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世界で2番目の小国、ニウエに移り住んだ日本人 「この国、みんな満たされている」

People 更新日: 公開日:
ニウエで日本食レストランを開いた和田泰一さん。ニウエ政府顧問の肩書も持つ
ニウエで日本食レストランを開いた和田泰一さん。ニウエ政府顧問の肩書も持つ=本人提供

和田泰一さん(43)は15年ほど前、ひょんなことから、世界で2番目に小さい南太平洋の島国ニウエにたどり着きました。日本食レストラン「カイイカ」を開き、いまでは政府顧問も務めています。そんな和田さんに、ニウエの魅力とは何かを聞きました。

――そもそも、なぜニウエとかかわることになったのでしょうか。

当時、中国・上海に住んでいましたが、公害がすごかった。空が、常に白く曇っている感じ。それで、空気がきれいな所に行こうと考え、インターネットで調べていたら、たまたま人口の少ない国ランキングが、1位がバチカン、2位がニウエだった。バチカンはさすがに住めないだろうから、それでニウエに行こうと思いました。

――それまではニウエのことはまったく知らなかったということですか。

全然知らなかった。でも、行ってみたら、ものすごく良いところだった。外国人に対するアレルギーがなくて、みんなが受け入れてくれました。たまたまニウエの国会議事堂の受付に座っていたおじさんに「移住したいんですが」と話しかけたら、「いいよ」っと気軽に答えてくれて。ビザを出してくれるというので、家を借りて住むことになりました。実はこのおじさんは政府のベテラン職員で、その後、国会議員になったんですけど。

ニウエの地図と基本情報
ニュージーランドの北東約2400キロメートルに位置する、世界最大のサンゴ礁の島一つで構成。1900年に英国の保護領に、1901年にNZの属領になる。74年に内政自治権を獲得し、NZとの自由連合に移行。70年の空港開設以降、当時約5000人だった人口は、90年代後半に2000人を割った。ニウエに住む10倍以上のニウエ人が海外で生活しているとされる。元首は英国女王。議会は一院制で、3年に一度の選挙で14の村ごとの議席と島全体の6議席の計20人の議員を選ぶ。公務員の週休3日制を導入している。

――すごい出会いですね。ニウエの「受け入れてくれる」とは、どのような感じなのでしょうか。

僕は母が日本人、父がアメリカ人で、千葉県で生まれ育ち、高校からアメリカのコロラド州デンバーに行きました。高校を卒業後、コロラド大学に進んだのですが、2年生で専攻を決めるときに、やってみたいことがたくさんありすぎた。大学の相談員に話したら、「とりあえず休学して色々やってみたら?」と勧められて。それで、世界各地で語学学校や貿易、通信関係や不動産の仕事など、いろんなことをやってきました。

自分自身、日本にいても外国人に見られているような感じ。高校から移り住んだアメリカでも、やっぱり外国人のような感じがしました。ハワイにも行きましたが、現地に多く暮らす日系アメリカ人も見た目は僕と似ていてもアイデンティティーは全然違う。同じアジアの国だけど、中国でも当然のように外国人扱い。自分のいるところはどこにもないと思っていました。

それが、ニウエでは、みんなが受け入れてくれた。自分のアイデンティティーを必死に探していたのが、急にばかばかしく思えました。それくらい、自然に受け入れてくれました。それで、アイデンティティー探しをやめたんです。受け入れてくれたニウエに恩返しをしようと思い、元々通信関係の仕事をしていたこともあって、当時ニウエになかった携帯電話のシステムを導入したり、日本の中古車を寄付したりしてきました。

サンゴ礁が隆起してできたニウエ島
サンゴ礁が隆起してできたニウエ島=2022年7月、荒ちひろ撮影

――日本食レストランを開いたのは、何がきっかけだったのですか。

店はイスラエル出身のアビ・ルビンさん(56)と一緒に開きました。アビさんは自分で釣ったマグロを売っていたのですが、現地の人はトロの部分を食べないので僕がもらっていた。あるとき、アビさんのところでご飯を食べていたら、マグロの売れ行きがあまりよくないという話になって。たくさん捕れるんだけど、人口1700人の国だから、需要には限界があるでしょう。

僕もニウエでお米が食べられるところがほしかったから、じゃあ、日本からシェフを呼んで、すし屋をやろうという話になった。それで10年くらい前に開いたのが、いまの「カイイカ」です。最初の1年は全然お客さんが入らなかったけど、2年目からは観光客が来てくれるようになり、軌道に乗りました。

ニウエで日本食レストランを開いた和田泰一さん(左)とアビ・ルビンさん
ニウエで日本食レストランを開いた和田泰一さん(左)とアビ・ルビンさん=和田さん提供

――ニウエの魅力とは何ですか。

ニウエでは誰も鍵をかけないし、車の鍵もつけっぱなし。ある時、車に戻ったら何だか生臭い。助手席を見たら、たらいにいっぱいのヤシガニが載っていて、「タイイチ、ランチに食べてくれ」というメモがついていた。ヤシガニを持って家に帰ると、今度は台所に山盛りのパパイアやバナナが置いてあって、こっちはメモすらない。

普通は盗まれないために鍵をかけるでしょう。でも、ニウエでは鍵をかけないことで『増える』なんてことが、普通に起きる。島に住んでいるから、どうしても物流が不便だったり、手に入りにくい物があったりする。困ることもあるけど、みんなで分け合って、助け合って生きる文化が息づいているんです。

――それはどうしてだと考えますか?

みんな「足りている」んだと思う。満たされているんです。たしかにニュージーランドより最低賃金は低いけれど、それなりに足りているし、お金を使うところがそもそも少ない。食べ物も輸入品で高いけれど、主食のタロイモは現地でとれる。島の人みんなが幸せ。心に余裕がある。その余裕が、外の人を受け入れるゆとりにつながるんだと思います。

ニウエで日本食レストランを開いた和田泰一さん。ニウエ政府顧問の肩書も持つ
ニウエで日本食レストランを開いた和田泰一さん=2022年6月17日、東京都千代田区、荒ちひろ撮影

――日本とは2015年に国交を結びました。ニウエが、日本にとって「国」となったことで、変化は感じますか。

国家承認の前、日本の外務省の人がニウエが国として機能しているかを見に来ました。私が国会や首相府、法律事務所などを案内したのですが、「ちゃんと国として成り立っているし、こんなに少ない人数で回していて、感動した」と言ってました。やっぱり、日本がニウエを国家として認めたことで、ニウエと日本の距離が近くなったと思う。国際会議にも呼ばれるし、国としてきちんと扱われる。国家としてやりとりする対象として扱われるようになったと感じます。

――これからもニウエで色々挑戦してみたいことはありますか。

ニウエでは国内の携帯電話会社はありますが、海外ローミングを導入していないので、外国の携帯電話がつながらない。海外から来た人は不便に思うかもしれないけれど、これを逆手にとって、普段仕事で忙しい人に向けて「携帯のつながらない国」として観光で売り込むなんてのはどうかな。あと、週1便しか使われていない空港を利用して、飛行機の操縦を学ぶフライトスクールを開校するなどというのはどうでしょう。

小さな国ニウエだからこそできることが、いろいろあると思います。