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クック諸島、独立したら誇り生まれた パスポートなくても「心に余裕」ある暮らし

World Now 更新日: 公開日:
島南部にあるティティカベカ・カレッジのウナリイ・ヴァカティニータファレ先生と生徒たち
島南部にあるティティカベカ・カレッジのウナリイ・ヴァカティニータファレ先生(31、右)と生徒たち=2022年6月24日、クック諸島ラロトンガ島、荒ちひろ撮影

クック諸島の15の島々のうち、人が住んでいるのは12島。中でも、首都アバルアがあるラロトンガ島には、国の人口約1万8000人の7割ほどが集まる。美しいビーチなど観光資源に恵まれ、コロナ禍の前には年間で人口の10倍もの観光客が訪れていた。

クック諸島の位置=Googleマップより
クック諸島の説明文

舞台演出家で映画制作も手がけるグレンダ・トゥアイネさん(55)は、夫とともにクック諸島で暮らしてまもなく20年になる。独立後の1967年にNZで生まれ育ったが、父方の祖父のルーツがあり、自身もNZパスポートにクック諸島のスタンプがある「クック諸島人」だ。

グレンダさんは「私が初めてクック諸島に来たのは、26歳のとき。私も両親もNZで生まれ育ちで、当時、NZに住む多くの人々は太平洋の小さな島にルーツがあることがそんなにいいものだとは思っていなかった」と話す。

「移住するのは『NZへ』であって、NZから『島へ』ではなかったし、NZこそが、人々が成功を夢見る地だった。私が子どものころ、父が『ココナツは地元へ帰れ』というような差別的な言葉をかけられていたのを覚えている」

自身のパスポートを見せるグレンダ・トゥアイネさん。ニュージーランドのパスポートだが、クック諸島人であることを証明するスタンプが押してある=2022年6月23日、クック諸島ラロトンガ島、荒ちひろ撮影
自身のパスポートを見せるグレンダ・トゥアイネさん。ニュージーランドのパスポートだが、クック諸島人であることを証明するスタンプが押してある=2022年6月23日、クック諸島ラロトンガ島、荒ちひろ撮影

だが独立を機に、そうした島への意識は少しずつ変化していった。

「私や夫の世代は、逆に『島へ』帰りたがっている人も多い。65年の独立を境に、『パシフィック・プライド(太平洋の誇り)』、自分たちのルーツへの誇りが生まれたことが大きいと思う。それに、国の語られ方も変わった。『島へ帰れ』なんて差別的なことは許されないのだと、人々が気づくようになった」

同時に、「クック諸島の上に立つ『統治者』ではなく、NZもまた、太平洋の国々の一つなんだという意識が芽生えていった」と、NZの自らに対する認識も変わっていったと指摘する。

次第に、クック諸島にルーツがあることは、実はとても恵まれているのだと気づき始めたというグレンダさん。NZで出会った夫も、母親がクック諸島出身だった。結婚後、毎年3カ月間ほどをクック諸島で過ごす生活を続けるうちに、島に「戻りたい」という気持ちが強くなっていった。

「NZでは、毎分、毎時間のすべてが仕事のために生きているようだった。もちろん舞台芸術の仕事は大好きだけど、それでもクック諸島に戻る度に、土地に根付いて本当に生きているって感じがした。仕事で、オーストラリアにもヨーロッパにも行ったけど、ここに戻ってくると、自分にとって正しい場所にいる、自分の人生を生きている、っていう感覚がある」

クック諸島の観光局が幹部職員を募集していたのを機に、移住。現在は、舞台のプロデュースや映画制作のほか、子どものための演劇プログラムのボランティアなどクック諸島で忙しい日々を送る。

乳製品をはじめ輸入品は高いし、何でもお店に行って買えば良い、という生活ではない。代わりを見つけたり、手作りしたりしないといけない。決して便利な生活ではないことに気づいて、自分には向かないと、移住を考え直す人もいる。

「私だってときどき、何でも手軽にお店で買えれば良いのにと思うこともあるし、おいしい日本食レストランがあれば良いのにって思うこともある」

それでも、クック諸島の暮らしには「心の余裕がある」という。

「もちろん仕事は忙しいけど、余計なものが少ない。目的地につくまでに何時間も移動しなくて良いし、駐車場を探す必要も、駐車場代を払う必要もない。信号も、渋滞もない。選択肢が少ない分、シンプルで、悩みも少ないし、本当にやりたいことに時間を使える。その分、心にもゆとりが生まれ、より人に与えることができる」

それに、と付け加えた。

「小さな国だから、互いに近くならざるを得ない。目の前で誰かが困っていたら、立ち止まって助けるでしょう」

パスポートはNZのものだけど、クック諸島は「国」だと思いますか。そう聞くと、「もちろん」と即答した。

「パスポートは物事を円滑に進めるための道具だけど、実に西洋的な概念でもある。パスポートが、私たちが国かどうかを決めるんじゃない。国とは、自分たちが何者で、何をなすのか、それらに誇りを持つ人々の意識によって形づけられるものだと思う」

日本は2011年3月にクック諸島を国家として承認した。他国から国として認められることは、国民の生活や意識に影響があるのだろうか。

グレンダさんが10年ほど前、米ロサンゼルスを訪れたときのことだ。入国審査官が彼女のパスポートを見て、どこから来たのか聞くので、「クック諸島」と答えたところ、「そんなところは存在しない」と返された。しまいには、「ココ島はあるけど、クック諸島なんてない」と、中米コスタリカの島と間違えられる始末だった。

「他の国から国家として認められると言うことは、とても重要です。だって、少し前まで、クック諸島という国はほとんど認識されていなかったのだから。国際社会に国として認識されるとということは、私たち国民に、自分たちが何者なのかという意識を与えてくれる」

クック諸島ラロトンガ島のビーチ=2022年6月24日、荒ちひろ撮影
クック諸島ラロトンガ島のビーチ=2022年6月24日、荒ちひろ撮影

「私たちは長年、『外の世界の芝生は青い』と教えられてきた。海外ではより便利で簡単な生活がある、もっとお金を稼げる、と。その結果が、島の人口以上のクック諸島人が海外で暮らしている現状だ。私たちは、なぜ人々が国を去ったのか、考えなくてはならない」

そう訴えるのは、クック諸島出身の海洋生物学者のテイナ・ロンゴさん(49)だ。環境保護や伝統文化の継承に取り組むNGO「コレロ・オ・テ・オラウ」の代表を務め、漁業や農業など伝統的な手法を子どもたちに伝える活動に力を入れる。

クック諸島はこの40年でGDPが約25倍に成長。一人当たりのGDPは約1.5万米ドルで、世界約200カ国の中でおよそ60位。大国である中国やロシアより上位にあたる。

だが、テイナさんは、「生活が便利になり、より豊かに、発展したように見えるかもしれないが、世界トップクラスの肥満率など健康問題もある。多くの人が海外に出て行ってしまい、我々は自分たちの文化や言葉を失っている」と危機感を口にする。

クック諸島の海洋生物学者テイナ・ロンゴさん=2022年6月24日、クック諸島ラロトンガ島、荒ちひろ撮影
クック諸島の海洋生物学者テイナ・ロンゴさん=2022年6月24日、クック諸島ラロトンガ島、荒ちひろ撮影

クック諸島の公用語は、クック諸島マオリ語と英語。だが、観光業が大部分を占めるクック諸島で、特に首都アバルアのあるラロトンガ島では、外国人労働者も多く、英語が広く使用されている。

クック諸島マオリ語はユネスコ(国連教育科学文化機関)の「消滅の危機にある言語」に含まれている。政府は、学校でのクック諸島マオリ語や島の伝統的なダンス、歌などの教育にも力を入れるが、大学進学などを機に国を去る若者も多い。スーパーでは、肉や野菜から加工食品まで、主にNZからの輸入品が棚を占める。

「世界中で起きているように、ここクック諸島でも、人々と土地や文化のつながりが弱くなっている。いま伝えていかないと、永遠に失われてしまう」

観光客で混み合う土曜の朝市=2022年6月25日、クック諸島ラロトンガ島、荒ちひろ撮影
観光客で混み合う土曜の朝市=2022年6月25日、クック諸島ラロトンガ島、荒ちひろ撮影

テイナさんは9人きょうだいの一人として、ラロトンガ島で生まれ育った。家では豚やヤギを飼い、畑仕事や魚捕りも日常の一部だった。

9歳のころ、当時のクック諸島の首相が科学者でもあったことを知り、科学の道に憧れた。「学校での成績はよくなかった」といい、高校卒業後、しばらく島で働いたが、あるとき、グアムから研究に訪れた海洋生物学の教授を案内したことがきっかけで、海の生物たちへの知識と情熱を見いだされた。教授のすすめでグアムの大学への進学がかない、さらに米フロリダ州の大学で博士号を取得した。

研究でニュージーランドやハワイ、ミクロネシアなどを訪れ、その土地の先住民のおかれた現状も目の当たりにしてきた。「伝統的な文化や生活が侵食され、ありのままの姿を失っていた。そして自分の国も、同じ方向に向かっていると感じた」。手遅れになる前に行動を起こそうと、2011年に帰国し、活動を始めた。

慣れ親しんできたクック諸島の自然にも、気候変動の影響は如実に表れているという。海面は上昇し、サイクロンは大きくなって被害が甚大になった。海の環境が変わって魚がいなくなり、作物の育つサイクルも変わってしまった。波や風の影響を減らすために重要な木々が伐採され、海岸線が浸食されているーー。

テイナさんは、「先祖代々の暮らしの価値を見直すときだ」と強調する。

「なにも、石器時代の生活に戻ろうと言っているのではありません。土を耕し、野菜を育て、家畜にえさをやる。木々を植え、ココナツを砕き、小さな舟で海に出て、魚を捕る。インターネットは便利だけれど、一日中スマートフォンを操作しているのではなく、ときにはスマホを放っておいて野外で活動するのがいい。少しだけ、昔の生活に戻る必要があるのです」

クック諸島ラロトンガ島の海岸=2022年6月24日、荒ちひろ撮影
クック諸島ラロトンガ島の海岸=2022年6月24日、荒ちひろ撮影

島の自然とともに生きることこそが、この国に生きる人々のアイデンティティーだ。テイナさんはそう表現する。「私たちの先人は、自然の『守り手』として、この島の環境とともに生きてきた。環境を破壊すると言うことは、私たちのアイデンティティーを失うのと同じことなのです」

テイナさんたちの取り組みにとって、小さな国であることはプラスの面もあるという。

「クック諸島は小さい国ですから、私たちの取り組みを人々に広めること、人々の間に『種』をまくことが簡単です。日々の生活に対する人々の意識を変えることは、大きな国では難しくても、小さい国ならうまくいくかもしれません」

クック諸島ラロトンガ島の朝日=2022年6月23日、荒ちひろ撮影
クック諸島ラロトンガ島の朝日=2022年6月23日、荒ちひろ撮影

大阪出身のダニエル・香奈さん(49)は20年前、趣味のダイビングがきっかけでクック諸島を訪れ、観光関係の仕事を得て移住した。クック諸島人の夫と結婚し、現在は子どもと3人でラロトンガ島に暮らす。

日本人の香奈さんにとって、それまでNZの一部だったクック諸島は2011年、日本が国家承認したことで「国」になった。

クック諸島に移り住んで20年になるダニエル・香奈さん=2022年6月22日、クック諸島ラロトンガ島、荒ちひろ撮影
クック諸島に移り住んで20年になるダニエル・香奈さん=2022年6月22日、クック諸島ラロトンガ島、荒ちひろ撮影

現地に暮らしていて、何か変化は感じましたかーー。

そう尋ねると、「クック諸島の人たちの日本に対する認知度が上がったと思う。以前は、日本も中国も韓国も、同じような認識だったから」と話した。日本の援助も直接入るようになったといい、つい最近も日本政府からクボタ社製のトラクター3台が寄贈された。

南緯7度から南回帰線に点在するクック諸島は、1年を通して気候は温暖だ。ココナツやパパイアをはじめ、食べられる植物がいたるところでなっている。目の前の豊かな海では魚もとれる。

道を歩いているところを車が通りかかれば、「車に乗っていく?」と声をかけてくれる。誰かが亡くなれば、周りがすぐにお葬式のための寄付を募り始める。顔を合わせれば困りごとはないか声をかけあい、おすそわけも日常茶飯事だ。

「この島にいれば飢えることはないし、凍死することもない。互いに助けてあげるし、助けてくれるやろうっていう、心のゆとりがある」

クック諸島は「ちょうどいいサイズ感」と、香奈さんは言う。

クック諸島の農業省の職員と、日本から寄贈されたトラクター=2022年6月23日、クック諸島ラロトンガ島、荒ちひろ撮影
クック諸島の農業省の職員と、日本から寄贈されたトラクター=2022年6月23日、クック諸島ラロトンガ島、荒ちひろ撮影

コロナ禍では、被雇用者は外国人労働者も含めて最低賃金が保障され、マネジメントや美容関係、自動車や電気関係などの職業訓練支援も充実した。雇用者側にも助成金が設けられ、多くのホテルやレストラン、バーが閉業を免れた。「小さな国だから小回りが利くし、国民一人一人に目が届きやすい」

ただ、と付け加えた。

「政府が充実した支援を行えたのは、NZからの財政支援があったから。今でも毎年、NZからの援助を受けている。色んな面で、NZに守られている」

日本人向けの旅行会社を営んでいたが、コロナ禍でたたみ、いまは週1回、事前予約制の「BENTO」販売を始めた。照り焼きチキンやちらし寿司、日本風のカレーなどのメニューで日本食の認知度を上げ、近い将来、日本食店を開こうとめざしている。

ダニエル・香奈さんがデリバリー販売する「BENTO」を興味津々に手にするホテルのスタッフら。この日のメニューは照り焼きチキンのような「ヤミーチキン丼」だった=2022年6月23日、クック諸島ラロトンガ島、荒ちひろ撮影
ダニエル・香奈さんがデリバリー販売する「BENTO」を興味津々に手にするホテルのスタッフら。この日のメニューは照り焼きチキンのような「ヤミーチキン丼」だった=2022年6月23日、クック諸島ラロトンガ島、荒ちひろ撮影

豊かな自然と現代的な生活が両立する暮らしやすい国だが、一方で西洋化した食生活などの影響で、肥満の割合が世界トップクラスという一面もある。近年は、ジム通いがはやったり、ベジタリアン向けメニューを取り入れる店が増えたりするなど、人々の健康への意識は上がってきているという。

「地元産の野菜や魚を使った給食やお弁当のシステムなど、健康的な食生活、食教育にも、この国で取り組んでみたい」