引っ越し荷物はスーツケースひとつ
今になって思えば、私が名古屋でモノを減らす暮らしを実践したのは、生き方を見直したかったからだ。始まりは2012年4月。東京から名古屋に異動になり、家族と離れた。当時の上司からは「2年が目安」と言われたものの、声がかからないまま3年が経過。「自分の人生なのに住む場所すら自分で決められない」と感じた。
会社に身を任せず、自分の人生を自分で決めたい――。そんな思いで15年8月末から思い切って会社を休み、パリへ留学した。無給になるため、家族3人で1年間1DKのアパルトマンに住み、節約に励んだ。
翌16年9月、私は休職前に在籍していた名古屋本社に復帰した。単身赴任に戻ったわけだが、休む前とは違って家具付きのアパートを選んだ。東京の自宅から中華鍋やカセットコンロ、毛布を運び、ほとんど何も買い足さなかった。今回の取材で当時の持ち物を再現したら、モノが少なすぎて同僚から変人扱いされたが、私にとってはむしろ当然の選択だった。仕事がしたくて復職したが、家族との暮らしを優先して、いつでも動けるようにしていたかったからだ。
ただ、自分が「ミニマリストみたいだ」とは、今春に名古屋で引っ越しの荷物をまとめるまで思いもしなかった。
そこで興味が湧いて試しにネットを検索すると、世界中のミニマリストが現れた。中でも発祥の地とされる米国は、キャラクターが多彩だ。トランク一つで世界を旅したり、「持たない暮らし」を広めるために仕事を辞めたり……。どのミニマリストもモノを減らすことで家事や片付け、出費が減り、あまった時間やお金を自分の好きなことに使えると説く。ネットを見るかぎり、ミニマリストの人生は冒険と充実感にあふれている。
しかし、「持たない暮らし」を実践した私としては、モノを減らすことと幸せはそう簡単にイコールで結べない。人々はミニマリストの何に共感しているのか。流行の実態が知りたくて、米国に向かった。
5月12日、西海岸ワシントン州シアトルの劇場で午後7時半から始まった「ザ・ミニマリスツ」のトークライブ。黒いTシャツとパンツ姿のジョシュア・フィールズ・ミルバーン(写真左、36)とライアン・ニコデマス(35)が舞台に姿を現すと、客席から大きな歓声が起きた。会場の500席は大方が埋まり、関心を持つ人の多さに驚いた。
2人は小学校以来の幼なじみ。一緒に勤めていた通信会社を退職して、6年前にユニットを組み、ウェブサイトを立ち上げた。著書は日本語にも翻訳され、サイトには世界中から200万人を超える読者がアクセスするという。今や北米40都市をツアーで回るほどの人気ぶりだ。
2人とも幼い頃に両親が離婚し、お金に困る子ども時代を過ごした。その反動のように高校卒業後は会社でがむしゃらに働き、1000万円を超える年収を得る。ぴかぴかの新車や大きな家、高級ブランドの洋服……。物欲を全開にして生きていたさなか、ジョシュアが母親の死と離婚をきっかけに人生を見つめ直し、「持たない暮らし」を始める。ライアンも親友の変わりぶりを目にして後に続く。
モノを成功や喜びの基準にしていた過去の自分を捨てたことで、自分の人生が好転する??。ライブで聞いた2人の物語は取材前に本で読んだ通りだった。それよりも私が現場で強く感じたメッセージは、モノとその所有に価値を置く消費主義への疑問だ。「問題は消費することじゃなく、消費させられることなんだ」。ジョシュアは舞台でも私とのインタビューでも口癖のようにそう繰り返した。
彼の感覚には私自身、思い当たる部分がある。愛用のスマートフォンは購入から5年ですでに7台も新しいモデルが出た。新商品としてCMが流れるたびに、まだ使える古いモデルを買い替えろと迫られているような気になる。
民間の中小企業研究所によると、日本で5年以上続いたヒット商品は1980年代には5割近くあったのに、00年代には5.6%まで減った。逆に1年未満のヒット商品は1.7%から2割近くにまで増えたという。
ライブ会場に足を運んだ人たちの中にも、モノを買うことへの疑問を口にする人たちが多かった。「隣の人が持っているからって、同じモノを買わなくてもいいと、もうみんな分かってるよ」。シアトルに住むロジャー・サリバン(47)はライブ後、そう話した。2人からサインをもらうために並んでいたマット・フォン・エレンクロック(36)は「旅行したり人に会ったりする経験の方が、モノよりも価値がある」。近いうちに米国内を車で旅して暮らすミニマリストのスタイルを試すつもりだという。
「持たない暮らし」の源流と今
米国でミニマリストが現れた背景には何があるのだろうか。
ザ・ミニマリスツの2人や他のミニマリストなどの話によると、カリフォルニア州に住むレオ・バボータという人が09年、持ち物を最小限に減らす暮らしを「ミニマリズム」としてブログを立ち上げたのが、今のブームの先駆けのようだ。彼の過去のブログを見ると、もともと仏教の禅から着想を得て実践し始めた「シンプルライフ」から不要なモノをすべて処分するミニマリズムに進化したとある。
文明史をさかのぼると、ミニマリズムに類する暮らしは、過去にもあった。代表は、ミニマリストたちの著作で必ずといっていいほど引用される19世紀の米国人随筆家ヘンリー・デビッド・ソロー。1845年夏にマサチューセッツ州の池のほとりに丸太小屋を建て、自給自足の生活を送った。だが、そのずっと以前にも、古代ギリシャの哲学者ディオゲネスが欲望から解放されて自足する大切さを説いた。キリスト教の修道士も物欲を厳しく制限したし、仏教を開いた釈迦も王族の暮らしを捨てた。
しかし、いつの世も決して多くの人に受け入れられたわけではない。むしろ常に少数派だった。それが今は、先進国を中心に世界的にミニマリストを名乗る人が現れている。一つのライフスタイルが数年の間にこれだけの範囲に広がったのは、言うまでもなくインターネットがあったからだ。私が取材で会った合計7人のミニマリストに手放せないモノを尋ねたら、ほとんどがスマホとパソコンを挙げた。この二つがあれば、時計やテレビなど多くのモノがいらなくなる。写真もデータで保存できる。自分の暮らしぶりを発信するためにも必要だからだ。
ブログを書いて評判になれば、本や講演で生計が立つ。ザ・ミニマリスツの2人は代表的だ。過去にはなかった「職業ミニマリスト」の存在が流行を引っ張っている。
ともすれば大量消費が「善」とみなされるような米国社会にミニマリズムを受け入れる素地ができたのは最近のこと。転機は08年のリーマン・ショックだった。
翌09年、レオ・バボータは自身のミニマリズムのサイトで、モノとその所有に価値を置く消費主義の拒否を定義の一つとして示した。当時は、世界金融危機による不況のまっただ中。失業率が10%前後に上昇し、クレジットカードローンの延滞率も10年には10%から14%まで増えた。その後、景気が拡大局面に入っても、10~15年の実質経済成長率は平均2.1%と、95~00年の好景気よりも約2ポイント減ったままで、より大勢の人が景気の良さを実感できる時代は戻らなかった。
三菱総合研究所の調査では、08年から14年にかけて時給8~20ドル程度の中間的な雇用が合わせて約500万人分減少した一方、時給7ドルの最低賃金付近の雇用が約400万人分増加した。イリノイ大学シカゴ校准教授でマーケティングが専門のラン・チャプリン(41)は「経済がうまく回っていない時には、ミニマリストの生活は現実的に見える。職を得るのが難しく、給料も上がりにくい若い世代には、『持たない暮らし』を選ぶ人が多くいるのでは」と見る。
生きていくためのよりどころを探す
ミニマリズムが話題になると、必ず出てくる疑問がある。しょせんは、お金持ちにしか実践できないのでは、ということだ。
私もネットのブログを見たり、ザ・ミニマリスツのライブを訪ねたりして、米国でミニマリズムに関心があるのは白人が多い印象を抱いた。米国国勢調査局の統計によると、15年の米国の黒人の貧困率は24.1%で、白人の貧困率の9.1%を大幅に上回るなど、経済的な格差はなお大きい。
しかし、ワシントンDCでヨランダ・アクリー(34)に会い、黒人社会にも「持たない暮らし」を選ぶ動きがあることを知った。今年5月1日、黒人による黒人のためのサイト「ブラック・ミニマリスツ」を立ち上げた女性だ。
サイト創設のきっかけは、ある白人ミニマリストのサイトに12年に投稿された読者からのコメントだった。「少数派が不平等な社会で尊敬を得る唯一の方法は、見た目で豊かさを表現すること。あなたが黒人だったら、ミニマリストとして生きられますか」。ヨランダは投稿に込められた思いを受け止めてなお、自らのブログに「ミニマリズムは誰でも実践できる普遍的な哲学だ」と書いた。
一昨年から本格的にサイト開設の準備を開始。記事の寄稿や、運営を手伝ってくれる黒人の仲間を探した。
ヨランダ自身は5年前まで、ワシントンDCの近郊で暮らしていたが、仕事や日々の忙しさで燃え尽き症候群になり、ミニマリズムに出合ったという。友人らと暮らしていた家を出て、今はメリーランド州の母親宅に移り住んでいる。
人種や肌の色による差別を禁じた公民権法の成立から半世紀以上を経てもなお、米国の人種差別は解消されていない。ここ数年は警察官による黒人殺害が引き金となり、抗議デモが過激化する事件が繰り返されている。ヨランダの暮らすメリーランド州でも似た事件が起きた。差別が悪化しているようにも見える今だからこそ、ヨランダは「黒人にとって自分のアイデンティティーを見つめ直す場が必要だ」と話す。歴史や文化を共有する黒人同士が安心してミニマリズムを語り合える場をつくり、新しい黒人のコミュニティーを育てることが目標という。
彼女の思いがどこまで実現するかは分からない。ただ、そこには「モノを最小限に減らせば幸せになれる」というシンプルなうたい文句にはない重みがあった。ミニマリズムは彼女にとってきっと、日々の暮らしで見失った自分を取り戻し、生きるためのよりどころになっている。
成長なき経済を生きる方法
ミニマリストとは違ったアプローチで消費主義に疑問を投げかけた女性もいる。旧東ドイツの古都ライプチヒに住むグレタ・タウベルト(33)は13年に1年間、お金を使わない生活を試みた。カフェで会った彼女は自己紹介もそこそこにこう言った。「米国のミニマリストと私のやったことは違う」
4年前の無銭生活のきっかけは一族が集まるある日の食事会だった。祖母がつくった食卓を埋め尽くすほどの料理を前にしたとき、当たり前のようにあふれているモノがすべてなくなったらどうなるか想像した。ドイツでも社会は常に経済成長を求めている。環境破壊で消費ができなくなり、経済成長がなくなった世界の暮らしはどんなものか。モノを買わない生活を試してみようと思い立った。
「モノを捨てても、必要があればまたモノを買えるのがミニマリスト」と、グレタは言う。買わない生活では、食べ物を探して街頭のゴミ箱やスーパーの廃棄物をあさったり、道ばたのハーブを摘んだりした。歯磨き粉やシャンプーは自作し、洋服は古着交換所で手に入れた。体重は1年で20キロ減った。さすがに途中からパスタや米など最低限の食べ物は買うようになったが、可能な限り実験を続けた。過激な試みの中で気がついたのは、モノの消費を減らせば、人とのつながりに以前よりも頼らざるを得ないということだった。
無銭生活から年月が経った今でも、新しいモノを買うことにはためらいを感じる。その裏にあるのは、「自分たちの世代はモノを買う以外に生きる術を知らない」という思いだ。祖父は、第2次世界大戦中にドイツに生まれた。戦後のモノのない時代には、新たに買うことはままならず、古いモノを修理して使っていた。祖父の代から数えて2世代なのに、モノを直して暮らすノウハウはもう残っていない。
私の消費サイクルも「買う→捨てる」の一方通行に陥っていたと、彼女の言葉で思い知った。
まじめさより笑いが欲しい
グレタの話を聞いて、ミニマリズムには消費サイクルを根本的に変える可能性があるような気がした。ただ、ミニマリストにとって大切なのは、あくまでも自分だ。
「持たない暮らし」の良さを強調するあまり自分の生き方が否定されていると感じ、反感を抱く人も少なくない。セレブが暮らす街ニューヨーク・トライベッカの一角にあるカフェで、編集者のジェニファー・マッカートニー(36)は「人生は短いのに、モノを買うことに罪悪感を抱かせるような考え方には賛同できない」とミニマリズムをこき下ろした。
米国で本が売れた日本人の整理整頓専門家の推奨する方法をもとに片付けを実践しようとしたが続かない。家族や友人も試したものの、全員あえなく失敗。後になって捨てなければよかったと後悔が残った。「モノを持たない暮らしの充実ぶりを発信するミニマリストが増え、モノを持つことへの罪悪感が広がっている」。そんな思いから昨年、本を出版した。
『もうモノは片づけない!』と題して同年末に出版された日本語版を読むと、「靴─とっておく」「本─買って、積む」などモノを捨てない勧めが目次に並んでいる。実用性は少なく、時々笑えるユーモア本だ。そんな本が米国ではニューヨーク・タイムズのベストセラーリストで上位に入り、発行部数は5万部を超えた。ジェニファーは「みんなが求めているのは、ミニマリズムのまじめさよりも笑いじゃないかしら」と本が支持された理由を分析してみせた。読者からの反応は「よくぞ書いてくれた」「今まで誰も言ってくれなかった」など、軽い中身とは裏腹に切実なものが多かったという。
みうらじゅんが対極から見る 大事なのは自分じゃなくて他人
結局、モノを持つとはどういうことなのか。ミニマリストの対極にいる人に聞けばヒントが見つかるかもしれない。そう思い、エッセイストのみうらじゅん(59)に取材を申し込んだ。 「誰がこんなモノを買うのか!」と疑うような全国の土産物を「いやげ物」と呼び、普通の人が手にしないようなものの収集家として知られている。「モノを捨てたら、そらすっきりしますけど、そんなにモノをなくして自分が残る自信がありません。自分を取り巻く世界も含めての自分ですしね」
ミニマリストへの印象を尋ねると、素直な答えが返ってきた。話を聞いて気がついたのは、ミニマリストとみうらの間には、モノを持つ意味に違いがあることだ。「自分がすっきりするよりも、他人に喜んでもらえるならあってもいいと思ってますから」
一人っ子だったみうらは子どもの頃、京都の実家に友だちが遊びに来ると、押し入れから次々とモノを取り出し、帰るのを引き留めたという。「『あいつんとこの家に行ったときに、おっかしいもんがあった』っていうのがないとね。早く帰られちゃうんじゃないかって不安があってね」
日本の火付け役は「ミニマリズムの先」を見ていた
旅の最後に私は京都に向かった。日本のミニマリストブームの火付け役、佐々木典士(37)に会うためだ。
彼が15年に出版した『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は、国内で15万部以上発行され、韓国や中国、米国など13カ国で翻訳された。仏語と独語版の出版も決まっている。出版当時住んでいた東京都内の1Kのアパートは見えるところに何もモノがなく、ミニマリストの「モデルルーム」として反響を呼んだ。昨年末には勤めていた出版社も辞め、いまは京都の1DKにひとり暮らす。
その部屋にも見えるところには、備え付けのベッドと机、小さなダイニングテーブル以外にほとんど何もなく、東京で住んでいた「モデルルーム」と大きな違いはない。
ところが、彼は最近あるモノを買ったという。電気自動車の軽トラ。「次の段階を意識しています」。私がメールで取材を依頼すると、そう返信してきた。
佐々木にとっての次の段階は「環境」。都会を離れて自然の多い場所に移り住んだことで興味が湧いたという。5月から家の庭でトマトなど野菜を育てている。軽トラはいずれキャンピングカーに改装し、太陽光発電で電気をまかなうつもりだ。「できるだけ自分でつくることで、買うことや誰かに何かやってもらう依存を最小限にしたい」
でもそれだと、道具が必要になってモノが増えるのでは? 佐々木の答えは意外だった。「以前はミニマリストだからモノを持たないように意識していたけど、一度経験して価値観が変われば、ずっとミニマリストでなくていいと思うようになった」。すでに車の他に農具や工具を買い足したそうだ。佐々木は東京でミニマリストになった時とは違う自分を見つけかけているのかもしれない。
取材で会ったミニマリストは決して暮らしに余裕があるお金持ちにも、世を捨てた変わり者にも見えなかった。ミニマリストになることが目的ではなく、生きづらい世の中で見失った自分を取り戻そうと苦闘している人たちだった。私も「持たない暮らし」の中でもがいていたから、彼らに共感した。
自分とはどんな人間か。どうありたいのか。そんな迷いを抱いた時に、モノを捨てる。それはモノに結びついた過去の自分と距離を置こうという本能的な行動だ。
日常に疑問を感じ、自分を見つめ直す機会は誰にでもある。だとすれば、ミニマリズムはこれからも形や呼び名を変えながら、生き方を見直す一つの方法として広がっていくのではないか。
(敬称略)