ロシアの旅行収支は赤字続き
ロシアのプーチン政権が最近力を入れているものの一つに、外国人観光客の受入があります。ロシアはこれまで、石油、天然ガス、石炭、鉄といった天然資源に直接由来する商品を主に輸出してきました。今後は、なるべく付加価値の高い加工品の輸出を増やし、さらにはモノに加えてサービスの輸出も拡大していきたいというのが、ロシア政府の意向です。その一環として、旅行サービスの輸出、すなわち外国からの観光客の受入増が課題になっているわけです。
ロシア当局がその願望を抱くのも、無理はありません。下のグラフに見るとおり、ロシアの旅行サービスの輸出(外国人観光客がロシアに落とすお金)と、輸入(ロシア人観光客が外国に落とすお金)を比べると、後者が前者を大きく上回る状態が続いており、収支は一貫してロシアの赤字です。
また、ロシアの旅行サービス輸出で特徴的なのは、業務旅行と私的旅行の割合が半々なことです。一方、輸入は圧倒的に私的旅行が多い。これは、「外国に行くロシア人はほとんどが遊びに行くけれど、ロシアに来る外国人はビジネスをしにくる人の割合が大きい」ということを意味し、それだけ観光国としてのロシアの魅力が微妙ということになってしまいます。
外国人観光客の受入数ランキングで、ロシアは2011~2015年には世界第9位でしたが、2016年には15位に落ちてしまいました。また、旅行サービスの輸出額ランキングでは、ロシアは2013年には世界第17位でしたが、2016年には26位にまで後退しました。
下図に見るとおり、旅行サービスの輸出が伸び悩んでいるのに対し、輸入(つまりロシア人の外国旅行)は、経済危機の時期に落ち込む現象こそあるものの、概ね拡大基調です。ちなみに、若干古いデータですが、2014年の外国旅行に関するロシア国民の意識調査で、行ってみたい外国を尋ねたところ、フランス8%、イタリア8%、トルコ7%、エジプト6%、タイ5%、スペイン4%、ドイツ3%、ギリシャ3%、英国2%、ブルガリア2%、中国2%、インド2%、日本2%、米国2%、といった結果が出ました。ヨーロッパの主要観光国に加えて、ビーチリゾートの人気が高いのが、ロシアの特徴でしょう(トルコ、エジプトもその理由による)。冬が長く厳しい国なので、南国の太陽への憧れが強いのです。
インバウンド観光が立ち遅れている原因
ロシアは、観光資源にはそれなりに恵まれた国だと思います。2018年7月時点で、ロシアでは文化遺産が17件、自然遺産が11件、計28件がユネスコの世界遺産に登録されており、これは世界で9番目に多い件数でした。にもかかわらず、インバウンドの観光業が思うように発展しないのには、いくつかの原因があります。
まず、地理的な要因が挙げられそうです。外国から首都モスクワに行くだけでも一苦労というイメージがありますが、そこから地方の観光地に出向こうとすれば、さらに大変です。増してや、自然遺産となると辺境に位置していますので、自力でのアクセスは至難の業。ロシア歴の長い筆者ですら、11箇所あるロシアの世界自然遺産は、一つも訪問したことがありません。
気候面でのハンディキャップもあるでしょう。たとえば、東京や京都であれば、一年を通して外国人観光客が訪れます。しかし、寒冷地のロシアでは、長く厳しい冬に、観光客がガクっと減ってしまいます。ハイシーズンとオフシーズンの差が激しく、観光産業の安定的な維持が難しいのです。
また、筆者が残念に思うのは、ロシアの都市景観が画一的で味気ないという点です。むろんロシアの教会などは大変美しいのですが、それはあくまでも「点」であり、西欧や中東欧のような中世の街並みが「面」としてそのまま残っているようなパターンはほぼ期待できません。その分、観光地としての魅力が低下してしまいます。
また、食事の面での楽しみが少ないのが、ロシア旅行のマイナス点だと思います。高いレストランに入って、定番的なロシア料理を楽しむだけなら、問題ありません。しかし、以前、「ロシアの外食産業事情と『なんちゃって和食』」の回で論じたとおり、地方ごとのご当地グルメの類が乏しいきらいがあります。ロシア旅行では、「よし、あの街に行って、有名な名物料理を食べるぞ」というモティベーションが、沸きにくいのです。
さらに、かつては、カオスのような空港、ぼったくりタクシー、貧弱なのに馬鹿高いホテル、英語が通じにくいことなども、外国人がロシア旅行を敬遠する原因となっていました。しかし、これらの問題は時とともに改善され、特に2018年のサッカー・ワールドカップで、ロシアの外国人観光客受入体制は大幅な進歩を遂げました。あとは、ビザ制度の緩和を期待したいところです。
さらにデータを検証
ロシアの観光をめぐる問題について、さらにデータを紐解いてみましょう。
上の図は、ロシアのどんな地域が観光客を多く受け入れているかを示したものです。ロシア国民によるロシア国内観光(ブルーの部分)と、外国人によるロシア観光(ピンクの部分)とを、対比しながら示してみました。なお、ロシア政府系機関の資料にもとづいて作成しているため、ロシアが編入を主張しているクリミア共和国も含まれていますが、悪しからず。
これを見ると、外国人観光客の受け入れは、首都のモスクワ市と、北の都サンクトペテルブルグ市にかなり集中しています。この二大都市以外に、外国人を強力に集客できる観光地が見当たらないというのが、ロシアの泣き所と言えそうです。日本からも近く、ウラジオストクを抱える極東の沿海地方は、かなり健闘している方です。
クラスノダル地方、クリミア共和国なども観光地としてメジャーですが、そこを訪れるのはほとんどがロシア人。数少ない外国人も、旧ソ連の近隣諸国の人たちばかりです。クラスノダル地方とクリミア共和国には、旧ソ連圏では希少なビーチリゾートがあるので、北国のロシアの人々にとっては夢の楽園ですが、外国人にとっての魅力は乏しく(肌寒い日が多いし、砂浜というよりは砂利浜だったりする)、今後も外国人が増えることはないでしょう。また、首都の近郊部分に当たるモスクワ州は、テーマパークなどのレジャー施設が多いがゆえに上位に位置していると考えられますが、これも外国人向けではないでしょう。
ロシアの旅行業界を対象に行われたアンケート調査によると、2017年のロシアの旅行産業の売上高のうち、外国人を対象とした売上の比率は、10%に満たなかったということです。業界では、外国人よりもロシア人の旅行客が増えることへの期待の方が大きいとされています。
次に、下の表は、ロシア統計局発表のデータにもとづいて、2017年に外国人が観光目的でロシアを訪れた数と、逆にロシア人が外国を訪れた数を、相手国別に整理したものです。なお、相手国に「アブハジア」というのが登場しますが、これはジョージアからの分離独立を唱えている少数民族地域であり、ロシアは独立承認を強行したものの、国際社会からは認知されていないので、ご注意ください。ただ、アブハジアは黒海に面した風光明媚な土地であり、「ロシア人と観光」というテーマを考える時に、視野に入れておいて損はありません。
さて、下表によれば、ロシアを観光目的で訪れている外国人は、ウクライナからが最も多く、次にカザフスタンと、旧ソ連の兄弟国が続きます。なお、ベラルーシからも同じくらい多いはずですが、ロシア・ベラルーシ間では基本的にパスポートコントロールが行われないので、統計上過小評価されてます。ただ、これらの近隣諸国民がロシアを訪問して、実際に「観光客」としてたくさんお金を落とすかと言えば、疑問です。観光という名目で入国はするけれど、知人・友人を訪ねてそのままその家に泊まったり、あるいは仕事をしたりということが多いのではないでしょうか。
旧ソ連域外の外国人で、最近急増しトップに立っているのが中国人です。実際、ロシアの観光地で中国人団体客を目にすることが非常に増えました。フィンランドやポーランドは、ロシアに隣接した国なので、これらの国からは「ルーブル安になったから、ちょっとロシアに買い物にでも行ってみようか」というノリで訪れる人が多いらしく、本格的な観光旅行を楽しむ向きは多くないようです。したがって、中国に次いでロシアに一般的な観光客を多く送り出している国はドイツであり、以下、韓国、米国などと続くということです。
2017年に、日本からは10万人あまりが観光という名目でロシアを訪問し、国別の順位は27位でした。ロシアから日本への観光旅行はさらに低調で、6.5万人に留まり、ロシア国民の外国旅行先としては48位でした。2017年2月に「観光分野における2017年から2019年までの期間の日本国観光庁とロシア連邦観光局との間の共同活動プログラム」が結ばれており、その中で2019年には両国間で25万人の国民の相互往来を達成するという目標が掲げられていますが、果たしてどうなりますか。
プーチン政権の取り組み
というわけで、2018年のワールドカップ効果などはあったものの、趨勢的には世界の並み居る観光大国に押され、外国人観光客の誘致で劣勢に立たされているロシア。プーチン政権の下で、巻き返しを図ろうとしています。
ロシアの常として、政策目標が浮上すると、それに取り組むための大部の政策文書が策定されます。観光分野においては、2014年5月に、「2020年までのロシア連邦の観光発展戦略」が策定されており、2035年までを対象とした新版の戦略も近日中に発表される見通しです。また、2018年5月には、連邦目的別プログラム「2019~2025年のロシア連邦における国内観光およびインバウンド観光の発展」も採択されています。さらに、2018年11月に採択された連邦プロジェクト「サービス輸出」では、2017年時点で90億ドルに留まっていた旅行サービスの輸出を、2024年には155億ドルにまで拡大するという具体的な目標が示されました。
ただし、目標が掛け声倒れになったり、政策文書が作文だけで終わったりするのも、これまたロシアの常。果たしてインバウンド観光の振興策は功を奏するのか、その行方を見守りたいと思います。