サンフランシスコ・ベイエリアに住んで20年になる。こんなに長く一つの都市に住むのは生まれて初めて。それほどこの街は私にとって心地よい。自由なライフスタイルと美味しいフード、オーガニック文化が息づいている。私は常に美味しいものを食べ、リポートしながら、ありのままの自分をここで生きている。
しかしこのような理想の生活をずっと送っていた訳ではない。人生が大きく変化したのは、2014年に出版した著書「カリフォルニア・オーガニックトリップ」の取材がきっかけだった。一般のサンフランシスコのガイド本には掲載されない、地元っ子に人気の美味しいフードと散歩コースを紹介したガイドでありライフスタイル本を制作する為、1年間取材をした。
美味しいもののルートを尋ねる度、素晴らしい農家、シェフ、レストラン、ワイナリーのオーナー達に出会った。それぞれの話を聞いたり調べたり食べているうちに「本当に美味しいものを作るのは素晴らしい人達」という法則がほぼ例外なく証明されて行った。その中で最も私の心を強く揺さぶったのが、シェ・パニーズのオーナーシェフでスローフード活動家、アリス・ウォータース氏との出会いだった。
アリスに会って驚いたのは、世界的な有名人にも関わらず、誰にでも同じ目線で接する態度と、時々見せる少女のような純粋さだった。私は彼女に「あなたの写真を(著書に)使いたい」と遠慮がちに尋ねたところ、「良いわよ」と一言。そしてくれた写真は、泥だらけになって子供達と一緒に畑仕事をしている姿だった。その笑顔はどんな美人のモデルより輝いていて見えた。
彼女は1971年、まだ20代の頃、カリフォルニア料理の発祥となるレストラン「シェ・パニーズ」をサンフランシスコ郊外、バークレーの住宅街にオープンした。「ゲストを家に招くような小さなレストラン」(彼女が大好きな童話のストーリに出てくるパニーズの家)というイメージで、「ローカル、オーガニック、シーズナブル」な料理をフレンチ風に4品でもてなした。
「シェ・パニーズ」は瞬く間に人気店となり、オーガニック食材を用いた料理コンセプトは「カリフォルニア料理」と名づけられ一斉を風靡した。それから半世紀近くが経っても、この小さなレストランは何も変わらない。今でも世界でたったひとつの特別な場所で、強いメッセージを発信し続けているアリスの“家”なのだ。
アリスの目的はビジネスを成功させる事ではなく、食べ物を通じて健康な社会を作る事。そんな願いを持ち始めた1960年代後半、アメリカは食品の大量生産大量消費、農業も工業化が進み、その風潮は日本や世界をも巻き添えにした。「オーガニック」という言葉も存在しない時代に、いつしかオーガニック食が当たり前に食べられる社会、サステイナブル(持続可能)な農業、子供達に必須である農業と食の授業(食育)を広める事を夢見た。
そして今、その夢の全てが実現している。90年に始まった食育プログラム、「エディブルスクールヤード」(食べられる校庭)は子供達が自ら畑を耕し作物を育て、料理を作り、後片付けに至るプロセスを経験することでエコロジー、食の尊さ、マナーまでを学ぶ究極の授業だ。子供達の共同作業により50の異民族が集まるキング中学校からいじめが激減した。食はそんな力も秘めている。
アリスは決して特別な才能の持ち主ではない。自分が信じた「使命」を諦めなかっただけにすぎない。彼女が目指した理想の社会作りは半世紀をかけて世界へと拡大している。ちなみに「エディブルスクールヤード」プロジェクトは現在、世界64カ国で5510校が導入している。(内、日本は3校)
アリスから受け継いだ大切な“メッセージ”がある。「本質を知る」という事。一般にオーガニックといえば、思い浮かべるのは食材そのものでしかない。私が捉えたのは、私自身もまた自然の法則に従うオーガニックであるべき。心と体の声を聞き、自分の信念を持続させて行く事。それこそが、アリスが生涯をかけてたった1人から起こしたムーブメントだからだ。
私にとって「本質」とは、植物本来の味、本来あるべき地球の姿(生態系)、そして本来の自分。私らしく生きる「オーガニックライフ」は食べ物を知る事から始まった。