ローマ中心部スペイン広場から西にのびるコンドッティ通り。
エルメスやフェラガモ、セリーヌ……。有名ブランド店がひしめき合う道を歩いていると、クリーム色をした3階建ての建物の前で、赤地に白い十字が描かれた旗が風に揺られていた。
門には「マルタ主権騎士団・治外法権の地」と書かれた小さなプレート。中に入ると、カーペットや電灯など、いたるところにマルタ十字と呼ばれる紋章が記されていた。
総監の一人、ドミニク・ドゥ・ラ・ロシュフーコー・モンベルさん(72)が迎えてくれた。
建物は騎士団が元々所有していたもので、1834年に治外法権をイタリアから認められたという。本部には、騎士団長で元首にあたる総長、総監4人、騎士代表6人からなる内閣を中心とした中央政府がおかれている。総長の住まいもここにある。中央政府の意思決定のもと、世界中にいる1万3500人の騎士が、それぞれの居住地の近くを拠点に活動している。
モンベルさんは、フランスで不動産コンサルティング業などをしながら長年騎士として慈善活動をし、2014年に総監になった。そのとき、パスポートの国籍がフランスからマルタ騎士団に変わった。鮮やかな赤色のパスポートを見せてくれた。
EUから正式に認められたこのパスポートは外交に携わる約500人が持つ。国籍欄に「マルタ騎士団」と記されるのはモンベルさんを含め幹部の11人だけだ。騎士団のパスポートは、外交関係のある国であれば公務でなくても使える。
パスポートの他に、マルタ騎士団には独自の車のナンバープレートや切手、記念通貨もある。
本部に併設する郵便局にはポストがあり、国交を結んでいる国に手紙を送ることもできる。モンベルさんは「我々は、とてもユニークな国の形をなしているので、これらは国としての形を証明するためにも重要です」と話した。
マルタ騎士団は11世紀、カトリックを信仰するヨーロッパの貴族が巡礼者の宿泊と医療奉仕のため、エルサレムに修道会を作ったのが起源だ。十字軍に派遣された際には兵士の治療にあたった。かつては地中海のロードス島やマルタ島などに領土を持っていたが、1798年にナポレオン軍に追われて領土を失った。
その後も医療奉仕を続け、現在にいたる。1万3500人の騎士、医療にかかわる5万2000人の有給職員、9万5000人のボランティアらが世界120カ国で紛争地や被災地の救済、難民やホームレス支援など2000以上のプログラムに取り組む。
ロシアによるウクライナ侵攻が始まった際にも直後に救助隊を派遣した。医療支援や人道援助のとりまとめ役のモンベルさんも現地を訪れた。ウクライナでは、マルタ騎士団の防弾チョッキを着て活動していたメンバーが、攻撃を逃れたというニュースが報じられた。「私たちの慈善活動は世界で広く知られています」とモンベルさんは誇らしげに言った。
世界保健機関(WHO)などにも代表を送り、国連やEUにはオブザーバーとして参加している。一方、米国や中国、日本は国家として認めていない。モンベルさんは「国としての組織があると、国交のある国への医療サポートに入りやすい。国際社会において外交関係があるというのは非常に重要だ」と、他の人道支援活動をする団体との違いを強調した。
国際法では、国家の要件は領域、国民、政府とされている。マルタ騎士団は、ローマ市内の本部建物と大聖堂を備えた総長公邸のある敷地、マルタ島の聖アンジェロとりでの一部に治外法権が認められているだけだ。
彼らにとって国とは何か。
モンベルさんは「歴史と功績だ」と即答した。「900年前から、信仰と困っている人を助けるという使命を守り続けてきたから、今も国として存在している。しかも112の国がそれを認めている。国の価値は領土の大きさではない。あえて言うならば、人道援助活動の舞台全てが私たちの領土です」
■かつての領土、いまは…
別の日、マルタ騎士団のサンマリノ支部を訪れた。ここには4人が所属している。サンマリノ病院と提携しているほか、マスクや消毒液などの医療品を寄付している。団員で弁護士のジュゼッペ・ラギーニさん(65)は「国家は大きさではない」という。「我々にはアイデンティティーがあり、領土のある国家よりも強いという自負がある。大事なのは『Tuitio Fidei et Obsequium Pauperum』(信仰と救貧の守護者)という精神を持ち続けることだ」
マルタ騎士団の歴史の痕跡を探しに、かつて本拠地があった地中海の島国マルタに向かった。
首都バレッタは、1530年に拠点を定めた騎士たちが作り上げた城塞(じょうさい)都市だ。かつての見張り塔やとりで、宿舎、施療院などが残る。本部があった聖アンジェロ砦(とりで)には、騎士が1人住んでいる。急な下り坂と上り坂の続く街並みだが、階段の段差がわずかしかない。かつて十数キロの甲冑(かっちゅう)を着て支援物資を運んだ騎士たちが、疲れにくいようそうなったという。
近年はリゾート地として人気だ。海沿いには豪華客船が並び、毎晩のようにパーティーが繰り広げられ、花火があがり、夜遅くまで大音量の音楽が流れている。ホテルを経営するレヴォさん(50)は「マルタ騎士団がかつてここで活躍したことを誇りに思っている。こうして観光客がたくさん訪れてくれる理由にもなっているのだから」と話す。
■どんな人が「騎士」なのか
今年6月、九州大准教授の武田秀太郎さん(33)が日本人としておよそ90年ぶりに騎士に選ばれた。
マルタ騎士団はヨーロッパの貴族から始まったが、今貴族の占める割合は4割ほどになった。総長が貴族でなくてはならないという条件もなくなった。今、騎士になる条件はカトリックを信仰し、慈善活動を行っていること、2人以上の騎士の推薦があることだ。
武田さんは青年海外協力隊としてバングラデシュの農村でインフラ整備をしたり、東南アジア諸国を回ってエネルギー政策の提言をしたりした功績が認められた。
騎士団との最初の接点は2年前という。ウィーンの国連事務局に勤めていたころ、国連のオブザーバーとして席をもつマルタ騎士団の関係者から何度か昼食に誘われた。「今思えば面接だった。これまでの活動について詳しく聞かれ、立ち居振る舞いもつぶさにみられているように感じた」
面接に通ると、1年間の修練期間に入った。武田さんは支部がある香港の貧困家庭の子どもにリモートで学習支援などをした。本来、この期間は毎週のように支部で会議を開いたり慈善活動をしなければならない。しかし、日本に支部はなく、コロナ禍で香港に行くこともままならず、異例の審査だったという。その後ローマの本部で最終審査があった。
合格の知らせが届いたあと、ローマのテーラーで仕立てたマルタ騎士団の衣装や、剣などの道具一式が送られてきたという。6月、オーストラリアで行われた授与式には、紋章の入った黒いローブを身にまとって出席した。
武田さんは日本ではあまりなじみのないマルタ騎士団の活動を知ってもらうため、マルタ騎士団のガイドブックを執筆中だ。「災害が多い日本でも、心のケアなど幅広い支援が求められている。マルタ騎士団の活動を日本でも広げていきたい」と話している。