■作品がタリバーンの怒り買った
――難民になる前のカブールでの暮らしはどうでしたか。
決して裕福ではないけれど、ごく普通の生活をしていました。女優で映画監督でもある妻ファティマ(29)と、カブールで「アートカフェ」という、文化センターのような施設を運営していました。本を朗読したり、音楽を聴いたり、若者に映画作りを教えるワークショップを開いたり。武装勢力に加わって女性や子供に暴力を振るうアフガニスタンの若者たちに教育を授けたいという思いもありました。私はアフガニスタンに残るつもりでしたが、タリバーンに入った友人から監督の私の殺害命令も出ていると知らされ、逃げるしかなかったのです。
――タジキスタンでの難民申請は認められませんでした。
タジキスタンに残りたければ賄賂を払えと言われました。国連難民高等弁務官(UNHCR)の現地事務所や、いろいろな国の大使館に助けを求めましたが認められず、他の国へ行くか、アフガニスタンに戻るかしかなくなりました。当時、タジキスタンにいるアフガニスタン難民は欧州を目指す人が多かったので、私たちも命がけで欧州へ行くことにしたのです。
――まさか自分が難民になるとは思わなかったのではないですか。
その通りで、今でもとても不思議な気持ちです。日本の人たちは、なぜ難民になるのだろうと疑問に思うかもしれませんね。私たちだけでなく、ほかの人たちにも、その道を選ばざるを得なかった事情があります。(紙片の隅を小さくちぎって見せ)これが今の私たち。タリバーンという嵐のせいで、祖国アフガニスタンという木から落ちてしまった葉っぱです。木にとどまることも、地上に落ちることも許されず、風に吹かれて空中をくるくるとさまよっている。ドイツに暮らす今も、まだ落ち着かない状況です。国境や難民認定のルールが、私たちが地上で休むことを阻んでいるのです。
■旅路を記録した思い
――難民となった自分と家族を撮影しようと決意したのはなぜですか。
当時は、娘たちの安全のために、すぐにアフガニスタンを出国せざるを得ない状況でした。安全な欧州へ行き、娘たちに自転車を買って、学校へ通わせ、希望を与えたいと決意していましたが、生きてたどり着けるかは分かりませんでした。願ったことではないけれど、私たちが置かれたこうした状況はドキュメンタリーの題材にぴったりだし、もし途中で命を落としてしまったら、スマートフォンの動画から、私たち自身の記録やたどったルートを知ることができるとも考えました。
――スマートフォン3台で撮影したのですか。
3台を同時に持っていたことはないんです。最初は2台持っていたのが、1台が壊れて1台を買い足したんです。動画を撮影し、電話をかけ、子供が音楽を聴いたりアニメを見たりするのに1台のスマートフォンでやりくりしていた時期もありました。スマートフォンや記録メディア、充電器を買うお金は、貯蓄や生活費を削って捻出しました。
――今までの旅路を振り返ってつらかったのはどんな時ですか。
妻と娘の置かれた状況が悪化すると、夫や父親としては何もしてあげられずにつらいのに、映画監督としては「いいシーンが撮れる」とうれしい気持ちになってしまい、悩みました。娘が泣いている時、撮影している自分もまた、スマートフォンを向けながら涙しているのです。でも監督としての自分は心の中で「いいね」と思ってしまう。自分が人間の心を失って、悪魔になってしまったのではと感じました。
■難民の今、映画で知ってほしい
――今のドイツでの暮らしについて教えてください。
ドイツ西部の小さな村で暮らしています。子供たちは学校でドイツ語を習っていて、ドイツ語を話せない私たちの通訳になってくれます。友達もたくさんできたようです。長女ナルギスはダンスや歌が大好きで、将来の夢は女優になること。次女ザフラの夢は家族のマネジャーになることです。ドイツ政府からは(EU域内で最初に難民認定を受けた)ハンガリーに戻るよう求められているため、弁護士を立てて、ドイツに暮らすことを認めるよう交渉しています。今は、親切なドイツの友人に出会えて、子供たちは学校にも通えてよい生活ができているという思いと同時に、ドイツ政府が定住を認めてくれるか分からないという不安があります。
ファティマ:旅の間は、母親として罪悪感がありました。できるだけ子供たちを安心させて、心配させまいと振る舞いましたが、ブルガリアでヘイトクライムに遭った時は娘たちがとても怖がって、親として失格だという気持ちになりました。森の中で5日間も野宿した時は寒かったり、食料が十分なかったりもして、子供たちをこんなつらい目に遭わせてしまったと申し訳なく思いました。
不法入国している事実も、ナルギスは次第に気づいたようでした。でも、子供たちのよりよい未来のためなんだと自分に言い聞かせました。ナルギスは、あれから何年かたつ今も、森へピクニックやハイキングに行くことを怖がります。みんなでお弁当を食べたりして楽しいことだよと教えても、嫌がるんです。
映画が上映されることで、私たちだけではなく、多くの難民たちが抱える問題を伝えられてうれしく思います。私は、世界の人々が紛争によって他国へ逃れる必要がなく、日本のように平和で、誰もが安全に暮らせるようになることを願っています。アフガニスタン情勢は私たちが逃れた時よりさらに悪化しています。でも暮らしや子供の頃の思い出は祖国に残してきました。体はドイツにあるけれど、心はアフガニスタンにあるのです。安全になった祖国で暮らすのが私たちの願いです。
■10月4日と13日、東京と名古屋で上映
「ミッドナイト・トラベラー」は今年のベルリン国際映画祭パノラマ部門エキュメニカル審査員賞を受賞。UNHCR WILL2LIVE映画祭2019での今後の上映は、①10月4日(金)東京文京シビックホール(定員350人)で18:00から、②10月13日(日)名古屋国際センター(定員180人)で14:30から、③10月14日(月)名古屋国際センター(定員180人)で11:30から。事前申し込み不要で入場無料。上映45分前から会場で先着順に整理券を配布する。詳細は公式サイトへ。
(取材協力・吉成ナヒード)