大ブレークしたパワーレンジャー
「一つぐらい残ってるだろう!」
息子のために人気ヒーローのフィギュアを手に入れようと、アーノルド・シュワルツェネッガーふんする父親がクリスマスイブに玩具店を走り回る。映画「ジングル・オール・ザ・ウェイ」(1996年)には、そんなシーンがある。
これは本当にあった社会現象が下敷きになっている。東映のスーパー戦隊シリーズ海外版「パワーレンジャー」の大ブレークだ。
「パワーレンジャー」では、白人や黒人、ヒスパニック系の俳優が英語で演じる一方、顔が出ない戦闘シーンやロボット登場シーンの多くは日本版スーパー戦隊シリーズの映像が使われている。
1993年に放映が始まると、バンダイが全米販売したフィギュアが1年で1600万個以上も売れた。品切れの玩具店が続出し、「どうしてもほしいと、私のところにも国際電話がかかってきた」と東映専務の鈴木武幸は言う。1994年、バンダイの米国内の販売実績は、日本国内の約2倍の300億円にのぼった。
米国進出の話は、向こうからきた。
1990年代初めのある日、かねて東映と仕事をしていた米国人プロデューサー、ハイム・サバンが鈴木のもとを訪ねてきた。「スーパー戦隊シリーズの海外版をつくってはどうか。絶対に成功する」。自らも戦隊ファンのサバンは、そう鈴木にもちかけた。
「大好きなのは鳥人戦隊ジェットマンだ」というサバンは、スーパー戦隊の主題歌を日本語で10曲も歌ってみせた。熱意に負け、鈴木は挑戦を決めた。
1人ずつ名乗るシーンに違和感
だが、米国ではサバンのようなファンはまだ珍しく、日米スタッフの打ち合わせでは次々に問題が浮かんだ。
なにしろ米国人は、変身したヒーローがポーズを決め、1人ずつ名乗る定番シーンからして理解できない。「だって、いちいち名乗っていたら撃たれてしまうじゃない」。赤や黄色、青など5色のカラフルな衣装についても、「目立つ姿をしているのはおかしい」ときた。
そもそも、スパイダーマンやバットマン、スーパーマンなど単独のヒーローに慣れた米国人は、5人組のヒーローへの違和感があった。東映の鈴木が「みんなで力を合わせ、欠点を補い合って戦うためだ」と粘り強く説き続け、「それは米国になかったアイデアだ」と納得してもらったという。
その後はほぼ毎年、日本で放映ずみの作品をもとにした新作を放映している。米国での成功を機に、スーパー戦隊シリーズは世界80カ国に広がった。
実は、東映の海外展開は、特撮よりアニメのほうがずっと早かった。「アニメの他に何かない?」というリクエストに応じ、海外へ飛び出して行ったのが仮面ライダーやスーパー戦隊だ。
巨大化するウルトラマン、異形の仮面ライダー、チームでたたかうスーパー戦隊。特撮の珍しさに加え、ヒーローの個性も、海外では新鮮に受け止められた。
他国では苦戦
とはいえ、米国のスーパー戦隊のように海外で人気が爆発した例はあまりない。
単独ヒーローの大物たちがひしめく欧米では、昔もいまもウルトラマンや仮面ライダーは苦戦している。円谷プロと東映は1980年代以降、米国と豪州で現地俳優を起用した番組をつくったが、ヒットしなかった。
韓国では、仮面ライダーの人気がいま一つだ。バンダイコリア社長の江本義昭は「韓国ではオートバイはあくまで移動や運搬の手段で、あこがれのヒーローが乗るようなかっこいい乗り物ではないためではないか」と分析する。
欧米では、たたかうシーンが暴力的だとして、そのままでは放映できないものも。中国のように、日本の映画やテレビ番組が規制されている国もある。
社会や文化、人々の好みが国ごとに違うことが海外展開の壁になっている。
ただ、何が受けるかは予測しがたい。パワーレンジャーは「ヒーローは単独だ」という米国人のヒーロー観を逆手にとるようにして、5人組のヒーローという目新しさで成功した。
東映は近く、仮面ライダーで米国に再挑戦するという。今後、日本の特撮ヒーローが「壁」を乗り越え、世界のヒーローになる日がくるかもしれない。