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肌で感じる温暖化の危機、リアルに伝えたい キリバスに惚れ、国籍も変えた

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:
海の向こうにキリバスがある。大切な海を、キリバスを守ろうという声を、この日本で大きくしたい=宮城県七ケ浜町

ケンタロ・オノ 温暖化危機の語り部・日本キリバス協会代表理事  陽気な伝道師とでも言ったらいいのだろうか。日本中を講演に走り回り、地球温暖化の危機を訴えるケンタロ・オノ(42)の今の姿には、そんなイメージがぴったりくる。
国籍を日本から太平洋の島国キリバスに変えて20年。浅黒い肌にかっぷくのよさ、丸い顔は、生まれながらにしての地元の人と間違われそうだ。そんな風貌に加えてキリバスの正装でテ・ベーという腰巻きに柄物のシャツ、貝の首飾りに頭に花の冠をつけて講演会場に現れると、場はそれだけでなごんだ。(文・森治文、写真・小玉重隆、文中敬称略)

「キリバス人って世界に11万人しかいないレアキャラ。それが目の前にいるって、すごくない?」。昨年10月、東京都内の高校での講演。1時間半の話の前半はもっぱらユーモアをまじえたキリバスの紹介や日本との関係などに時間を費やした。そんな語り口に生徒から笑い声が何度も起きた。

学生を前に話をするケンタロ・オノ。「好奇心があれば夢はかなう」と語りかけた=宮城県塩釜市、森治文撮影

「温暖化の話が少なめですね?って聞かれたこともある。でも、国そのものに関心を持たれなかったら、どんなに長々と説明しても考えてくれないでしょ」。中央アジアのキルギスとよく間違われる。知っていても「温暖化で沈みそうな国ですね」と平然と返された時は二の句が継げなかった。

キリバス愛はどこから来るのか。「大好きとしかいいようがない。理屈じゃなくて」。小学5年の時、テレビで放映されたキリバスのドキュメンタリー番組。空や海の透明感と白砂のまばゆさ、人々が浮かべるほほえみ……。グアムや沖縄など家族旅行で訪ねた南の島はいくつもあるのに、なぜかキリバスの映像が目に焼き付いて離れない。高校1年の夏、留学を決意。敷かれたレールの上を歩く人生より未知の領域をのぞいてみたかった。

東京のキリバス名誉総領事に手紙を書くと、本国の教育省の次官の目に止まり、ホームステイ先として受け入れると返事があった。キリバスの学生ビザ第1号。翌年1月、飛行機を乗り継いで4日かけ、赤道直下のあこがれの国の土を踏んだ。

とはいえ食べ物は米と魚ばかり。遊ぶ場所も限られる。1年目半ばでホームシックにかかった。「周りの反対を押し切り、あれだけ大騒ぎして来たのに」と学校裏手の海岸で自問自答したことも。だが、キリバス人の懐の深さや人間関係の近さを知って自分から飛び込むと、次々と友だちができた。言葉も難なく吸収し、「キリバスのデーブ・スペクターさん状態になった」と笑う。

キリバスに一時帰国した際、とれたての魚が入ったボックスをのぞき込むオノ。キリバスの日常の風景だ

■「放っておく」は水が合う

卒業後も戻る気はさらさらなかった。タコ輸出会社の現地社員に採用され、地元の女性と結婚した。「明るくて謙虚、おせっかいだが適当に放っておいてくれる国民性は、私には水が合った」

海岸に流れ着いたマイクロプラスチックを拾う=宮城県七ケ浜町

国籍取得条件の在留期間7年がたつと、すぐキリバス国籍を申請した。それまでも「日本人だから」と遠慮することはなかったが、キリバス人になれば参政権を得るなど活動の幅も広がる。日本国籍を失うことに「1ミリも後悔はなかった」。

そのころから職場に出入りする人に誘われ、当時は野党議員で、後に大統領となるアノテ・トン(67)の私邸であった集会に幾度となく顔を出した。物おじしない性格のオノが質問をぶつけていると、驚いたことに、連れて行った娘や息子が「グランパ(おじいちゃん)」とトンになついた。これをきっかけに家族同然の関係に。政治面でも演説の草稿づくりなどトンの活動を支え、2003年の大統領選勝利にも関わった。

後に離婚を経験、シングルファーザーとなったオノはトンから同居も勧められたが、公私混同と見られないよう断った。ただ、トンが大統領を退いた今は「ダッド(父)」と呼ぶ間柄だ。

そのトンがライフワークにしているのが、温暖化による自国の深刻な状況を世界に訴えること。世界銀行の報告書では、平均海抜2メートルの首都タラワのある島は、2050年に面積の最大8割が海面上昇などで浸水するおそれがあるという。各国が協力して温室効果ガスを今以上に大幅に削減しなければ「私たちの未来はない」と、先月スペインであった気候変動の国連会議にも民間人の立場で駆けつけた。

上空から見たキリバス。東西を海にはさまれた首都タラワは幅350メートル、海抜はわずか2メートルだ(オノさん提供)

オノも00年ごろから温暖化の兆候に気づいていた。11年の東日本大震災を機に母のそばにと、やむなくキリバスを離れて以降も、一時帰国した際に目にしたり友人が伝えてくれたりした情報で年々、ひどくなっていることを実感してきた。大潮のたびに海岸が浸食され、住宅地が広範囲に水につかる。雨期と乾期がはっきりしなくなり、地下水に海水が入り込んだりして飲み水もしょっぱい。昔はなかったことだ。

トンに触発され、日本でも何かをと思案していた矢先、思いがけない電話があった。宮城県の環境NGO「みやぎ・環境とくらし・ネットワーク」(MELON)の井上郡康(47)だ。キリバスにいた06年ごろ、インターネットでMELONの存在を知って何度かメール交換した仲。その後、途切れていたが、人づてにオノが仙台にいると、偶然知ったのだという。会うと、「キリバスの実情を人前で話してみては」と持ちかけてきた。

環境団体のメンバーらと一時帰国したケンタロ・オノ(左から2人目)。日本暮らしが長いと無性に南国の海と風の香りが懐かしくなる

■「難民になる」なんて言えるか?

MELONの活動の一つは温暖化問題啓発の出張講演。井上はオノにそれを期待した。ただ、うまく話せるかは未知数だ。手始めに15年秋、MELONの会員で温暖化問題を熟知する市ら約20人に対し、仙台市の事務所で話す機会を設けた。

ココナツ油のにおいを漂わせたオノは問いかけた。「キリバスの子どもたちは、2050年にはふるさとがないかもしれない。解決できる問題なのに。この子たちの目を見て言えますか? ごめんね、あなたたち難民になっているかもしれないって」

井上は心を揺さぶられた。「温暖化の話って、例えば節電を説いても、それで世の中がどう変わるのか想像しにくい。でもオノが話すと、水没の危機にある島と、そこで暮らす人の様子が真に迫ってきて、このままではいけないという気にさせるんです」。ある環境団体は解散寸前だったが、オノの話をきっかけに存続を決めた。オノも「キリバス国民の思いを日本人に伝えることが与えられた使命」と確信した。いまは講演や翻訳、キリバス支援事業の手伝いなどで生計を立てる。

小学生を前に話をするケンタロ・オノ。「キリバスの子どもたちがふるさとを失うことがないよう何ができるか考えて」と訴えた=宮城県塩釜市、森治文撮影

16年から本格化した講演活動は、北海道から沖縄まで年に100回弱を数える。トンにメールで近況を報告すると、「私は日本に行く必要がないね」とメッセージが返ってきた。

オノの講演は後半、島の深刻な環境に話を移し、最後をこう結ぶ。「愛の反対とは、憎しみや恨みではなく無知と無関心。関心を持たれないことは一番つらい」。小国からの魂の叫び。希望は失ってはいない。話を聞いた人の中から必ず、温暖化を解決に導く人が出てくるとオノは信じている。

■Profile

  • 1977 仙台市で小野前(すすむ)、由美子夫妻の長男として生まれ、賢太郎と名付けられる
  • 1984 夏の家族旅行で初めての南の島グアム・ロタへ。この年の11月、父が亡くなる
  • 1987 テレビ番組で初めてキリバスの映像を見て、人々の明るさや優しさと美しい風景に感動
  • 1992 高校1年でキリバス留学を決意、在日本名誉総領事館の助けを得て翌年1月、単身旅立つ
  • 1995 キリスト教の洗礼を受ける
  • 1996 高校卒業後も現地にとどまり、タコを日本に輸出する日系企業に就職。地元の女性と結婚。翌年に長女アニータ夢海(ゆめみ)、98年に長男ジョン正雄が誕生
  • 2000 キリバス国籍を取得。日本による支援事業のコーディネートなどを手がける会社「ミドパック・キリバス」を設立
  • 2001 キリバス商工会議所の会頭に就任。1年間務める
  • 2003 7月の大統領選に出馬し、当選するアノテ・トン氏に年初に声をかけられ、私的ブレーンに
  • 2011 東日本大震災が発生。母や2歳下の妹の身を案じ、日本に「移住」。以来、仙台在住
  • 2015 キリバス名誉領事に就任(18年まで)。気候変動による危機を訴える講演活動を始める
  • 2017 日本キリバス協会を設立、代表理事を務める。日本人女性と結婚
  • 2019 長女が3月にルーカス正洋(まさひろ)を出産、12月には妻が次女アンナ美奈海(みなみ)を出産

■Memo

聖書……キリバスへ留学する際に、日本から持っていった本の一つが「コンサイス・バイブル」。通っていたキリスト教系の幼稚園を運営する団体が出版した聖書の要約書で、キリバスにカトリック教徒の多いこともあって、オノも現地で洗礼を受けた。人間関係に悩んだ時など、「死の陰の谷を行くときも、私は災いを恐れません。あなたが、私といっしょにおられますから」などの一編に救われたという。

キリバスに留学する際に日本から持って行った聖書の要約書「コンサイス・バイブル」