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日本が巻き込まれてはいけないロシアの「サハリン橋」を巡る迷走

迷宮ロシアをさまよう 更新日: 公開日:
サハリンのホルムスクにて。現在はフェリー輸送が大陸とサハリンを繋ぐ命綱となっている(撮影:服部倫卓)

プーチン政権は経済面では意外に柔軟

最近のA.ナワリヌイ氏への弾圧に見られるように、ロシアではV.プーチン大統領による政権が、ますます強権化しつつある印象を受けます。確かに、プーチン政権は現支配体制の利益を守るためには一切妥協せず、基本的な国家イデオロギーや伝統的価値観などの面ではきわめて頑迷です。

その一方で、インフラ建設プロジェクトや経済・社会問題などに関しては、プーチン体制は良く言えば柔軟であり、悪く言えば方針がブレたりすることが多いと感じます。今回は、最近のロシアでそうした政策的迷走の代表例と思われる建設プロジェクトを取り上げてみたいと思います。極東ロシアで、ユーラシア大陸のロシア本土とサハリン島とを橋で結ぶという構想があります。橋の正式名称は決まっていませんが、本稿では「サハリン橋」と呼ぶことにしましょう。このサハリン橋をめぐる方針が、ブレまくっているのです。

サハリンの悲願

上の地図に見るように、サハリン島はユーラシア大陸とは、狭い海峡によって隔てられています。この海峡は、日本では間宮海峡と呼ばれますが、ロシアではタタール海峡と呼んでいます。その最狭部であるネベリスコイ海峡は、幅がわずか7.3kmしかありません(地図上で矢印で示した箇所)。ロシア人ならずとも、「どうにかして橋やトンネルで大陸と繋げられないか?」というのは、誰もが考えることでしょう。

最も早いトンネル構想は、帝政ロシア時代の19世紀末にまで遡るそうです。ソ連時代になり、1929~1930年にもトンネル建設が検討されたことがありました。戦前の当時は、ソ連が領有していたのはサハリン島の北半分だけでしたが、第二次大戦の結果、ソ連は南を含むサハリン島全体を実効支配下に置くこととなります。それを受け、1950年には、ついに独裁者I.スターリンがサハリン・トンネルの建設を正式決定します。囚人などを投入し、実際に工事が始まり、5年ほどでの完成を目指しました。しかし、1953年3月にスターリンが死去すると、その直後に、他の多くの巨大プロジェクトと同様に、サハリン・トンネルの建設計画も破棄されました。

1973年からは、大陸側のワニノとサハリンのホルムスクを結ぶフェリーが定期運航され、この路線が大陸と島を結ぶ物流の命綱となりました(冒頭画像参照)。しかし、フェリーは悪天候で欠航になることもあり、「やはりしっかりとした道路・鉄路で大陸と繋がりたい」という思いは、サハリン州民の悲願であり続けたわけです。

漂う迷走の予感

近年になると、トンネルではなく橋で大陸とサハリンを結び、そこに鉄道を通すという構想が優勢になってきました。そして、2015年9月にウラジオストクで開催された「東方経済フォーラム」の席で、ロシア鉄道のO.ベロジョーロフ社長が、「サハリン橋は近い将来のきわめて現実的なプロジェクトだ」と発言し、気運が高まりました。プーチン大統領は2018年7月、建設プロジェクトを検討するよう政府に指示を出します。

2018年5月にスタートした第4期プーチン政権では、「ナショナルプロジェクト」を策定し、優先的な政策課題に取り組んでいます。その一環として、「2024年までの基幹インフラ近代化・拡張総合計画」が2018年9月に採択されました。注目すべきことに、必要性を疑問視する声が少なくなかったにもかかわらず、サハリン橋を建設し大陸とサハリンを鉄道で結ぶプロジェクトは、総合計画に入っていました。ただし、サハリン橋建設の財源は、総合計画では明記されていませんでした。

そして、2018年11月、気になる動きがありました。D.メドベージェフ首相がM.アキモフ副首相(いずれも当時)に対し、いったんは落選したある別プロジェクトを、総合計画に加えるよう指示したのです。これに関連し、連邦政府の担当者は、「総合計画は生き物であり、検討を重ねた結果、追加されるプロジェクトもあれば、削除されるプロジェクトもある」と説明しました。日本であれば、いったん国家計画として正式に承認されれば、よほどのことがない限り完成まで突き進むはずですけれど、どうもロシアは様子が違うのです。今思えば、このあたりから、サハリン橋は迷走の予感が漂っていました。

実際、フィージビリティスタディを行ったところ、サハリン橋は採算が厳しいことが明らかになります。もともと、石炭などの資源を大陸からサハリン島に鉄道で運び、サハリンからアジア太平洋市場向けに輸出するようなスキームを描いていたわけですが、大陸の港から輸出すれば事足りる話であり、関心を示す企業が現れなかったのです。これでは、建設費を回収するための貨物量は見込めないという見通しが強まりました。

議論百出の様相

このように、いったんは正式決定されたはずのサハリン橋建設計画は、次第に旗色が悪くなってきました。そうした中、筆者が注目したいのは、プーチン政権の幹部の中でも、発言振りがかなり食い違っていることです。以下では2020年秋以降の幹部発言を時系列にまとめてみます。

まず、最高権力者のプーチン大統領は、10月7日の議会会派代表との会合の席で、次のように述べています。「サハリン橋は、我が国にとってきわめて重要な意義を有する。この計画は破棄されたわけではなく、我々は検討をしている。確かに高価ではあるが、サハリン橋はロシアにとって間違いなく必要である」

次に、11月10日に就任したばかりのA.チェクンコフ極東発展相は、11月14日にV.リマレンコ・サハリン州知事と会談した際に、次のように述べました。担当大臣として、非常に前のめりです。「サハリンと大陸を結合することは、きわめて重要な課題であり、またそれは実現しつつあると確信している。我が省とサハリン州の共同作業の中でも、優先的なものの一つだ」。さらに、12月8日にサハリン南部のコルサコフ港を視察した際にも、こう述べています。「コルサコフ港は、サハリンとヨーロッパをシームレスに繋ぐ鉄道の出発点になるべきだ。港の成功、貨物を20倍に増やすことは、サハリン橋プロジェクトの実現にかかっている」

しかし、そうしたプロジェクト擁護論に、冷や水を浴びせたのが、S.イワノフ大統領特別代表(自然保護活動・環境問題・交通運輸担当)でした。かつてプーチンの後継者にも擬せられたイワノフは、11月30日のインターファクス通信とのインタビューで、次のように発言しています。「サハリン橋は、心理的観点からは必要かもしれない。クリミアはロシア本土と結ばれたので、今度はサハリンと結ぼうというわけだ。しかし、経済的観点からは、サハリン橋は無用だ。橋を建設するに足る貨物が存在しない。大陸側では、橋の建設地から、内陸のコムソモリスク市まで536kmも、無人の針葉樹林に鉄道を敷設しなければならず、それには橋自体の建設以上のコストがかかる」

このイワノフ発言は波紋を広げ、D.ペスコフ大統領補佐官が釈明に追われました。11月30日、サハリン橋のプロジェクトは断念したのか、それとも継続協議なのかを問われたペスコフ報道官は、次のようにコメントしてます。「議論は常に行われており、今のところ具体的な決定はない。当然のことながら経済的要因は最重要であり、このような巨大建設プロジェクトが経済的に意義を持つのは、一定量の貨物の流れが生じる場合だけであるのは至極当然だ。イワノフ氏はそうしたことを指摘したまでである」

事業の当事者となるロシア鉄道は、今のところ関心を持ち続けているようです。12月4日、国際会議の席でO.ベロジョーロフ・ロシア鉄道社長は、次のように述べています。「サハリン橋は建設されることになる。問題は、それがいつかということだけだ。ロシア鉄道はサハリン橋にかかわる作業を停止しておらず、すでに技術的・経済的調査を行った」

当然のことながら、橋待望論が最も強いのは、地元サハリン州です。12月11日、極東の運輸問題を検討する会議でサハリン州のリマレンコ知事は、次のように述べています。「橋は、サハリンが貨物トランジットのポテンシャルを最大限に発揮することを可能にする。ロシアとアジア太平洋諸国との経済協力に、強力なインパクトを与えることになろう」

そうした中、身も蓋もないことを言ったのは、M.フスヌリン副首相(建設部門担当)でした。12月29日、フスヌリン副首相はインスタライブでの質問に次のように答えました。「サハリンに橋を架けるのは、悪くないアイディアだが、今のところそれに必要なカネが足りない」

日本は絶対に巻き込まれるな

このように、サハリン橋建設の是非をめぐって、プーチン政権のエリートの間でも、かなりの不一致が見られます。一応プーチンはまだ橋を建設すると言っているのに、副首相が「カネが足りない」などと公言するのは、プーチン=独裁者という一般的なイメージには反する現象です。これがスターリンであれば、あと何年か長生きをしたら、どんな犠牲を払ってでもサハリン・トンネルを完成させたはずであり、それに反対した閣僚は銃殺したでしょう。

サハリン橋の建設費用は、付随する鉄道の敷設も含め、現時点では5,400億ルーブルと見積もられています。上図は、各種報道などをもとに、近年のロシアにおける巨大建設プロジェクトのコストを比較したものですが、同じ橋だけで比べても、サハリン橋はあのクリミア橋の2倍以上であり、ウラジオストクのルースキー橋とは桁違いです。現在1円=0.70ルーブルであり、時代は少し違いますが、総工費5,000億円と言われる我が国の明石海峡大橋よりもさらに高額なプロジェクトと言えそうです。

現在ロシアで優勢になってきている「サハリン橋は採算がとれず、経済的合理性は認められない」というのは、まったくそのとおりでしょう。しかし、2012年くらいまでの勢いのあるロシアだったら、「えいや」と建設してしまったかもしれません。そう思うと、サハリンの皆さんには、少々気の毒な感じもします。

ところで、日本として注意すべきは、ロシアにおいてサハリン橋の構想はしばしば、サハリンと北海道を橋またはトンネルで結ぶ構想とセットで考えられていることです。安倍前総理も出席した2017年9月の東方経済フォーラムでプーチン大統領は、「(大陸~サハリン~北海道の連結は)完全に惑星規模のプロジェクトだ」と述べてその意義を強調し、安倍前総理も否定はしませんでした。

しかし、そうした事業に応じた場合に、日本がコストに見合う経済的便益を得られるとは考えられず、安全保障面で生じる不安は言わずもがなです。見返りに北方領土が返ってくるなら検討してみるのも悪くありませんが、その可能性が厳しいことは周知のとおりです。日本政府が協力に応じることはよもやないはずですが、曖昧な態度をとりロシア側に期待を抱かせるようなことがあれば、お互いのためになりません。