小型のプロペラ旅客機が雲の中から現れた。北方領土・国後島の空の玄関口、メンデレーエフ空港。ロシア極東サハリンのユジノサハリンスクの空港を1時間余り前に出発した便が、スムーズに滑走路に舞い降りる。空港に降り立った人々は、大きな荷物を抱え、バスやタクシーで町に向かう――。以前は船を使って来るものだった国後島だが、最近ではこんな光景も当たり前になってきている。
ロシア側から北方領土を目指す場合、必ずサハリンを経由しなければならない。北方領土に向かうあらゆる定期の旅客機や客船があるのがサハリンだけだからだ。
以前は船が主な移動手段だったが、最近は観光客を中心に旅客機の利用が増えている。というのも、船だとサハリンのコルサコフ港から、択捉島や色丹島を経由して国後島まで最短でも丸1日かかり、船内で夜を過ごすことになる。それに比べて飛行機はたったの約1時間半。大幅に短く、観光客にはとても便利だ。
上空から島を眺めると、雲の切れ間から光が差し込み、まるで南国の観光パンフレットの写真のように、周囲の海がエメラルドグリーンに輝いて見えることもあるという。空港管理会社のセルゲイ・ボンダレフ社長(44)は「乗客数は毎年、10~15%伸びている」と話す。
地元自治体は、島民の生活向上の一環としても航空機の利用を後押しする。大人1人の航空運賃は約15000ルーブルだが、島民なら補助金のおかげで約6000ルーブル。なんと6割引だ。空港整備も着実に進む。国後島の空港は第2次世界大戦前、日本が建設。ソ連占領後も大きな改修をせずに使用していたが、2006年に設備のトラブルで一時的に閉鎖。その後、滑走路の整備などに取りかかり、2011年に新しいターミナルビルもできた。滑走路の長さは約2000メートルで小型のジェット旅客機の離発着も可能。ターミナルは1時間に最大70人の乗客に対応できるという。
ちなみに国後島の空港の名称は、元素の周期表をつくったロシアの偉大な化学者メンデレーエフにちなんだ地元の村の名前からつけられた。
サハリンを拠点とする地元航空会社の「オーロラ」は、世界的に人気のあるカナダの航空機大手ボンバルディア(今年7月に欧州大手エアバスが事業を買収)のプロペラ機(最大70人乗り)を導入して輸送力を増強。夏ダイヤの現在は毎日便がある。
飛行機にはターミナルから駐機場まで歩いていき、そのまま機内に乗り込む。機体のすぐ近くまで寄れることから、機体をバックに記念撮影をしている人も。これも旅の醍醐味と思えば楽しいかもしれない。
小ぶりの飛行機は、開いたドアに階段がついているタイプ。実際に搭乗したフリージャーナリストのウラジーミル・ラブリネンコ氏によると、機内はジェット機に比べれば狭く感じるが、シートは思ったほどには窮屈さを感じないそうだ。ただ、荷物用の棚が上下の幅がとても狭いので、大きい荷物だと分けて入れる必要がある。翼が機体の上部についているので、冒頭のような景色を楽しみやすいのは利点だ。サンドイッチや飲み物も用意されているのでサービスは十分と言えるだろう。
もっとも島民の女性は「チケットが買いにくい上に、天候が悪くて欠航が多いので使いにくい」とこぼす。試しに8月中旬、サハリンから国後島に向かう航空券を探してみると、9月中旬までの1カ月間で、空席があるのは2日だけだった。これでは、「すぐに国後へ」というわけにはいかない。
また北方領土周辺は、夏は霧に覆われる日が多いため、欠航になりやすい。もともと需要に対して座席数が不足気味なので、欠航が続くと、なかなか順番が回ってこない。2年前、ラブリネンコ氏が国後島に向かったときは、悪天候で欠航が重なり、ユジノサハリンスク空港のカウンターに大行列ができていたそうだ。3日間待ったが席が取れず、結局、船に切り替えた。飛行機に乗るまで1週間待つこともある。空港運営会社のボンダレフさんによると、以前、ウラジオストクとの航空便を開設する構想もあったが、断念した理由の一つが、夏の悪天候のために利用客数の予想が難しいことだったという。
日本も昨年、元島民の択捉島と国後島への墓参を初めて空路で実施したが、気まぐれな天候に翻弄された。6月は悪天候で中止となり、9月も日帰りのはずが、濃霧のために飛行機が国後島の空港を離発着できず、参加者は国後島などで1泊することとなった。