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ロシアのペルミと日本の千葉を結ぶ2つの絆 ロシアの街物語(11)

迷宮ロシアをさまよう 更新日: 公開日:
ロシアの博物館で見たペルム紀の化石の展示(撮影:服部倫卓)

チバニアン命名に寄せて

千葉県の皆様、おめでとうございます! 1月17日に国際地質科学連合は、78.1万年前から12.6万年前の地質年代を「チバニアン(千葉時代)」と命名すると決定しました。千葉県市原市の地層「千葉セクション」には、更新世の前期と中期の境界を成す地球の地磁気が南北で逆転した痕跡が残っており、そこからチバニアンと名付けられたということです。日本の地名が地質年代の名前になるのは、もちろんこれが初めてです。

千葉県民の皆さんは、自分たちの地元が地味であると感じ、空港やテーマパークなど「何でも東京と名乗りがち」であることを後ろめたく思っていらっしゃると聞きます。チバニアンが認定されたことで、日本国内だけでなく、全世界にもアピールできる「千葉と言えばこれ!」というものが出来て、良かったのではないでしょうか。

ところで、地名から地質年代の名前が付いた例は他にもあり、有名なところでは、「カンブリア紀」はイギリスのカンブリア地方にその時代の地層が見られることから名付けられました。ただ、筆者はロシア専門家ですので、ロシアのペルミという街から名付けられた「ペルム紀」のことを、真っ先に思い浮かべます。そこで今回は、千葉の先輩(?)、ペルミの街について語ってみたいと思います。

ペルミってどんな街?

ペルミは、ヨーロッパ・ロシアの最東端、中央ウラル山脈の西麓に位置しています。2019年現在で人口105万人であり、これはロシアの都市の中で14番目に大きい人口数。そして、ペルミ市を州都に、人口260万人のペルミ地方という地域が形成されています(上の地図で赤く塗ったエリア)。

ペルミ一帯には太古の昔から人々が住んでいましたが、史料に初めて登場するのは帝政ロシア時代の1647年のこと。当時この土地は商家のストロガノフ家(ロシア料理のビーフストロガノフで有名)に属し、この地を流れる川にちなんでエゴシハという名で呼ばれていました。1720年、ピョートル大帝の命を受け、タチシチェフという軍人が精銅・銀工場建設のためシベリア県に赴き、彼は精銅工場の建設地として、鉱石が得られ製品の出荷にも至便なエゴシハの地に白羽の矢を立てました。それを引き継いだゲデニンという別の軍人が1723年に「エゴシハ銅溶解工場」の建設に着手し、今日ではこれがペルミの誕生年とされています。ペルミ市という名前になったのは、1781年でした。

1917年の社会主義ロシア革命後は、第二次大戦中に多くの軍需企業が当地に疎開してきたこともあり、ペルミは軍需産業の拠点となりました。また、化学工業も盛んになります(ペルミ地方はロシア最大の化学肥料生産地)。ソ連体制下で一大重工業都市へと変貌を遂げたペルミは、今日でもロシア全国の都市の中で6番目に大きい鉱工業出荷額を誇っています。

このように、ペルミは工業都市なので、一般の観光客が訪れて楽しいようなところではありません。そうした中、文化・芸術面で、この街最大の見所は、ペルミ国立美術ギャラリーに展示されている「ペルミ木造彫刻」でしょう。美術ギャラリーはカマ川沿いに立つスパソ・プレオブラジェンスキー聖堂の建物を利用して1922年に開設されたものであり、筆者も見学してみましたが、聖堂の構造を上手く活かした見事な展示は、非常に見応えがありました。

ペルミ国立美術ギャラリーの「ペルミ木造彫刻」(撮影:服部倫卓)

ペルム紀の地層を見に行くのは大変

さて、「ペルミ」の名を世界的に知らしめたのが、すでに述べた地質年代の「ペルム紀」でしょう。ロシア語ではPerm’と最後に軟音記号が付くので、本来なら「ペルミ紀」にしたいところですが、こと地質年代に関しては「ペルム紀」で定着してしまったので、やむをえません。

ペルム紀は、別名「二畳紀」とも呼び、「古生代」最後の紀であり、両生類時代ともされます。今から約2億9,900万年前から約2億5,100万年前までを指します。「古生代」の後に、恐竜の繁栄した「中生代」が来て、さらにその後が「チバニアン」を含む「新生代」ということですから、ペルム紀はチバニアンよりもずっと古い先輩ということになります。

1841年、スコットランドのR.I.マーチソンという地質学者が、ロシア・ウラル山脈西部のこの地に発達する石灰岩、砂岩、泥灰岩、礫岩などから成る地層群を発見して「ペルム系」と命名し、これが学会に定着したということです。

なお、ロシア国内で、ペルム紀の地層は、ペルミ地方だけで見られるわけではなく、キーロフ州やアルハンゲリスク州などにも分布しているようです。ペルミ地方では、スィルバ川およびオチョル川(ともにカマ川の支流)の川岸でペルム紀の地層が露出している箇所があり、特にクングル市から程近いスィルバ川岸の「イェルマーク岩」が有名だそうです。

チバニアン(千葉セクション)は、小湊鉄道の月崎駅が最寄り駅ということで、時間は多少かかりますが、東京から電車を乗り継いで行くことが可能なようです。それに比べると、ロシアでイェルマーク岩などのペルム紀地層を見学しに行くのは、ちょっとアクセスが厳しそうですね。筆者も行ったことはありません。

アムカル・ペルミのホームスタジアム「ズベズダ」。ズベズダは星という意味だが、だいぶうらぶれたスタジアムだった(撮影:服部倫卓)

アムカル・ペルミの落日

先日、日本の国内サッカーファンをざわつかせる出来事がありました。JFL(上から4番目のカテゴリー)に所属する鈴鹿アンリミテッドFCが、チーム名を「鈴鹿ポイントゲッターズ」に改名すると発表。その大胆なネーミングとユニークなロゴ・エンブレムが物議を醸し、一部からは「こんなにダサいクラブ名、見たことがない」といった声も上がったということです。詳しくは、「鈴鹿ポイントゲッターズ―『ダサい』改名は覚悟の上だった JFLクラブが選んだ破天荒な戦略」という記事をご参照ください。

「鈴鹿ポイントゲッターズ」がダサいかどうかは別として、筆者は間違いなく世界で一番イケていない名前のサッカークラブを知っています。それが、今回のテーマであるペルミを本拠地とする「アムカル・ペルミ」です。

何しろ、「アムカル」の「アム」はアンモニア、「カル」は「カルバミド(ロシア語で尿素)」のことですからね。言わば「アンモニア尿素」というチーム名であり、何やらスタジアムから嫌な臭いが漂ってきそうです。何でこんな名前を付けたかと言うと、上述のとおりペルミは化学工業のメッカであり、アンモニア、尿素、窒素肥料の生産が盛んだからなのですね。確かに、ピッツバーグや神戸のように、鉄鋼業が盛んな街のスポーツチームが「スティーラーズ」と名乗るようなケースはありますが、「アンモニア尿素」はあんまりです。

「アムカル」と聞いて、聞き覚えのあるサッカーファンもいらっしゃるでしょう。サッカー元日本代表のフォワード巻誠一郎選手が2010~2011年に在籍したからです。ジェフ千葉でエースストライカーとして活躍しながら、クラブの方針と合わなくなったことから放出され、かつての恩師イビチャ・オシム氏の仲介により、ロシアのアムカルに活躍の場を求めたものでした。

というわけで、地質年代に加え、もう一つ、千葉とペルミを結ぶ絆は、巻誠一郎選手でした。残念ながら、巻選手はロシア・プレミアリーグに9試合出場して無得点に終わり、1シーズンでペルミを去ることになります。筆者が2012年9月に現地を訪れた時には、もう誰も彼のことを覚えていない様子でした。なお、巻選手は故郷のクラブであるロアッソ熊本で、2018シーズンをもって現役から引退しました。

実は、その後アムカル・ペルミは、激震に見舞われます。財政難に苦しみながらも、ロシア・プレミアリーグでしぶとく生き残っていたアムカルでしたが、いよいよ首が回らなくなり、2018年6月にプロチームとしてのアムカルは消滅してしまったのです(現在はアムカルという名の子供チームが残るだけ)。あの華やかなFIFAワールドカップ・ロシア大会の最中に、まさかそんな悲劇が進行していたとは、筆者も最近知って、衝撃を受けました。百万都市を本拠地とするプレミア中堅クラブが、簡単に消滅してしまうわけですから、ロシアのサッカー、特に地方のそれは、やはり存立基盤が脆弱だと言わざるをえません。