今回も引き続き、地域でケアを必要とする人々の生活を支えることについてお話ししていきます。前回は、この事について、医療だけではなく介護や福祉などの力が欠かせないという話をしました。しかし、病気や障害を持っていると、それら枠組みの外にある日々の暮らしの中でいろいろな不便を感じたり、やりたいことを諦めざるをえない場合があります。そうした状況をできるだけ改善していくためには、どれだけ医療や介護を充実させても不十分で、そうした人々をとりまく環境そのものが変わっていくべきだとの問題意識が高まり、そのための様々な取り組みが行われています。
ここでは、イギリスにおける認知症ケアを一つの例として、こうした取り組みについて簡単に紹介していきます。
ロンドンスクールオブエコノミクス(LSE)の調査によると、イギリス全土で認知症を持つ人は2019年時点で約90万人、65歳以上の14人に一人(7%)と推定され、この数字は今後予測される高齢化とともに右肩上がりに上昇し、2040年には約160万人、65歳以上の11人に一人(9%)に達する見込みです。また、イギリスアルツハイマー協会(Alzheimer's Society)によると、認知症を持つ人の3人に2人は施設や病院ではなく家で暮らしていて、家族や友人など認知症の人を無償で支えている人々が70万人近くいるということです。
今後、高齢化が進行し、認知症を抱える人がさらに増えてくると予測される中、認知症の人が住み慣れた地域でどのように生活を継続していくことができるのか、これまでにないアプローチが求められています。
認知症フレンドリーコミュニティ — 認知症の人にやさしいまちづくり
こうした背景の中、イギリスでは「認知症フレンドリーコミュニティ(Dementia Friendly Community)」として知られるまちづくりが広がり、定着してきました。
これは、認知症の人が周りの人たちによって理解、尊重、支援され、より自信を持って地域の活動に参加、貢献できると感じられるようなコミュニティを創ること、いわゆる「認知症にやさしいまちづくり」を広めようとする取り組みです。高齢化先進国の日本でももちろん、前々からこうした活動が盛んに行われてきて、今では日本の全国各地で実践されています。
イギリスでは2009年に認知症ケアを国家戦略に掲げて以来、国をあげてその整備・拡充に努め、その中で認知症フレンドリーコミュニティが積極的な広がりを見せてきました。
このまちづくりを各地域で進めていくために作られたのが認知症アクション連盟(Dementia Action Alliance)と呼ばれる集まりです。まちの中で、認知症を持つ本人や家族、行政、福祉関係者だけでなく、認知症の人にやさしい取り組みをしたいという志をもつ地元企業、教育機関、公共施設など幅広い組織が参加し、認知症を持つ人やそばで支える人たちの視点から物事を考え、同じ目標を共有したり、協働でプロジェクトを実施したりしています。
例えば、先進的な認知症フレンドリーコミュニティの一つとして知られるイギリス南部の街クローリーでは、地元企業、市役所、交通機関、病院、介護施設などさまざまな組織がこの連盟に参加し、銀行員、バスの運転手、ウェイターなどに認知症の兆候を見分ける訓練を行い、認知症を持つ人への接し方を知ってもらうようにしたり、認知症の人が学校に足を運び、子どもたちに対して認知症についての話をして、理解を深めてもらったりしています。それに加え、地域医療政策を担うクローリーCCGでは、当事者のニーズをできるだけ反映させるため、認知症を抱える本人や家族によって運営される当事者グループの声を羅針盤として、政策決定を行っています。CCGについては第25回で説明しました。
私の住むリーズでは、認知症になっても芸術を変わらず楽しんでもらおうとする取り組みが行われています。ウェスト・ヨークシャー・プレイハウスという劇場は、照明の明るさや効果音の音量など、一般向けの作品を認知症の人向けに調整し、認知症の人にやさしい公演(Dementia Friendly Performance)を提供したり、演劇、ダンス、詩などの創造的な活動を中心とした、週1回行われる高齢者や認知症の人が参加するアートプログラムも提供しています。
また、各地域でのこうした取り組み以外にも、全国展開する大手の民間企業の一部では、認知症の人向けのサービスも提供し始めています。
例えば、認知症の人にやさしい銀行を目指すと公言しているロイズ銀行では、認知症の人や家族がより安心して銀行を利用してもらうために、通常より長めのアポイントメントを提供したり、認知症の人がカードの暗証番号を忘れていたとしても不便に感じたり、恥ずかしさを感じずに買い物できるようにと、デビットカードをカードリーダーに入れると暗証番号ではなくサインを求めるよう自動的に店頭員にお願いするメッセージが出る特別なカードを発行しています。
こうした地域の企業や一部の人たちの変化も重要ですが、その一方で、地域社会を構成する人、個人個人が認知症に対し理解を深め、支える側に回ることがこうしたまちづくりには欠かせません。
イギリスでも、日本の先進的な取り組みの一つである「認知症サポーター」に習って、一般の人や店員、郵便局や市役所で働く人たちなど、できるだけ多くの地域住民に認知症に対する理解を深めてもらおうと、「認知症フレンズ(Dementia Friends)」と呼ばれる取り組みが始まっています。
認知症に関するセミナーを受講したり、ビデオを見ることによって、誰でも「認知症フレンズ」になることができ、結果、そうした人たちが認知症に対する正しい知識を持ち、偏見を減らし、それをもって行動することを主な目的としています。認知症の人を日頃から支えている家族・友人だけではなく、地域の一般住民やグループを巻き込み、認知症に対して社会が持つネガティブなイメージや閉鎖的な文化を、よりポジティブでオープンなものへと変えてしまおうという取り組みです。
例えば、イギリスの全国各地に広がる大手スーパーのマークス・アンド・スペンサーでは、約8万人のスタッフ全員が必要な研修を受け、認知症フレンズになり、認知症の啓発活動を継続的に行っています。こうしたセミナーは希望すれば誰でも受講することができます。
認知症フレンドリーコミュニティの開発や、認知症フレンズの育成は、こうした取り組みが始まって以降、全国的に広がりを見せていて、現時点では、300近い認知症フレンドリーコミュニティと、300万人以上の認知症フレンズがいると言われています。
このように、病気や障害を抱える人たちに対して、地域全体で正しい理解のもと支えていこうという取り組みは、認知症だけでなく、その他の多くの健康問題や社会的問題に対する対応策の一つとして広がりつつあります。
以上になります。
次回は、地域を診ることについてお話しします。