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人口1700人、世界で2番目に小さい国って? 移住者が「完璧」というニウエの生活

Travel 更新日: 公開日:
ニウエの海でポーズをとる(左から)エッサ・アイヌウさん、フィシカファ・ルビンさん、ジャズミン・ルビンさん
ニウエの海でポーズをとる(左から)エッサ・アイヌウさん、フィシカファ・ルビンさん、ジャズミン・ルビンさん=2022年7月2日、荒ちひろ撮影

6月28日早朝、ニュージーランド(NZ)のオークランド国際空港の一角は、約2年ぶりとなるニウエの国境再開を心待ちにする人々でにぎわっていた。「NIUE ISLAND」と大きく書かれた白い発泡スチロールの箱をカートに載せた人々が行き交う。ニウエの有名人なのだろうか、笑顔の男性の写真があしらわれたおそろいの黒いTシャツを着ている人たちもいる。

南太平洋にポツンと浮かぶサンゴ礁の島、東京23区の半分弱の国土に約1700人が暮らす。バチカンに次いで世界で2番目に人口が少ない国ニウエ。日本にとっては2015年5月、195番目に承認した「世界一新しい国」でもある。

サンゴ礁が隆起してできたニウエ島
サンゴ礁が隆起してできたニウエ島=2022年7月、荒ちひろ撮影

2020年はじめ、新型コロナで世界中が国境を閉じる中、ニウエも厳しい水際対策を敷いた。NZと結ぶ唯一の国際便は週2便から隔週1便に。入国を原則自国民に限り、人数も制限して14日間の隔離を義務づけた。初の陽性者が検疫で確認された今年3月8日までコロナ感染ゼロを維持。いまだ市中感染ゼロのまま、旅行者の受け入れを再開した第1便で、私はニウエに向かった。

離陸から約3時間、日付変更線を越えて27日午後2時ごろ、乗員乗客122人を乗せたエアバスがニウエ国際空港に着陸した。背中に「PELENI'S TRAVEL」と書かれた黄色いシャツの男性たちが、タラップを接続し、荷下ろしを始めた。目の前の空港建物に入ると、青い制服姿の男性が消毒用のジェルを差し出した。この人物は警察署長、黄色いシャツの男性らは地元旅行会社のスタッフだった。週1便の発着に合わせ、空港の作業に当たっているという。この国では、一人で何役もこなすのが珍しくない。

ニウエの地図と基本情報
ニュージーランドの北東約2400キロメートルに位置する、世界最大のサンゴ礁の島一つで構成。1900年に英国の保護領に、1901年にNZの属領になる。74年に内政自治権を獲得し、NZとの自由連合に移行。70年の空港開設以降、当時約5000人だった人口は、90年代後半に2000人を割った。ニウエに住む10倍以上のニウエ人が海外で生活しているとされる。元首は英国女王。議会は一院制で、3年に一度の選挙で14の村ごとの議席と島全体の6議席の計20人の議員を選ぶ。公務員の週休3日制を導入している。

空港に迎えに来てくれたアビ・ルビンさん(56)もレストランやバーを営み、商工会議所や通信会社でも役職を兼務する。レンタカー業も手がけ、妻はコテージを運営している。

アビさんは中東イスラエル出身で、14歳のころ家族で米国へわたった。ロビンソン・クルーソーの冒険譚に憧れ、子どものころから小さい島に住むのが夢だった。大人になって太平洋を巡る中で1991年にニウエを訪れ、ほれ込んだ。「ニウエには酋長も国王もいない。貧困も社会階層もなく、みな平等なんだ」。99年に移住。ニウエ人の妻と結婚し、4人の子どもがいる。

仕事で世界各地を見てきたというアビさんはニウエの生活を「完璧なバランスだ」と言う。「例えばシンガポールも小さくて豊かな国だが、大量生産・大量消費の社会だ。ここには高級ブランドも高級車もないけど、誰もそんなことは気にしない。犯罪もなく、誰も家や車にカギをかけない。きれいな空気に水、青い空と海に緑の木々……。完璧だ」

自分で釣ったマグロを売るうちに、ニウエに住む日本人男性と意気投合し、日本食レストラン「カイイカ」を開いた。水や魚の加工も試し、地ビールの開発も計画する。試行錯誤を続けるのには訳がある。

「人口の4分の1にあたる約400人は公務員。国家予算の3分の1はNZの援助に頼っている。この10年で観光業は発展したが、コロナ禍で観光だけに頼っていては『卵を一つのかごに盛る』ようなものだと、多くの国民が気づいた。子どもたちの世代のためにニウエにもっと民間の産業を育てたいんだ」

ニウエの首都アロフィにある日本食レストラン「カイイカ」を営むアビ・ルビンさん
ニウエで日本食レストラン「カイイカ」を営むアビ・ルビンさん=2022年7月4日、荒ちひろ撮影

アビさんに借りた車で5分、首都アロフィの宿についた。気温は25度前後だが、南半球は冬で午後6時には日が沈む。日本の携帯は使えず、運悪く停電でインターネットもつながらない。島中放し飼いの犬があちこちで吠えている。心細くなり、この日はさっさと寝ることにした。

「私が子どものころと違って、何日も続く停電なんてめったにないのよ。あなたと同じ便にNZからの技師が乗ってきたから、すぐ直ると思うんだけど……」

そう話す宿の管理人、ヘレーナ・トガキロさん(55)はこの2月、25年住んだNZから、高齢の両親が暮らすニウエに戻り、母親の宿を引き継いだ。「ニウエではみんなが知り合いだし、親戚って場合も多い。NZに移る前は、本当に島の全員を知っていたから、25年ぶりに戻って25歳より若い子のことを知らないのが変な感じなの」

記者が泊まった宿のヘレーナ・トガキロさん。この2月、母親の宿を引き継ぐために25年住んだNZからニウエへ戻ってきた
記者が泊まった宿のヘレーナ・トガキロさん。この2月、母親の宿を引き継ぐために25年住んだNZからニウエへ戻ってきた=2022年6月28日、ニウエの首都アロフィ、荒ちひろ撮影

NZの属領だったニウエは1974年、国防など一部の権限をNZに委ねた「自由連合」の関係に移り、「独立」した。ただ、従来どおりニウエ国民はNZの市民権を持ち、独自のパスポートはない。日本や中国、インドなど数十カ国がニウエを国家承認する一方で、世界的にはまだ「NZの自治領」とみなしている国が多いのにはこういった事情がある。

より良い教育や仕事を求めてNZへ渡るニウエ人も多く、空路の発展も伴って、1970年に約5000人だった人口は1999年に2000人を割った。

停電の修理技師はNZから来ていたが、医療や教育などの専門職に就く外国からの移住者も多いという。幼稚園で働くステファニー・カラプさん(36)は同じポリネシアの小国ツバル出身で、移住して15年になる。ツバルの国土はニウエの約10分の1だが、人口は7倍いる。

「ニウエでは、子どもがどこで遊んでいても心配しなくていい。水道も家賃も、学校も無料で暮らしやすい」とほほえむ。まもなく国籍を取得する予定だそうで、「NZのパスポートを取得するけど、NZに住むためじゃない。ニウエに住み続けるわ」と話した。

いくつか予定していた取材が、「お葬式があるから」と延期された。聞くと、ヘレーナさんの村の若者が亡くなったのだという。「ニウエの文化がわかるから、よかったらいらっしゃい。知り合いじゃなくても大丈夫」と誘われ、宿から車で30分のムタラウ村へ向かった。

学校も病院も、スーパーも警察署も、郵便ポストも国に一つしかないが、キリスト教会は各村にある。村の広場には数十台の車がとまり、教会の外に張ったテントにまで参列者があふれていた。鐘が鳴り、牧師や家族らがニウエ語で語り始めた。時折、英語が交じる。34歳の青年が2週間前、突然の病で亡くなったのだという。NZに住む親族らも参列するため、国境の再開を待っての葬式だった。空港で見かけたおそろいのTシャツは亡くなった男性の写真で、着ていたのは親族らだった。

参列者の一人が賛美歌を歌い始めると、一同が自然と声を合わせる。伴奏なしで美しいハーモニーが教会の外まで響き渡った。ニウエ語の歌詞の意味はわからないが、圧倒された。

200人は参列していただろうか。青年は副村議長を務めたこともあり顔が広かったというから、こんなに集まったのか。この村の元村長フランク・シオネホロさん(55)に尋ねると「いやいや、コロナを心配して参列を見送った人も多い。普段だったら国民の半分、800人くらい集まっただろう」と言う。

というのも、前日の入国後1日目検査で複数の陽性反応が出たのだという。メッセンジャーで送ると言われた私の検査結果は届かず、政府の幹部職員でもあるフランクさんに聞いてもらうと陰性とわかった。

だが安心したのもつかの間、葬式の日の夕方、宿に保健省の職員がやってきて、「残念なお知らせなのだけど……」と手紙と抗原検査キットを差し出した。陽性者と機内の席が近かったらしく「濃厚接触者」として自主隔離の対象になったのだという。

入国した118人のうち、1日目の検査で5人の陽性が判明した。乗客や国内の家族など、私を含めて計54人が自主隔離の対象に。中には、インタビューする予定の首相も含まれていた。この便に娘と孫が乗っていたそうだ。万一の感染拡大に備えて、NZから医療チームが派遣されるという。

取材をオンラインに切り替えつつ、一人で運転するなら構わないとの説明だったので、人と接触しないように島を囲む1周67キロの道を車で回った。遠くから撮影する許可を得て、学校も訪ねた。首都アロフィに小学校(5~10歳)と高校(11~18歳)が隣接する。それぞれ約250人が在籍し、ほかの村からはスクールバスで通っているという。校庭では小学生がサッカーをしていた。

ニウエの小学校でサッカーをする子どもたち
ニウエの小学校でサッカーをする子どもたち=2022年7月1日、荒ちひろ撮影

子どもたちは自分の国をどう思っているのだろう。アビさんの次女ジャズミン・ルビンさん(16)は「ここはどこでも安全だから、遊びに行くのにも自由にさせてもらえる。海外に旅行で行ったこともあるけど、私はニウエの方が好き」。将来の夢を尋ねると、「ニウエで事業を起こして、自分の家を買って、結婚して子どもがほしい」と笑った。

三女のフィシカファ・ルビンさん(11)は「私はニューヨークで弁護士になりたい」。ニウエの海が大好きだという友人のエッサ・アイヌウさん(11)は「私の夢はニウエで政治家になること。どんな政策を訴えたいかは……まだ考え中!」とはにかんだ。

アビさんの長女サラ・ルビンさん(19)は昨年11月に高校を卒業し、事業を始めた。きっかけは好物だが輸入品で値の張るビーフジャーキー。ニウエにあるもので作れないかと考え、地元のビンチョウマグロと蜂蜜で「魚臭くない」フィッシュジャーキーを開発。5月末に発売し、NZや豪州への輸出の手続きも進める。「私はここでビジネスを成功させたい」

ニウエの海岸近くでポーズをとる(左から)フィシカファ・ルビンさん、エッサ・アイヌウさん、ジャズミン・ルビンさん
ニウエの海岸近くでポーズをとる(左から)フィシカファ・ルビンさん、エッサ・アイヌウさん、ジャズミン・ルビンさん=2022年7月2日、荒ちひろ撮影

入国から1週間後の帰国当日、普段は無人の空港には朝から多くの人の姿があった。年季を感じる大きなはかりにスーツケースを乗せ、手書きの搭乗券を渡された。検疫の窓口には、行きの便でも見かけた白い発泡スチロールの箱を手にした人々が列を作っていた。何が入っているのか見せてもらうと、タロイモやココナツ、手料理など、「ニウエの味」が詰まっていた。

午後1時までに空港に戻るように言われ、最後に国唯一のスーパーを撮影しようと駐車場に車を止めた瞬間、通話アプリの着信音が鳴った。フランクさんからだった。

「インタビューできることになった。いますぐ首相の家に来てくれ」

車で数十秒、いまだ自主隔離中のダルトン・タンゲランギ首相(54)の家に向かった。庭に回ると、木々の間から首相が現れた。

インタビューのため、ニウエのダルトン・タンゲランギ首相宅を訪ねると、庭の木々の間からココナツとなたを手にした首相が現れた
インタビューのため、ニウエのダルトン・タンゲランギ首相宅を訪ねると、庭の木々の間からココナツとなたを手にした首相が現れた=2022年7月4日、荒ちひろ撮影

両手にはココナツとなた。慣れた手つきで穴を開け、「ココナツジュースをどうぞ。そこに座って話そう」と、切り株とパイプ椅子を指さした。ニワトリの鳴き声が響く中、語り始めた。

インタビューを終えるとちょうど午後1時。急いで空港に向かった。首相のインタビューをねじ込んでくれたフランクさんが別れ際、ちゃめっ気たっぷりに言った。

「ね、わかったでしょう。小さな国だからできることさ」

ニウエの政府職員、フランク・シオネホロさん
ニウエの政府職員、フランク・シオネホロさん=2022年7月4日、荒ちひろ撮影