1. HOME
  2. People
  3. 舞台俳優から起業家に転身、アメリカで手作り味噌販売したら盛況 摩利子グレディさん

舞台俳優から起業家に転身、アメリカで手作り味噌販売したら盛況 摩利子グレディさん

サンフランシスコ 美味しいフード&ライフスタイル 更新日: 公開日:
摩利子グレディさん
摩利子グレディさん(中央)とともに「AEDAN」を支える仲間たち=アメリカのサンフランシスコ、AEDAN撮影・提供

女性の名前は摩利子グレディさん。約10年前、サンフランシスコで発酵食品の製造・販売を手がける会社「AEDAN」を設立、自社で作った麴(こうじ)を使った料理を提供するカフェ「Koji Cafe」を2月にオープンさせる。

「AEDAN Koji Café」の外観
「AEDAN Koji Café」の外観=サンフランシスコ、筆者撮影

摩利子さんは1981年から舞台女優として活動を始め、世界各地を飛び回る日々だった。2002年には公演先のサンフランシスコで出会った男性と結婚、その後も日米に拠点を持ち、子どもを育てながら仕事に邁進する充実した生活を送っていた。

そんな人生を変えたのが2011年の東日本大震災だった。当時、サンフランシスコで暮らしていた摩利子さんは、テレビのニュースが映し出す母国の惨状に胸を痛めた。

「被災地を支援したい」

そう思いたち、小学校で募金活動を始めた。活動中に以前教室で子供達と一緒に作った味噌を「味噌おにぎり」にして配ったところ、それが大好評だった。

一連のイベントが終わっても、自家製味噌を売って個人で募金活動を継続した。摩利子さんはこう振り返る。

「どんな非常時でも私たちの生活を守ってくれるのが発酵食品だって気づかされたんです」

摩利子グレディさん
「食と人をつなぐ仕事は生きがい」と話す摩利子グレディさん=サンフランシスコ、筆者撮影

手作り味噌はたちまち人気となって注文が急増。味噌作りに欠かせない麹(こうじ)がなくなってしまった。そこで今度は麹自体も試行錯誤して自ら作ることにした。

折しも30年間所属していた劇団が解散し、舞台俳優としての世界ツアー活動も終了した。摩利子さんは、サンフランシスコに定住することになる。

1年半後、被災地支援はいったん区切りを付けたが、味噌作りは続けた。自作の発酵食品をメールやニュースレターでPRし、味噌を愛好するコミュニティー(客)を作った。

発酵食品は、日本人の知恵がつまった伝統的な食文化。「叡智」と「伝統」という意味を込めてAEDAN(叡伝)という屋号を構え、味噌作りを教えるワークショップも開いた。口コミで評判が広がり やがてレストランのシェフからも声をかけられるようになった。

2012年には友人の紹介で、ベンチャー起業家を支援する非営利組織のインキュベーター「ラ・コシーナ」のアドバイスを受けることになった。ビジネスのノウハウを指南されるのは初めてで、次第に起業家精神が高まった。

経営理念は、「日本の叡知である発酵食品をアメリカに根付かせ、その価値を共有する」。

ラ・コシーナが従来から、移民や社会的弱者の支援に力を入れている点も、摩利子さんにとって格好の場所だった。

そして2013年。AEDANは一般での販売を始めた。場所はオーガニックフードの聖地と言われるフェリープラザ・ファーマーズマーケット。ブルーボトルコーヒーなど、複数の食関連の企業がイノベーションを起こした場所でもある。

マーケットのブースでは4種類の味噌と甘酒、漬けものの「三五八(さごはち)」、塩麹が並んだ。

摩利子グレディさんが販売する味噌商品
摩利子グレディさんが販売する「ノスタルジック・ソース」(田舎味噌)。「グッドフードアワード」で高い評価を得た=サンフランシスコ、筆者撮影

年々発酵に対して消費者の知識があがり、味噌ファンも増えていった。

AEDANブランドは確立していき、やがて地元のスーパーマーケットにも商品が並ぶようになった。

注目が高まり、2018年にはクラフト食生産者の名誉となる「グッドフード賞」を受賞した。この賞はグッドフード財団が主催しており、毎年アメリカの全50州を大賞に、サステナブルで良質な食品や飲料品に贈られる。

さらにAEDANの味噌は消費者のみならぬミシュランの星を持つトップシェフたちも魅了し、サンフランシスコの名だたるレストランが味噌や麹を使った料理をメニューに載せるようになった。

接客する摩利子グレディさん
ファーマーズマーケットで麴の特性について説明する摩利子グレディさん=サンフランシスコ、筆者撮影

AEDANは今年創業10年となる。311震災の募金活動の際、偶然に始まった味噌作りは今、ビジネスとなり、カリフォルニア初となる発酵専門カフェの開店に至るまで、流れるように道が開けていった。

ビジネスパーソンとしての成功は、地道な地域活動が発酵ブームにつながり、味噌を中心にした日本の発酵食品が一般家庭、レストランでも使われるようになった事だろう。

そして、悲願だった舞台の仕事も復活させた。摩利子さんは2017年、舞台パフォーマンスと発酵食品の異色コラボ「発酵ラボ」という作品を提供した。食材のテーマに沿ったパフォーマンスを上演しながら、その調理サンプルを観客に提供するというユニークな内容で好評を得た。

摩利子さんは言う。

「私にとって、舞台と発酵食品作りは似ています。どちらも手作り、時間をかけて育くみ生み出されたものは、人とつながり、人を癒す力を持っているからです。これからも日本の発酵食品の価値を多くのアメリカ人と共有したい」