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エカテリンブルグのスタジアムには、羽が生えている?

迷宮ロシアをさまよう
エカテリンブルグの近郊にあるヨーロッパとアジアの境界を示すオベリスク(撮影:服部倫卓)
エカテリンブルグの近郊にあるヨーロッパとアジアの境界を示すオベリスク(撮影:服部倫卓)

2つの大陸をまたにかけるワールドカップ

FIFAワールドカップ(W杯)ロシア大会につき、ロシア地理オタクとして、どうしても言っておきたいことがあります。

W杯はこれまで、様々な大陸で開催されてきました。しかし、2つの大陸にまたがって開催されるのは、今回のロシアW杯が初めてのはずです。おそらく、最初で最後になるのではないでしょうか。 

むろん、ロシアはサッカーの大陸区分ではヨーロッパの国です。しかし、地理的な観点から言えば、ロシアの国土はヨーロッパとアジアの両方に広がっています。その際に、ロシアではウラル山脈が欧亜の境界を成すと考えられています。そして、ロシアW杯の11の開催都市のうち、今回取り上げるエカテリンブルグが、唯一アジア側に位置する都市なのです。

地図に示した赤い線が欧亜の境界線であり、エカテリンブルグはわずかにその東側に位置しています。

エカテリンブルグから西に40kmほどのペルヴォウラリスクという街には、ここがヨーロッパとアジアの境界線であることを示すオベリスクが立っており、それが冒頭の写真です。同様のモニュメントはロシア国内に何箇所か見られるようですが、たぶんペルヴォウラリスクのそれが一番立派だと思います。写真の左側がヨーロッパ、右側がアジアとなっています。

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赤い線がヨーロッパとアジアの地理的境界線。

ウラルの鉱山開発の賜物

エカテリンブルグ(最後の濁点なしでエカテリンブルクと読まれるケースもある)は、ロシアの内陸部に広がるウラル地方の中心都市。本連載の第1回目で、ロシア史上最高の名君とされるピョートル大帝を取り上げましたが、エカテリンブルグもピョートルゆかりの地であり、その妻エカテリーナの名をとってエカテリンブルグと名付けられました。

ソ連時代には社会主義革命家のスヴェルドロフにちなんでスヴェルドロフスク市と呼ばれていましたが、1991年に元のエカテリンブルグ市に戻されています(ただし、同市を中心とする州の名は今もスヴェルドロフスク州のまま)。

エカテリンブルグは、金属や機械を中心とした重工業都市であり、外国人観光客が訪れて面白いかと言うと、やや疑問です。ただ、ロシアという国の成り立ち、その歴史を知ろうと思えば、避けて通れないところです。

ロシアの近代化、富国強兵を強力に推進したピョートル大帝は、海への出口を求め、バルト海沿岸に新首都サンクトペテルブルグを建設しました。艦隊、商船隊が創設され、大砲、砲弾、碇を作るために、大量の鉄、銅が必要となりました。そこでピョートルは、手付かずだったウラル山脈の豊富な鉱物資源に目を向けたのです。

ちなみに、「ウラル」とはテュルク諸語で「帯」を意味し、石の転がる山地が帯のように続くことから、この名がついたと考えられています。ウラル山脈は地球に現存する最古の山脈の1つであり、長年の浸食にさらされ、なだらかで低い山地となりました。地形の侵食が進んでいるため、豊かな鉱物資源がむき出しになっており、これが帝政ロシア、ソ連、そして新生ロシアの重工業を支えることになるわけです。

エカテリンブルグ市内にあるウラル地質学博物館では、ありとあらゆる種類の鉱物、石が展示されており、説明がロシア語だけなのが残念ですが、色とりどりの鉱石を眺めるだけでも楽しめます。ただ、アスベスト鉱石がむき出しの状態で展示されているのを見た時には、私は思わず悲鳴を上げて逃げました。

ロマノフ王朝終焉の地であり、初代大統領エリツィンの出身地

ピョートル大帝の時代以降、このような豊かな鉱物資源を基盤に、ウラル地方では鉱山・金属工場が次々と誕生し、それを中核にエカテリンブルグをはじめとする集落群が形成されていきました。エカテリンブルグでは、街の真ん中に大きな貯水池がありますが、これも元々は製鉄所で使う水を確保するために川を堰き止めたものです。

エカテリンブルグに関して注目すべきは、ここがロマノフ王朝終焉の地となったことでしょう。1917年のロシア革命で帝位を退いたニコライ2世とその家族は、ボリシェヴィキ(後のソ連共産党)によってエカテリンブルグのイパチェフ邸に幽閉され、1918年7月にこの館の地下室で、子供を含め全員が銃殺されたのでした。

イパチェフの家は、ソ連時代の1977年に取り壊され、一時はロマノフ家の最後を伝えるものがまったくなくなってしまいました。新生ロシアの時代になって、イパチェフの家跡に木造の礼拝堂が建てられ、史実を記した石碑も設置されました。さらに、2003年には礼拝堂の隣に、大きな聖堂が建立されました。「血の上の聖堂」という、外国人の我々からすると、何ともおどろおどろしい名が付けられています。

もう一点、エカテリンブルグは初代ロシア大統領の故エリツィン氏の出身地としても知られています。市内には「エリツィン・センター」という複合施設があります。その中核となっているエリツィン博物館は、エリツィン氏を賛美するバイアスはさておき、展示は非常に優れており、ロシア現代史を学ぶのには打って付けの施設です。

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エリツィン博物館の展示。1991年の保守派クーデターに立ち向かった時の勇姿(撮影:服部倫卓)。

スタジアムには羽がある

ところで、ワールドカップに向けて全面改築工事が行われたエカテリンブルグの中央スタジアムは、とてもユニークな形状をしています。両ゴール裏に仮設スタンドを増設しており、遠目に見るとスタジアムの左右に羽が生えているような感じがします。

このスタジアムの基本収容能力は2.5万人であり、普段国内リーグ戦で使うにはそれで充分なのですが、それではFIFAのW杯会場基準を満たさないので、1万人分の仮設スタンドを設置して3.5万人まで拡大しているわけですね。この両翼は、大会終了後、撤去される予定です。

エカテリンブルグは、モスクワとは2時間の時差があります。6月24日の日本VSセネガル戦は、現地時間20:00キックオフですが、間違えてモスクワ時間20:00にスタジアムに行くと、もう試合が終わっていますので、気をつけてください。

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スタジアムから張り出した羽のような仮設スタンド。工事現場の足場のようなもので支えられている(撮影:服部倫卓)。