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自分らしく生きる 「シェ・パニーズ」の料理人になるまで 宇井裕美さん

サンフランシスコ 美味しいフード&ライフスタイル 更新日: 公開日:
シェパニーズの料理人となった裕美さん。「おいしくて美しい料理は人を幸せにするだけでなく、心を動かします」

「従業員はまるで家族のように仲が良いんです。長年勤務する人が多いのもアメリカでは珍しいですよね」

年間を通じて予約が入りにくい大人気のレストラン「シェ・パニーズ」。「オーガニック、ローカル、シーゾナル」がコンセプトのほっとする”シンプル料理”がその人気の秘密だ。そんな料理を生み出す厨房は、カフェとレストラン、ペストリーに分かれ、それぞれヘッドシェフが2人ずついる。うち2人は20年以上勤務のベテランシェフだ。裕美さんはカフェの調理人として腕をふるっている。

新しい旬の食材が入荷するたび、厨房ではメニュー会議が開かれる。「春先、艶々で彩りの良いアスパラガスを眺めながらヘッドシェフは、『君たちはこの子をどのようにセレブレートする(祝う)?』と目を輝かせながら私達に投げかけるの。すると皆ワクワクしながら我こそはとベストな調理法を話し合うんです」

「シェ・パニーズ」で働く仲間たち。上下関係はなく、それぞれの持ち場でイキイキと働く。今年49周年を迎えた。写真中央がアリス・ウォータースさん。右端オレンジのシャツが宇井ひろみさん©Chez Panisse

韓国料理に魅せられて

裕美さんが初めて「料理」に触れたのは5歳のころ。親戚が営む民宿のキッチンを手伝った。千葉県九十九里浜町に生まれ、海や畑が近い環境に育った。

 次に料理と向き合ったのは韓国だった。2009年、裕美さんは語学留学で滞在したニューヨークで出会った韓国人男性と結婚。その後7年間韓国で暮らし、韓国の食文化に魅了された。「家族で囲むテーブルには伝統料理が並び、みんな手作りで本当に美味しかったんです。自分でも作れるようになりたいと思いました」。

特に興味を抱いたのが、各家庭で手作りされる発酵料理。作り方を聞いたり、自分で調べたりして、キムチやみそなど日韓の発酵料理作りに挑戦するようになった。 実家の近くにあり、無農薬米を使った自然発酵にこだわる「究極の自然酒」造りを実践する酒蔵「寺田本家」のツアーにも参加し、発酵の奥深い科学に感銘を受けた。「酒造りのプロセスは手と舌の感覚で時間をかけて進められていました。地下水を使ったり、蔵に住み着いている天然酵母しか使わないなど、300年前にタイムスリップした感覚でした」と裕美さん。寺田本家が実践する「自然との共存」や「クラフト」(手作り)といった哲学は、料理人としての裕美さんのそれからの人生に大きく影響した。

寺田本家では酒造りを「命を育む場所」としている。「微生物から私たちの生き方のヒントが見えてくる」©寺田本家

もっと料理を学びたいと、オーガニック料理で人気を集めていたソウルのカフェ「スッカラ」で働き始めた。始めは希望していた調理担当ではなくウェートレスのアルバイトだったが、すぐにマネージャーにならないかと声がかかった。ちょうど、店のオーナーがソウル市に働きかけ、今では市の名物となっているオーガニック農家によるファーマーズマーケット「マルシェ@」が始動したタイミング。喜んで引き受けた。

食べ物だけではなく店作りの隅々にクラフト感あふれるカフェ「スッカラ」の外観。

ここから裕美さんは料理人として開花していく。生産者と消費者が直接会話し、若者を中心に多くの人が集まるこのマーケットで、裕美さんも「ひろみそ」という屋号の発酵食品の店を毎回出店した。韓国在来大豆と熟成天日塩、天然の麹菌を使ったこだわりの手作りみそや梅干し、ぬか漬けなどを販売すると共に、発酵ワークショップを開いた。「マルシェ@は、ただ、売る、買うだけではなく、生産者の思いが伝わる特別な場所。食べ物がどこからくるのかに興味を持った人達のエネルギーが徐々に上昇していくのを感じました」

「スッカラ」ではマネジャーとして接客から発注、スタッフ管理、メニュー開発、マルシェへの出店や教育プログラムを作りまでこなし、マルシェで知り合った人たちと生産者を訪ねるツアーも企画。「農家さんが丹念に育てている豆や野菜やお肉の加工、自家製のピクルス、ジャムや果実酒、パン作りは楽しく、お客さんから直接フィードバックを得る事は働く喜びでした」。裕美さんはサステナブルな食の活動家として活動範囲を広げ、次々と夢を実現していった。一方、プライベートでは、夫との人生の進む方向性は分かれていった。

韓国ソウル市のマルシェ@に出店するひろみさん。手作りの味噌やジャムなどを販売した

 アメリカへ

裕美さんがアメリカに移住するきっかけとなったのは2015年、サンフランシスコ・ベイエリアを訪れたことだった。韓国でサステナブルな循環農業に目覚めた裕美さんは、その発祥地とも言えるアメリカで学びたいとオーガニック農家やパーマカルチャーガーデンなどを訪ねるツアーに参加した。

「ツアーでは生態系という自然からの恵みに感謝が深まり、自分という人間と向き合い、農家さんと参加者たちとその価値を分かち合うといった、私にとって人生観が全く変わる体験でした」。その旅の途中で今の夫と出会った。

二人には共通する価値観があった。それは「ギフトエコノミー」と呼ばれる、人々が金銭の代わりにサービスや技術や食べ物を与えあう事で生まれる経済。「提供する人と受け取る人でモノやサービスが循環し、人とのつながりがより深いものとなります。その感覚は、韓国で地方の農家を訪れたときに知らずと実践していた『与えあう』経験に似ていました」。こうして裕美さんは、アメリカに自分の「居場所」を見つけた。

娘と一緒にハーベストを楽しむひろみさん

 「シェ・パニーズ」の料理人へ 

「心のまま」に夢を実現してきた裕美さんにも一つだけ足りないものがあった。それはずっと心の中にあった料理人として働くということだ。

日本にいた大学時代、大好きな料理の現場で仕事をしたいとレストランでウェートレスとして働いた事がある。だが、その時見たものは、昭和の縦社会を反映したような「怒鳴るキッチン」。「キッチンからはいつも叱責する声が聞こえ、レストランの従業員達は長時間労働でヘトヘトになり、それでも皆一生懸命働いていました」。そんな環境で裕美さんの料理人への思いはしぼんでしまった。しかし長年封印していた夢は思いがけないきっかけで呼び起こされる。

バークレーのあるカフェでサンドイッチを食べた時だった。「味のレイヤーが絶妙で、料理人の想いが伝わってくる味。心から美味しいと思えたんです」。それは、「スタンダードフェア」というオーガニックの野菜を使ったシンプル料理で人気のカフェ。 実は、このカフェは、「シェ・パニーズ」で元料理人だったケルシー・カーの店だった。

「スタンダードフェア」に通ううち、「シェ・パニーズ」を紹介される。「オーガニックでサステナブルな農家と深く繋がり、食育にも取り組んでいる理想のレストラン。『ここが私の働く場所』と決めました」

71年創業の世界でオンリーワンの「シェ・パニーズ」はまるで別荘のような閑静な佇まい

「料理人として生きる」決意は、自身の「出産」も後押しした。「料理は好きでも職業にする自信は持てなかった。でも長女を出産した時、私のような者でも1人の人間を産み、育てている現実がある。私ってすごい!きっと料理人にもなれるかもしれないって…」。この後すぐ「シェ・パニーズ」のドアを叩いた。

まずは見習いで入った。まだ1歳に満たない子どもを育てながら、入れる時だけシフトにいれてもらえる柔軟な仕事環境はありがたかった。「多くの見習いは1ヶ月未満、長くても3ヶ月以内でここでの仕事を辞めて別の場所に行くんですが、私だけ6ヶ月も続けていたんです。毎日が新鮮で楽しくて無我夢中でした。そんなある時、シェフに呼ばれ…」。それは料理人としての本採用の面接のオファーだった。

「面接では、料理の事より私の農業やガーデンニングなど植物を育てた経験と住んでる場所を聞かれました」。「シェ・パニーズ」の面接は、ミシュランのレストランや有名な料理学校出身という経歴より、シンプルにその「人」を見ると言う事なのだろう。「採用条件は一緒に働きたい人かどうかがポイント」というフレーズをアリスの著書、「美味しい革命」で読んだことがある。裕美さんの熱い想いはしっかりシェフ達に伝わっていた。 

バークレーの街はひろみさんにとって宝の宝庫。環境意識が高くオーガニック食材をリードする食クリエーター達が地域を作る ©Chez Pannes

ワクワクする厨房

「シェ・パニーズ」には、裕美さんがかつて経験したような怒鳴り声や低賃金で過酷な勤務はない。それはオーナーであるアリス・ウォータースが長年かけて作り上げたきた「キッチン文化」でもある。「ここには縦社会はなく、皆が教えあい、お互いが成長しています。チームには農家さん、食材の仕入先、シェ・パニーズ卒業生までが強いパイプで繋がってます。働く人が尊敬し居心地が良くなければ、人を幸せにする料理は作れないと思うんです」と裕美さん。アリスの「農家と食をつなぐ」哲学は、”シェ・パニーズファミリー”に継承されネットワークは更に広がっている。

シェパニーズ出身のシェフがオープンしたカフェ「FAVA」のオーガニックメニューは素材の味が生きている。
シェパニーズ出身のシェフがオープンしたカフェ「FAVA」の料理
シェパニーズ出身のシェフがオープンしたカフェ「FAVA」の料理

「シェ・パニーズ」があるノースバークレーの一角はかつて「美食の登竜門」と呼ばれた場所。60年代、夢を持った若者達が集まり、それぞれがローカル、クラフトにこだわったユニークなカフェを開き、コミュニティを築いてきた。「コレクティブビジネス」(従業員が皆オーナーになるシステム)やオーガニックという言葉が聞こえるようになったのもこの頃。71年にオープンしたシェ・パニーズもムーブメントの一役を担った。長い月日を経ても古びず変わらない。それどころかいつも新しいエネルギーを放ち、成長を続けている。「おいしくて美しい料理は人を幸せにするだけでなく、心を動かします。そういう料理をここで学びたくて、身につけたくて、厨房に立っています」

 そんなリベラルなバークレーの街を裕美さんと歩いた。緑の公園やガーデン、どこを歩いても彼女の存在は自然と溶け合っているように見えた。それは彼女から放たれる生態系を敬愛するオーラなんだろう。自分の心の声に従い「自分らしく生きる」を追求すれば、思い描いていた「食べ物で人を幸せにしたい」という場所に行き着き、いつのまにか道が開け繋がっていく事を証明してくれた。そして彼女のジャーニーはこれからも続く。キラキラと輝きながら。