――作品中に、香港の闘争の歴史の再現ドラマが出てきます。天安門事件や文化大革命など中国本土や香港の歴史の節々に出てくる活動家らを演じているのが、現代のデモ参加者の若者という点が興味深いです。どんな狙いがあったのでしょうか。
実は、当初この手法を採り入れた目的は、実験でした。ドキュメンタリー映画とはいえ、いろいろやれることもあるんですよ、ということを観客の皆さんに見せたかったんです。
でも、実際やってみて、気づいたことが一つあります。
いくら頑張っても、再現した歴史の部分と本当の歴史との間には埋められないギャップがあります。当時の活動家が語った言葉や記録に基づいて衣装やセットなど忠実に作っても実際の人物に聞くと、「いや、やっぱりちょっと違いますね」となる。だから、どうしてもまったく同じようには再現できない。
それでも、2019年の運動に参加した香港の若者が、過去のいろんな暴動や運動に参加した当時の香港の若者を演じることによって、実は同じ体験をしているという共通点があるのです。
両者は、その暴動・運動に参加したことで、逮捕されて裁判にかけられたり、刑務所に入れられたり、最終的に香港を離れるか否かという選択も迫られたりしました。
過去の運動に参加した若者も、今の運動に参加した若者もみんな同じように傷つけられる体験をしました。そうすると身分や時代、政治的立場が違っていても、変わらないものを映画の中で表現することができたのです。
観客の立場からすると、見ているのは香港の歴史だけでも、フィクションだけでもない。どちらかというと、実際に運動に参加したリアルな人物が、過去の運動に参加したリアルな人物を演じていて、重なり合う部分を浮き彫りにすることができたという点が、とても意義のあることだったと思います。
――再現ドラマの舞台裏の楽屋で、若者が髪をカットしたり、メイクをしたりしながら、これから演じる過去の活動家の姿と自分とを重ねているシーンもありました。配役の段階から、プロの俳優ではない民主化運動に参加した若者たちをあえて選んだということですか。
そうですね。最初はプロの俳優にも出演を打診して、オーディションにも来てくれたんですが、映画の内容がとても政治的なので、彼らは自分のキャリアに影響が及ぶのではないかと心配していました。
一方で、素人の皆さんにも募集をかけました。結果、こっちの方が人物像が豊かになって、よいと思ったんです。
では、どうやってこうした素人の人たちを見つけたかというと、2019年の運動を展開したときに関係者の間で「テレグラム」(匿名性の高い通信アプリ)のグループをつくって、お互いの連絡や逮捕者が出た時にどんな法的支援が受けられるか、どうやって仕事を見つけるか、といった様々な情報交換の目的に利用していたわけです。
そのテレグラムのグループの中で役者を募集していると投稿したら、たくさんの人から応募があったんです。私が以前、雨傘運動のドキュメンタリー映画を撮った監督として知られていたため、皆さんが私のことを信用してくれたのかもしれません。
大勢の人がオーディションに来て、実際、その中から何人かは主役を務め、何人かは端役やエキストラの形で協力してくれました。
――過去の運動のアーカイブ映像と、再現ドラマと、現代のリアルタイムの運動の映像と、さまざまな映像が折り重なって、最初は少し戸惑いますが、見ているうちに現代の若者にもシンパシーを感じ、また過去の活動家の気持ちも理解できて、最後はとても引き込まれます。
そう聞いて、大変うれしいです。
編集の段階でとても心配していたのは、まさにこのことなんです。つまり、あまりにも構成が複雑で、しかも情報量が多い。つまり観客が作品を見て「この人って誰?」と顔を覚えられないのではないかと。引き込まれていったことは本当にうれしいです。ありがとうございます。
――作品には、親中派が起こした1967年の香港六七暴動*に身を投じた年配の男性と、現在の民主化運動で当局に逮捕勾留された若い男性の2人が、牢獄のセットの中で語り合うシーンがあります。逮捕歴や体制に抗議する気持ちは共通しつつも、政治的立場はまったく異なります。彼らは、通じるものがあったといえますか。
香港六七暴動*=1967年5月に起きた、香港を統治していたイギリス政府に対する抵抗を目的とした親中派による大型暴動
この場面は、個人的に大好きな場面の一つです。
この年配の人と若い人の間で、潜在的なある種の対立、議論が存在していると思うんです。片方は親中であり、片方は反中です。片方は自分を中国人と思っていて、片方の若者は自分は中国人ではなく、香港人だと思っている。
この真っ向から対立する立場の2人を牢獄のセットの中に座らせてお互いに対峙(たいじ)させました。
そうすると、年配の人は若い人を見て、暴動に参加したことで捕らわれて投獄された若者は若い時の自分とどこか似ていると気づきます。若い人もしかり。
それらは、まったく同じ経験なんです。だからこの場面は、過去の若者と今の若者が結びつくような、若い人にとっては未来を少し想像でき、年配の人は過去の自分をもう一度見つめることができるという意味が込められています。
政治的に対立していたとしても、こういった運動に参加することで経験したことは同じなんだと、普通のドラマでは得られない効果をこの場面では得られました。
――年配の男性はビジネスマンです。彼のようにビジネスで成功して、裕福で、社会的地位もあり、中国に親近感を持っていて、香港の民主化運動を冷めた目で見ている人が一定程度いるということもまた、香港のリアルなのでしょうか。それも含めて香港人というアイデンティティーなのでしょうか。
その通りだと思います。
これもまた香港人のアイデンティティーの一つの側面だと思いますし、今の香港人の間で、彼のような考えを持つ人が占める割合は結構大きいと思います。
中国が好きで、商売で成功していて、中国の価値観を信じていて、自分も中国人だと考えているわけです。彼の存在は、この映画の中で非常に重要になってきます。
とはいえ彼は、若者に対しては、彼なりのある種のシンパシー、同情心を実は持っています。言葉では言わないかもしれないけれど。ここが、とても大切な部分だと思っています。
政治的な立場が違っていても、相手に対する理解、あるいは受け入れる姿勢、こういった気持ち、余裕といったものが時には必要だと思いませんか。私はとても大事だと思うんです。
ところが今の香港の問題は、政治的に対立する相手の言うことは一切受け入れることができない、議論すらもできない、相手の言うことを全部封じ、禁じようとするわけです。
これは問題だと思います。
作品に、彼のような人物が登場することによって、いろんな示唆をしているわけです。
お互い立場は対立していても、語り合って、議論して、時には相手も受け入れる。これこそ民主主義の土台ではないですか。だから、(若者と語り合う姿を見せた)年配の男性も、香港人のアイデンティティーの一部分だと思います。
――香港でデモ参加者が減っていたり、天安門事件の追悼集会が開けなかったり、抗議活動に加わった人が訴追される恐怖におびえている姿を見たりすると、閉塞(へいそく)的な印象を受けますが、監督は、今の香港の空気をどう感じていますか。
恐怖は人為的に作り出されていると考えています。国安法という、とんでもない法律が作られました。とてもあいまいで、どこからが違反になるのか分からない。こうした法律によって、今までの香港はすっかり変わってしまった状況にあります。
以前なら「リンゴ日報」**が発行され、天安門事件が起きた6月4日になったらビクトリア公園で犠牲者の追悼集会を開き、町に出てデモをするなど自由に行われてきましたが、今はみんな、消えてしまいました。
リンゴ日報**=中国共産党に批判的だった香港紙。2021年に国安法違反容疑で摘発され廃刊に追い込まれた。
たとえるなら、今までとても明るかった部屋が、突如、電気が消されて真っ暗闇になった中に私たちはいます。
最初はみんなびっくりしますよね。そして、次第に恐怖を覚えます。でも暗闇の中で今でも香港にはたくさんの人が残っていて、彼らは自分がやるべきことを一生懸命やっているし、それを目にすることができます。
暗闇の中でも、人間の目というものは見つめています。暗闇の中でも、相手の目の輝きはだんだん見えてきます。これは、ある意味、希望だと思うんです。
――作品の最後は、訴追され、法廷で被告人席に座らされた大勢の香港の人々がカメラをまっすぐに見つめる映像が流れます。市井の人もいれば、著名な民主活動家のジョシュア・ウォン(黄之鋒)氏の姿もありました。
この場面は、たくさんの人の映像をただ並べているだけですが、これには大きな意味があります。この人たちのうち何人かはその後、刑務所に入ったり、一部の人は香港から離れていたりしています。
でも、それでも構わない。みんな無言ですが、私たちはこの映像から何らかの力を感じるとることができると思います。
つまり、これらは決して消極的な映像ではなくて、私はむしろ、この人たちの目から、輝きや希望といったものを見いだすことができると思っています。
――人々に希望は残っているし、監督も自由な香港を取り戻すという希望を持ち続けているということですね。監督が日本の観客に期待することはなんですか。
香港人も、香港を離れたり、世界の各地に散らばったりしました。
でも、それでもいいんです。香港にいる人、香港以外にいる人、みんながこの映画を見て、香港に残っている香港人のことや、獄中にいる民主派の人たちのことを決して忘れないこと、そして民主化運動を引き続き支持してくれることを願っています。
2014年の雨傘運動の前もその後も、日本の皆さんは常に香港に大きな関心を持ってくれて、いつも香港の民主主義を支持する人を応援してくれました。私の前作『乱世備忘 僕らの雨傘運動』もそうですが、当時、日本はワールドプレミアで唯一、作品を上映できた国なんです。この作品もそうです。
特に、制作に取りかかってからのこの5年間は大きな変化がありました。当初は、完成したら香港でも公開できると考えていましたが、今の状況をみると、もうとても無理なんです。制作は本当に大変困難な状況でしたが、初期の段階から日本の会社が一生懸命応援してくれて、いろんな協力を得て、ようやくこの映画が完成しました。
ミャンマーやアフガニスタン、ウクライナなど、いま世界では様々な大きなできごとが起きています。ですから、とても難しいことだと思うんですが、せめて香港にはこういう人たちがいた、こんな出来事があった、どうしてこんなことになったのか、そういったことをこの作品を通して、理解を深めることができればいいなと思っています。私たちはとにかく、自分の今いる場所や立場で、引き続きやるべきことをやっていくことがとても大事だと考えています。