1. HOME
  2. World Now
  3. 世銀のビジネス環境レポートに何が起きたのか? ロシアも拍子抜けの事態

世銀のビジネス環境レポートに何が起きたのか? ロシアも拍子抜けの事態

迷宮ロシアをさまよう
昨年発表された『Doing Business 2020』の表紙

コロナとは関係なしに今年中止になったものとは?

私が属している業界では、毎年秋の風物詩があります。世界銀行(世銀)から、例年10月頃に『Doing Business』というレポートが刊行されるのです。この報告書は、世界の国と地域のビジネス環境を網羅的に比較し、「どの国が規制が少なくビジネスをやりやすいか?」というのをランキング形式で発表するもの。これが発表されると、投資を呼び込みたい新興国・途上国には悲喜こもごもが生じますし、我々エコノミストもそれを大いに話題にするものです。

ところが、2020年秋に出るはずだった『Doing Business 2021』(タイトルには発行年の次の年が冠せられる)は、ついぞ発行されませんでした。2020年は、新型コロナウイルスのパンデミックにより、オリンピックをはじめ色んなものが中止になってしまった年でしたが、『Doing Business』が出なかったのはコロナ禍とは関係ありません。一体、何が起きたのでしょうか?

そして、『Doing Business』は、この連載の対象であるロシアおよびその近隣諸国にとっても、大きな関心事です。特にロシアは、このランキングにおける順位の向上を国家目標の柱に据えていたほどで、それが出なくなってしまうのはまったく拍子抜けの事態です。

ランキングの光と影

今や世銀の看板レポートの一つとなった『Doing Business』は、2003年から発行されています。企業家にとっての関心事となる起業、建設許可、電力へのアクセス、資産登記、融資獲得、投資家保護、納税、貿易取引、契約執行、破産した際の処理といった項目につき、どれだけビジネスがやりやすいかを採点し、各国が全世界の中で何位かを示すものです。項目別の順位と、総合順位とが発表されます。

2019年10月に出た『Doing Business 2020』では、世界の190の国と地域が対象となっており、きわめて網羅的なものです。ちなみにこの最新版で総合順位を見ると、上位は、1位ニュージーランド、2位シンガポール、3位香港、4位デンマーク、5位韓国などとなっています。

一般に新興国・途上国は、外国から投資を誘致したいと望むものであり、その上で鍵になるのが各国の投資環境です。『Doing Business』はそれを分かりやすくランク付けするものですので、新興国・途上国がそれを重視するようになるのは自然な成り行きでした。たとえば、インドのモディ政権は2022年までに『Doing Business』における順位を50位までに上げることを目指しています(2019年現在は63位)。

しかし、このように『Doing Business』の注目度が高まるにつれ、それについての異論や疑問も呈されるようになりました。

まず、このランキングでは基本的に各国の法制度が評価され、実態面は必ずしも考慮されないことです。新興国・途上国などでは、公式的なルールと実態の乖離こそが投資家を悩ませ、「規制はないはずなのに、実際にやろうとしたら、役人に賄賂を要求された」といったことが起きがちなわけですが、そのあたりが評点と順位に反映されないわけですね。

ロシアビジネスの場合でも、「新しい規則が導入されたはずなのに、極東のような辺境までは周知徹底されていない」とか、「お役所の担当者によって言うことが違う」とか、「当局がある日突然、ルールを拡大解釈して特定の企業を狙い撃ちにする」とか、そういうグレーな部分こそがビジネスを難しくするのですけれど、『Doing Business』ではそういったニュアンスは汲み取られていません。

また、『Doing Business』があまりにも注目されるようになったので、真摯に投資環境を改善するというよりも、『Doing Business』で順位を上げるためだけの「傾向と対策」を練る国が増えました。聞くところによると、それを専門とするアドバイザーなども跋扈しているようで、そのノウハウを取り入れれば順位アップは比較的容易なのだそうです。上述のモディ政権のインドなどは、まさにそうした「傾向と対策」を駆使して順位を高めつつあると指摘されます。

世銀による評点の正確性についても、批判が寄せられています。『Doing Business』の注目度ゆえ、それをテーマとした研究論文なども登場するようになっているのですが、たとえばある研究によると、太平洋島嶼諸国がニュージーランド(上述のとおりランキング首位の国)と同様の制度改革を実施したにもかかわらず、それが同諸国の評点と順位にしかるべく反映されなかったという事実が確認されているということです。

さらに、そもそもの問題として、果たして評価の基準が正当なものなのかという疑問もあります。世銀は規制緩和こそがビジネス環境の改善に繋がるという立場に立脚しているものの、世の中には環境保護や労働者の権利擁護の観点から、必要な規制もあるはずです。実際、インドネシアでは、『Doing Business』には好意的に評価されるような労働法制の改変が、現実には労働者の雇用条件の悪化をもたらしたという事例が報告されています。

レポートが発表されない異常事態

このように、『Doing Business』の注目度は高まり、新興国・途上国が投資環境を改善する励みにはなっていたものの、それだけに多くの批判や疑問の声も寄せられていました。

そして、今年になってついに異変が生じました。8月27日に世銀が、今年秋に出る予定だった『Doing Business 2021』の発行をいったん取りやめ、過去のデータを洗い直すと発表したものです。

これは、2017年と2019年に発行された『Doing Business』に、データの意図的な改変が見付かったことを受けたものです。アゼルバイジャン、中国、サウジアラビア、アラブ首長国連邦という4つの国のデータに、不適切な操作があったとされています。世銀では、過去5年分に遡って、データを全面的に検証し直すとしています。

筆者が情報収集を試みた範囲では、今後の予定について、具体的なことは今のところ不明です。

ロシアは20位を目標にしていた

この連載の対象地域であるロシアおよびその他の旧ソ連諸国(バルト三国を除く)が、世銀の『Doing Business』で占めている順位を跡付けたのが、上のグラフになります。

なお、図中でたとえば「2020」となっているのは、2019年に刊行された『Doing Business 2020』という意味ですので、ご注意ください。また、『Doing Business』では何度か調査項目を修正しており、調査対象国も順次拡大されています。そのため、新しい基準で過去に遡れば自ずと順位も変わってくるわけですが、上図に示した順位は、あくまでも当該年を冠した報告書に掲載された順位ということになります。

この地域では、ジョージアが世界的に見てもきわめて高い順位に位置しています。それ以外の国は所得水準に概ね比例している感があり、ジョージアに続くのはカザフスタン、ロシア、アゼルバイジャンといった産油国です。以下、欧州系の国、中央アジアの国という具合に並んでいます。なお、残念ながら孤高のトルクメニスタンはこの調査の対象外となっています。

実は、このランキングにおける順位の向上は、2012~2018年の第3期プーチン政権の、公式的な目標になっていました。すなわち、同政権の政策方針を示した2012年5月7日付大統領令「長期的な国家経済政策について」の中で、「世銀のビジネス環境ランキングにおけるロシア連邦の順位を、2011年の120位から、2015年には50位に、2018年には20位にまで引き上げる」とされていました。

上図に見るとおり、実際には、2018年に出た『Doing Business 2019』で、ロシアは35位でした。20位という当初の目標こそ未達成でしたが、120位から数年間でここまで上げたのは立派です。もちろん、上述の「傾向と対策」の役割が大きいものの、ロシア政府による政策的な取り組みが、ここまで確かな成果を挙げることは珍しいでしょう。

実は、プーチン政権が2012年に『Doing Business』での20位入りを目標に掲げるに当たっては、「ロシアの近代化のためには民間投資の活性化、外国投資の誘致が鍵を握り、そのためには投資環境の改善が不可欠」という認識が背景にありました。きわめて真っ当な考え方だと思います。しかし、2014年のウクライナ危機をめぐる欧米との対立を経て、2018年に始まる第4期プーチン政権では、重点が変わります。より強い国家を志向し、国家主導の投資を重視するようになったのです。

ロシア政府が現在も、『Doing Business』での順位改善をメルクマールとして、ビジネス環境の改善に取り組んでいることに、変わりはありません。そうした中で、『Doing Business』が今年出ないことになってしまったのは、ロシアの政策担当者にとってもまさに拍子抜けの事態でしょう。筆者としては、ロシアが過度に国家主導路線に陥らず、民間投資環境の改善を継続するためにも、世銀による『Doing Business』のプロジェクトが適切に改革され、正しい指針として存在してくれることを願います。