逃亡犯条例改正めぐるデモ描く(あらすじ)
映画は、2019年に香港で起きた一連の民主化を求めるデモに肉薄する。デモの発端は、犯罪容疑者の中国本土引き渡しを可能にする逃亡犯条例改正案が立法会に提出されたことだった。
参加者たちは「逃亡犯条例改正案の完全撤回」「普通選挙の導入」などを五大要求として掲げた。6月半ばのデモは200万人(主催側発表)にまで膨れ上がる。
デモ隊は7月には立法会を占拠。制圧されるが、警察隊との衝突は日増しに激化する。10代の少年の姿も目立つ。催涙弾、ゴム弾、火炎瓶が飛び交う。
デモ隊は11月には香港中文大学、香港理工大学に籠城する。立法会、地下鉄駅、香港中文大学、香港理工大学などの場面が組み合わされ、運動の大きなうねりを記録していく。
チョウ監督との主なやり取りは次のとおり。
――どのようなきっかけで、この作品を撮影することになったのでしょうか。
2019年のデモが始まった時、自分に何ができるか、と思いました。僕自身がもともと劇映画の撮影をしていたこともあって、自分たちの政府がなくなり、警察への信頼が失われ、人と人の気持ちが今まで以上に団結している状況下で、映画人としてドキュメンタリーを撮ろうと思い立ちました。デモ隊にシンパシーを感じましたし、歴史的に残そうという気持ちもありました。
今回のデモは期間が長く、内容がかなり複雑で豊富でした。一つの事件だけでなく、全体的にとらえようと思いました。
そして、何よりも、この運動の本質を撮りたいと思いました。
本質の一つですが、まず、このデモはリーダー不在です。
これを映し出すには、多くのインタビューを行わないといけない。結局、10~30代を中心に、20人以上にインタビューをしました。20人の立ち位置や彼らの役割を映し出すために、おおむね各人にインタビューを2回はしました。期間は、香港理工大学の事件の前と後。このうち、3人には3回しました。インタビュー時間は1回6時間くらいでした。
本質のもうひとつは、このデモ特有の概念です。例えば「和理非」「勇武」という概念。「和理非」派は平和的なデモをする。「勇武」派は戦闘的。でも「和理非」は「勇武」を否定しない。
そういうあり方の本質をとらえるのに、例えば、平和的であっても、勇武の前線の学生たちを、体を張って警察から守る「陳おじさん」に焦点をあてる。
「水になれ」という言葉をどういう風に映し出すべきか。「パパ」「ママ」と呼ばれる存在が出てきて、仲間同士の愛情関係が家庭のようになっている現象をどう描くか。この運動にしか出てこなかった概念も、一種の本質だと思っています。
本質を映し出すことが、映画で最も重要なことであって、僕の責任でもあると感じました。
――インタビューに応じた人たちは「ノーボディ」など匿名で、ほとんどの場合、顔はぼかされています。
彼らの目は本当は隠したくなかったです。
観客にこの目を見ていただきたかったのですが、国安法の施行後、ひとりひとりに許可をもらおうとしたら、「やはり目を隠してほしい」ということだったので、やむなくそうしました。
僕の美学では、目の訴えがかなり大事だと思っていたので残念でしたが、彼らの安全に配慮する必要がありました。
ただ、最終的に隠すことによって「恐怖に満ちているからここまでしなければならないのか」というような雰囲気も醸し出されています。
彼らの目は、僕たちの想像と異なり、勇気のある目ではなくて、意外に、初々しくも衰弱している感じでした。
確かに、目の奥に決心が見えるものもありましたが、決心しつつ実はすごく怖がっている目つきをしていました。
――青年が警官に突然銃撃されるショッキングな場面もあります。生々しい映像も含めて撮影していますが、どのくらいの人数で、どうやって撮影したのでしょうか。
3分の2が、カメラマン約10人からなる僕のチームの撮影で、残りの3分1が他の人の映像やメディアのシーンで構成しています。
200万人デモを上空からドローンで撮影した映像ですが、提供映像です。自前で撮るのは、資金的に難しかったです。
先ほどの「水になれ」という概念の表現には、ドローン撮影が最適だったのです。警察隊の接近に対して、多数のデモ参加者がどのように分散して去っていくかが一番把握しやすかった。
編集の終盤で、ネットで検索していると、自分がすごくほしかったシーンを撮影した人がいることが分かりました。このシーンを入れたら完璧だ、と思い、その方に連絡したら快諾をいただけました。神様からのプレゼントだと思いました。
ショッキングなシーンは、本当は見たくないですし、正直、撮影したくないと思う時もありました。何よりも、そういう人たちを見て、助けられない自分が苦しかったです。
身体的にも、不安な面がありました。スプレーが直接、顔にかかったり、ゴム弾がヘルメットにあたったり。ヘルメットに穴が開きましたから、危うく、自分の頭に穴が開いていたところでした。催涙弾を浴びることも多々ありました。放水車の水は、体にかかると、ぴりぴりするんですね。
体へのダメージはかなりありましたが、やはり自分自身、渦中の人たちを助けられないという怒りや悲しみの方が強く、こたえました。
――当初「五大要求」を掲げていたデモ側は、次第に、白シャツ隊や警官隊との闘争に発展し、暴力化していったようにも見えます。そうした運動の変容のようなものは感じましたか。
最初に、運動の基礎として、穏健派が「五大要求」を掲げていたのは確かです。もともと警察の暴力の追及というのも「五大要求」の一つでしたが、香港政府や警察から完全に無視されている一項目でした。
のちにデモ隊が闘争的になっていく最大の原因は、実際は警察側の暴力にあると思います。催涙弾、ゴム弾、実弾などを使い、警察は暴力をふるい続けましたが、ほとんどの警官が法的に裁かれていない。不公正への怒りはレベルアップしていったと思います。
正直に言って、個人的には暴力はよくないと思います。ただ、事の発端はなんだったのか。法に裁かれない警察の方に問題があるのです。警察の不正が原因で、デモ隊の暴力は結果に過ぎません。
――香港の表現者の多くが自由を求めて海外に移住しているようですが、監督はなぜ、香港に踏みとどまっているのでしょうか。非常に勇気のある姿勢だと思います。
ひとことで言えば、恐怖に負けたくないからです。
多くの人は、恐怖を感じるから自由の地に行くということなのでしょうが、僕はその真逆ですね。そういう方々を非難はしませんが、恐怖から逃れるために自由の地に行く場合、その恐怖を抱いたままになってしまいます。
僕は、この香港で徹底的な自由を味わいたい。逮捕されると自由がなくなると思う人は多いでしょうが、内心の自由は守れるはずです。
それから、もともと僕はキリスト教徒です。僕の中には信念があります。恐怖すべきものは、キリスト教の神であって、中国共産党ではありません。
家庭の支持は得ています。幼い息子は今の香港がおかしいと理解しています。「パパと一緒に美しい香港に帰ろう」と励まされています。だからこそ、今頑張ろうという気持ちも強まりました。
――2019年のデモは鎮静化され、2020年には国安法が施行されます。映画「時代革命」は香港での上映は禁止されていますが、海外での公開が相次いでいます。2019年以降、現在に至るまで、監督を取り巻く環境に、どんな変化がありましたか。
新しい劇映画を作ろうと思ったのですが、「時代革命」の海外での公開によって、出資者は次々と手を引き、俳優たちのキャンセルもありました。
僕は映画学校の講師の仕事もしていますが、キャンセルされることもある。今年6月の警察署長の記者会見で公表されたのですが、インターネットで「時代革命」と検索しただけで逮捕される場合がある、ということです。警察側はこの映画は見てほしくないのでしょうね。
――盗聴や監視など、危険に見舞われたことはありませんか。
盗聴されてもおかしくないと思いますが、今のところ、されている気配は感じません。監視も感じないです。
でも、そういうことがあっても、恐怖を覚えないことが大事です。自分の妄想でかき立ててしまう恐怖も多いと思うのです。それによって、自分の言いたいことが言えなくなってしまう。人生がもったいないです。いろいろなインタビューを受けても、自分の中の恐怖と闘いながら、言いたいことは全部言うようにしています。
今回のデモは失敗だったという人もいますが、僕はある種の成功だったと思います。香港人の人間性、内面性の美しさが表出したと思うのです。
香港人が、心の善良をどう覚醒させたのかを描きつつ、中国共産党側がどういうことをしたのかも描いているわけです。
――今年7月に就任した香港の行政長官は警察出身です。取り締まりはますます厳しくなるのかもしれません。そんな中、香港の将来について、どんな展望をお持ちでしょうか。
将来は「今」でもあります。今現在を見ると、将来も想像できる。香港は今でも暗いですよ。本当に暗い。しかし、暗さに反抗して、僕を含め1人でも多くの人が光を発さないといけないです。
最近、友人2人の送別会をしました。2人は海外移住ではなく、刑務所に入りました。今の政府にとっての政治犯なので、ある意味、光栄なことでしょう。2人は刑務所に入っても信念を抱き続けて、光を発しようとしています。
もちろんリスクはあります。「光復香港、時代革命」※)というスローガンを口にするだけでも逮捕されます。
僕にできるのは、それらのリスクを受け入れるしかないんですよね、そのうえで、いつも通り、今まで通りに正常な自分でいることが大切なのです。
たとえ、この瞬間、刑務所に入っても、そこで台本は書けます。出資者には拒否されてしまいましたが、また新たな出資者を見つければいいですし、新たな俳優を見つければいいと思います。
恐怖と闘い、間違っていないと思うことをいつも通りやり続ける、そこに徹底的な自由があると信じています。