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ロシアとウクライナにまたがる「世界最長の化学品パイプライン」の謎を解く

迷宮ロシアをさまよう
ウクライナのピウデンヌィ港の風景。入り江の向こうに見えるのが、アンモニアパイプラインの終点であるオデッサ臨港工場(撮影:服部倫卓)

断絶の地政学

インド出身のパラグ・カンナという学者は、「接続性の地政学」という概念を提唱しています。現代の世界では、輸送・通信インフラの爆発的な発展により、地図に描かれている国境線はあまり意味がなくなっている。これからの時代、「ジオグラフィー(地理学)」ではなく「コネクトグラフィー(接続性)」こそが鍵を握る。カンナが主張しているのは、そのような点です。

筆者もカンナの論旨に賛成するのはやぶさかでありませんが、こと旧ソ連圏においては接続性という時代精神に反する現象が目立つと感じます。このエリアにおいてはある意味で、社会主義時代こそが接続性の全盛期でした。ソ連を構成する15の共和国の間には、名目的な境界線こそあったものの、鉄道、石油・ガスパイプライン、電力網などのインフラで密接に結ばれていました。ところが、1991年にソ連邦が分裂すると、各国は国民国家の枠内での経済建設にこだわり、にわかに「国境」が重みを増すようになります。既存の輸送インフラも、仮に経済的には合理的なものであっても、隣国との政治的対立で利用されなくなったりしました。

典型的なのは、やはりロシアとウクライナの関係でしょう。2年ほど前に、「今度は鉄道路線を廃止? どこまで続くウクライナ・ロシアの泥仕合」というコラムをお届けしましたが、目下両国はソ連の遺産である密接な接続性を、せっせと切り離している最中です。さしずめ「断絶の地政学」といったところでしょうか。なお、カンナも著書の中で、ロシアやウクライナは接続性というグローバルなトレンドの例外になっている旨を認めています。

その一方で、ロシアとウクライナがどれだけ対立しても、なかなか替えが効かず、今のところ活用され続けている輸送インフラもあります。その代表格が、天然ガスパイプラインです。ロシアはウクライナ・ルートからの脱却を図ってはいるものの、2018~2019年の時点で、欧州向けガス輸出の40%以上が依然としてウクライナ領のパイプラインを経由して供給されています。

さて、天然ガスパイプラインの話は良く知られており、情報も多いので、今回はそれとは別の変わり種のパイプラインを取り上げてみたいと思います。ロシアからウクライナまで伸びる長大なアンモニアパイプラインというものが存在するのです。これは、世界最長の化学品パイプラインです。というか、本格的な化学品パイプラインは、他にはアメリカにごく短いものが存在する程度であり、ロシア~ウクライナのそれは世界で唯一の長距離化学品パイプラインであるということです。

なぜ、このように風変りな輸送インフラが誕生するに至ったのでしょう。そして、ロシアとウクライナの対立にもかかわらず、アンモニアパイプラインが命脈を保っている理由は何でしょうか。

アンモニアパイプライン誕生の経緯

改めて解説すると、ロシア内陸部のサマラ州トリヤッチから、黒海に面したウクライナ・オデッサ州のピウデンヌィ港(旧ユジネ港)まで、全長2,471kmに及ぶパイプラインが伸びています。札幌と那覇の直線距離が2,244kmだそうですので、それよりさらに長いことになり、よくぞこんな代物を作ったものだと感心させられます。このパイプラインでは、年間250万tあまりの液化アンモニアの輸送が可能です。

パイプラインの起点になっているのが、トリヤッチ市に所在する「トリヤッチアゾト」という窒素肥料工場であり、ここで生産された液化アンモニアがパイプラインに注入されます。トリヤッチは一般的にはロシア最大の自動車メーカーであるAvtoVAZ(LADAブランドでお馴染み)の企業城下町として知られていますが、化学工業も有力なのですね。そして、2,471kmもの距離を運ばれてきたアンモニアは、その終点に当たる「オデッサ臨港工場」のターミナルで(冒頭写真参照)、タンカーに積み込まれて輸出されていくわけです。

2つの工場とパイプラインが誕生したのには、ソ連とアメリカの関係史が深くかかわっています。アメリカは共産主義のソ連を敵視し、当初両国の貿易関係は限定されていました。そうした中、アメリカの実業家の中でもアーマンド・ハマーというロシア系ユダヤ人だけは、最高指導者レーニンと面識を得るなどして、早くからソ連市場に食い込みます。ソ連ビジネスで資金を蓄えたハマーは、石油大手「オクシデンタル・ペトロリウム」を買収するなど、アメリカを代表する大富豪の一人に。アメリカと敵対していたソ連とのビジネスでアメリカンドリームを掴むという、珍しい成功例でした。

そして、1970年代に「デタント(緊張緩和)」の時代が訪れ、アメリカは国としてもソ連との経済協力により積極的に応じることになります。その機会を捉え、ハマーのオクシデンタル社は1973年にソ連と大型契約を結びます。それが、トリヤッチアゾトとオデッサ臨港工場という2つの工場と、両者を結ぶアンモニアパイプラインの建設プロジェクトでした。そして、単にインフラを建設するだけでなく、生産されたアンモニアをオクシデンタル社が買い取るというスキームでした。

その当時の状況として、アメリカではリン酸肥料は潤沢でしたが、アンモニアおよび窒素肥料は輸入に依存していました。一方、天然ガス大国であるソ連ではアンモニアおよび窒素肥料のポテンシャルが大きい一方(アンモニア、窒素肥料は天然ガスを原料に生産される)、当時はリン酸肥料が不足していました。そこでハマーは、アメリカから資金と技術を提供してソ連に窒素肥料工場とパイプラインを建設し、アンモニアをアメリカが引き取る一方、米フロリダのオクシデンタル工場で生産したリン酸肥料をソ連に供給するという契約をまとめたのです。20年、200億ドルという大型契約でした。

トリヤッチアゾトとオデッサ臨港工場の建設は1974年に始まり、前者は1978年に、後者は1979年に稼働。パイプライン全体が開通したのは1981年でした。ちなみに、ニューヨークでユダヤ移民の家庭に生まれたハマーにとってウクライナのオデッサは、父の出身地でもありました。

ロシア・サマラ州のトリヤッチアゾト(撮影:服部倫卓)

2019年には過去最高の輸送量を記録!

1991年暮れにソ連邦が崩壊し、トリヤッチ~オデッサ・アンモニアパイプラインは、ロシアとウクライナという2つの独立国にまたがることになりました。パイプラインの管理体制も、ロシア部分はロシア側が、ウクライナ部分はウクライナ側がと、バラバラになります。しかし、パイプラインの利用は続きました。液化アンモニアは鉄道での輸送も可能なものの、やはり出来合いのパイプラインで港まで運んだ方が、コスト的にメリットが大きいのです。

なお、上述のような経緯から、往時にはトリヤッチからオデッサにパイプラインで運ばれたアンモニアの大部分が、タンカーで米国向けに輸出されていました。しかし、近年アメリカではシェール革命を受けアンモニア輸入需要が縮小しているため、オデッサからの輸出もアメリカ以外の国向けが多くなってきています。

もちろん、ロシアとウクライナのこと、アンモニアパイプラインをめぐっても対立が起きたことはありました。最近では、2016年にウクライナの管理会社が一方的にトランジット輸送料金を引き上げたため、トリヤッチアゾト側がパイプラインの利用を拒否し、2016年末からしばらく輸送が停止したことがありました。本件をめぐっては、今も裁判所で争っています。しかし、輸送そのものは2017年に再開され、今日に至っています。

そして、2019年にパイプラインは251万tのロシア産液化アンモニアを輸送し、これは史上最高記録でした。ロシアとウクライナの政治関係が相変わらず険悪な中で、いわば経済協力の金字塔が打ち立てられてしまったのです。

ウクライナ側が今も、敵国ロシアのアンモニアを粛々と運び続けている理由は、良く分かります。ずばり、金銭的な収入に抗えないからでしょう。ウクライナ側のパイプライン管理会社は、2019年に7,800万ドルのトランジット輸送収入を得ました。また、額は不明ながら、オデッサ臨港工場も、ターミナルでの船積み作業の対価を得ているはずです。慢性的に金欠のウクライナにとって、おいそれと手放せるものではありません。

一方、トリヤッチアゾトが今日もウクライナ・ルートを活用しているのには、ロシア側の国内事情があります。実はトリヤッチアゾトは、ウクライナ・ルートとは決別すべく、黒海に面したロシア南部クラスノダル地方のタマニ港に、自社専用のアンモニア積出ターミナルを建設するプロジェクトに、1999年から取り組んできました。しかし、設備の据付けもかなり進んだ段階で、クラスノダル地方行政府が「当該の敷地は地方の所有だ」と主張して裁判沙汰に発展し、プロジェクトは暗礁に乗り上げてしまったのです。

ロシアとウクライナは、今日の政治的なベクトルとしては「断絶」を志向しているけれど、経済の現実を見ると、過去の遺産として根強い「接続性」がある。トリヤッチ~オデッサ・アンモニアパイプラインの事例は、そんなことを物語っているように思われます。