちだが、刑務官と受刑者の関係こそ重要という。
刑務官はできるだけ、受刑者と一緒の時間を過ごす。ご飯を食べ、ゲームやスポーツを楽しみ、打ち解けて話し合う。そうして、更生への「伴走者」になる。
所内を歩くフイダル所長に、受刑者から次々と声がかかる。「(スタッフの)夏休みでアクティビティーが少ない」「もっと作業がしたい。賃金(1日約1000円)も上げて」「今日は日本メディアの取材か。大きく取り上げられたら、たくさん予算がつくかもね」。所長へのおそれや敬意より、親しみがにじむ。フイダル所長も「文句ばかり言うなら、別の刑務所に送るぞ」と冗談まじりで答える。
ノルウェーで刑務官になるには、2年程度、専門の教育機関で法律や犯罪学、倫理学などを学ぶ。
受刑者252人に対し、全体で290人のスタッフがいて、このうち刑務官は約170人。女性に人気の職業で、半数が女性という。教師やソーシャルワーカーとして所内で働く人たちにも女性が目立つ。
女性刑務官の1人は「怖いと思った経験? ありません。受刑者同士のトラブルはありますけど、仲裁は女性の方が上手ですよ」と笑った。フイダル所長は「オスロの目抜き通りより、ここの方が安全だ」と自信たっぷりだ。
受刑者は何を思うのか。
部屋を見せてくれたトミーさんは「ここに来られて本当に良かった。感謝している」。
父親も母親もいない。中学には通ったが、高校はやめた。14歳から犯罪を繰り返し、これまで10回以上刑務所に入ったという。今回は麻薬の密売や強盗などで4年半の判決。ハルデンで薬物中毒から脱するための治療を受けている。
さらに役立ったのは、自分の感情を話すプログラムを受講したことだった。「どんな問題を抱えているのか、自分で分かるようになったんだ。見てくれ」。人を失う悲しみついて書いた詩が壁に貼ってあった。「人生は短い。犯罪はもう嫌だ。今度こそやり直す」と力を込める。
クリスチャンさん(44)も薬物の密売や使用で何度も刑務所に入ったという。治療に加え、3年間勉強し、産業機械を扱う技師の免許を取った。
「学歴がなくて仕事もなかったけど、彼らが手伝ってくれた」と、傍らのスタッフに目を向けた。スウェーデンの刑務所にも入ったことがあるというクリスチャンさんは、「ここに文句はない。満足している」とまで言う。
「それでも社会に戻りたいですか?」と尋ねると、声を強めた。「家族や友達から引き離されているんだ。すごく家に帰りたい」。空白が多い履歴書で仕事を見つけられるのか不安はあるが、次こそはと誓い、残る日々を送る。
2人とも、ハルデンは2回目という。「環境さえ整えれば、人は変わる」というほど甘くない。ただ、何度犯罪を繰り返す人に対しても、やり直しを支えようという土壌があるのは間違いない。
ハルデンより、さらに「自由」な刑務所もあった。
オスロからバスで北へ3時間。フィヨルドに浮かぶ周囲1キロメートル余りの小さな島に、バルドレス刑務所はある。
塀も柵もなく、対岸と結ぶ1本の橋に申し訳程度に遮断機があるだけ。25人の男性受刑者は、5人ずつのグループに分かれ、避暑地のコテージのような建物で生活している。
ノルウェーでは、刑期の最初をハルデンのような警備が厳重な刑務所で過ごし、釈放が近くなるとバルドレスのような刑務所に移ることが多い。そこでより自律した生活を送りつつ、実践的な職業訓練や島外にある会社に通勤するといった経験を積む。家族らとの面会も、空きがあれば時間を延長できるなど、制約はぐっと少なくなる。
自然豊かな静かな島で、畑で作業している姿を見ていると、刑務所とは信じがたい。地元の人でなければ、ノルウェー人でも刑務所とは思わないだろう。
「30年で4人が逃走したと聞いた」と矯正当局の担当者クヌート・アーレ・スベンケルートさん(51)。それは一応、「逃げ出したい場所」の証拠だろうか。
5人の受刑者が取材に応じるため集まってくれた。場所はこの刑務所が力を入れて取り組む「グループトーク」をするテントだ。
普段は自分の犯したこと、家族のこと、薬や酒のことなど、率直に話し合い、悩みや苦しみを共有するという。トークには元受刑者も参加する。
ソーシャルワーカーのハンネ・グルーネングさん(53)は「更生して社会で生きている彼らの存在が、受刑者にとってモチベーションにもなる」と言う。テントの中は昼でも中は薄暗く、たき火がたいてあって、話しやすい雰囲気だ。
ーー日本の刑務所と比べると、ずっと快適そうです。生活はどうですか?
エミルさん(25)は「ノルウェーの刑務所がサマーキャンプみたいとか、ホテルみたいとか、言われているのは知ってる。だけど、会いたい時に彼女と会えない。それはとてもつらいんだ」。他の受刑者もうなずく。
ーー被害者について考えることは?
シェルさん(39)が即答した。「いつも考える。犠牲者にも、家族にも、恥の感覚しかない」
ーー更生に必要なのは何だと思いますか?
ゲイルさん(59)は「悪いことをしてここに来た。でも、ここで感じたのは、助けてもらった、気遣ってもらったという感覚なんだ。それがとても大事だった」
30分ほど話した後、5人で島内を一通り案内してくれた。全て終わると、ゲイルさんが「じゃあ、我々は夏休みの続き、いや違う、作業に戻るぞ」と皆を笑わせた。
施設の大小や設備の新旧に違いはあっても、ノルウェーの刑務所を貫く「ノーマリティーの原則」は同じだ。
だが、特にハルデンの開設以降、刑務所のあり方は、主に海外で賛否を呼んだ。「豪華すぎる」「甘すぎる」といった取り上げられ方も少なくない。
それでも開設時からハルデンのトップを務めるフイダル所長は意に介さない。
「先週だけでアメリカから3組の訪問があった。どうしてだと思う? 何か学べるもの、持ち帰るものがあると思うから、みんな見に来るんだ」