ロシアの小中学生がやってきた/島根県・西ノ島
ロシア・ウラジオストクから西ノ島に来た女子生徒たちは、国賀海岸の広々した風景に大喜びだった。
島根県とロシア連邦沿海地方の友好交流事業でウラジオストクのドゥビニン記念学校の教員・生徒16人が来日。2007年に始まった相互訪問の一環だ。西ノ島小学校の児童の歓待を受けたり、日露戦争の日本海海戦で戦死したロシア兵が眠る墓を訪れ、手を合わせたりした。
約3000人が住む島の住民たちは「国際交流だけで島が活性化するとは思えない。でもずっと続けていくことが大事。いつかは留学生を受け入れる制度を確立したい」と話す。(2015年6月5日撮影)
(迫和義)
韓国と対馬の「間合い」/長崎県・対馬
長崎県の対馬の北端、比田勝(ひたかつ)を昨年11月下旬に訪ねた。この日は少し曇っていたけれど、海の向こうの韓国・釜山に林立するマンションがはっきり見えた。二つの国を隔てる距離は50キロほどしかない。
対馬はいま、韓国からの観光ブームに沸く。島内を案内する標識にも店のメニューにもハングルがあり、スーパーは日本の日用品を求める観光客でにぎわう。
激増のきっかけは円安ウォン高と、対馬と釜山を結ぶ船の運航会社が2011年に3社に増えたこと。15年は年20万人を超えそうだ。たった1時間ほどで神社や和食など外国の「異空間」を味わえることが魅力だと、観光客やガイドから聞いた。
ただ、人口3万2000余りの島に、文化や習慣の違う外国人がたくさん訪れるのだから、「きれいごと」ばかりではない。観光名所にはハングルで、「トイレはゴミを捨てる場所ではありません」「たばこの吸い殻、投げ捨て禁止」などと書かれた看板が目についた。韓国人が貴重な仏像を盗み出した事件もあった。日本の報道やネットの書き込みでは、「対馬が韓国に占領される」といったものもある。
それでも韓国の人たちは対馬を訪れる。対馬は韓国の人たちを迎える。
どうしてだろう? 韓国の人たちは満足を得て、対馬は観光で潤う。現実的な関係がここにはあるように思った。
釜山に住んでいた金成喆(キム・ソンチョル、40)は2年半前、対馬の民宿の調理師に採用された。客の多くは釣りや登山などを楽しむ韓国の人たち。観光ブームがなければ、ソンチョルが海を渡ることはなかっただろう。
1年半余りが過ぎたころ、島育ちの小茂田清香(こもだ・きよか、42)が民宿で働き始めた。2人は付き合い始め、ソンチョルは昨年10月にプロポーズ。そして居酒屋をオープンした。昨年11月22日の「いい夫婦の日」に婚姻届を出し、2人で居酒屋を切り盛りする。
メニューは周りの店と重ならないよう韓国料理に絞り、地元に溶け込もうと努める。ソンチョルは名前の字の一つが「吉(きち)」を二つ並べているので、周りから「にきち」と呼ばれ始めた。彼は、たどたどしいけれど上達した日本語で話した。「日本人が好きな韓国料理を、たくさんの人に食べてもらいたい」
日本全体でみると、昨年は2000万人近い外国人観光客が訪れた。中国の人たちの「爆買い」は経済にプラスだが、マナーに閉口する向きも少なくない。
それでも外国人は日本に来る。日本はこれからも、彼らをうまく受け入れていくことができるだろうか?
対馬という島で折り重なる、満足と摩擦が絡み合った外国との付き合いは、なんだか日本の写し絵のような気がしてきたのだった。(神谷毅)
(文中敬称略)
アフリカの音が響く/鹿児島県・硫黄島
定期船が接岸すると、タン、タタン、タンと乾いた音がわき起こり、そのリズムに乗って島民たちが踊っている。
枕崎港から南に約55キロ。鹿児島県の硫黄島(三島村)では、アフリカの伝統的打楽器のジャンベを通じて世界的な交流が長く続いている。
ジャンベの世界的奏者、ママディ・ケイタ(ギニア出身)が1994年にツアーのため来日した際、小さな集落を訪問したいと希望して硫黄島を紹介された。ママディは島の小中学生にジャンベを教え、全国4カ所で共演までした。「故郷の村に似ている」とすっかり島を気に入ったママディは、2010年まで毎年島民にジャンベを指導しにやってきた。
04年には、村がジャンベスクールを開校。夏にあるインターナショナルワークショップには、世界各国から40人ほどが参加する人気ぶりだ。(2015年11月4日撮影)
(迫和義)
(文中敬称略)
サトウキビ畑に吹き付ける風/沖縄県・南大東島
8月に南大東島を訪れた。台風情報でよく耳にする太平洋の島だ。
那覇から東に約360キロ。暴力的とも思える日差しが去った夕暮れ、島の集落の飲み屋や食堂では、仕事を終えた人たちの大きな笑い声が響いた。
約1300人が住む南大東島は、働く人の4割をサトウキビ農家が占める。島ではカボチャもつくっているが、畑の面積の9割はサトウキビだ。
島は昨年、環太平洋経済連携協定(TPP)をめぐり大きく揺れた。サトウキビからつくる砂糖の価格は外国産の数倍はする。精製糖なら1キロ103.1円という高い関税があって、外国産はほとんど輸入されてこなかった。TPP交渉の末、安い外国産が入ってくれば、壊滅的な打撃を受けることは必至だった。
結局、関税の大枠は残ることになった。「聖域なき関税撤廃」を唱えていた米国自身が、米国内の精糖メーカーを守る必要があったことなども、島にはプラスに働いたようだ。でも、この間、島では投資をためらう農家もいて、TPPに振り回された一年だった。南大東村産業課の担当者は「とりあえず、ホッとしました。連作障害が少なく自然災害にも強いサトウキビは、やはり島の宝なんです」と話した。
その「島の宝」から新たな名産も生まれた。グレイスラム社が製造する「ラム酒」だ。島のサトウキビ、そして海水から造られた水が原材料。海水を淡水化施設で真水に変える。蒸留の際には磯のにおいがするそうだ。
この二つの素材によってほかのラムにはない、独特の味と香りを醸し出せるという。オン・ザ・ロックにして飲んでみると、アルコール度数40度という強さながら、さわやかな味わいが舌に広がった。本土向けの出荷だけでなく、フランスなどへの輸出実績も積みつつある。
月桃(げっとう)は亜熱帯地域に分布するショウガ科の多年草。
新城幸子(63)はその月桃の茎で民芸品を作り続けている。強い日差しが差し込む工房で丹念に籠を編んでいた。
「南大東で自生する月桃は宝です。沖縄本島のものより葉も茎も長く、香りも強いと思う。それを利用しない手はない」と新城は話す。
ふた付きのバッグなら編み上げるのに2カ月をかける丁寧さだ。今は納期をせかさない那覇市のギャラリーに納めている。(迫和義)
(文中敬称略)
EEZの外縁を守る/長崎県・五島黒瀬灯台
鉛色の海に浮かぶ長崎県の五島黒瀬灯台。はしごを登って点検するのは佐世保海上保安部職員だ。近くにある白瀬灯台もあわせて巡回する。白瀬北小島は、日本の排他的経済水域(EEZ)の根拠になっている。
(長崎県小値賀町、2015年6月17日撮影)
(迫和義)