新型コロナの中、世界の人々はどう生き、何を考えたのか。世界各地からの証言です。
- <ブラジルから>「保障も支援も理解もない」コロナ感染者急増のブラジルから、最前線の医師の訴え
- <米国から>「感染したかも」病院で受けたコロナの検査、相手は防護服 残った複雑な思い
- <フランスから>オンラインでは想像力も制約される 新型コロナで実感、何げない対話の価値
- <イタリアから>コロナと子供 爆発的な感染拡大のイタリアで、母として保育士として感じたこと
- <中国から>SARSの体験があったから自由の制限を我慢できた ある北京市民の実感
- <台湾から>「不便」と言えば改善される コロナ対策で世界が注目、台湾は自信を取り戻した
- <フィリピンから>検問でID、罰則に腕立て伏せも…地区ごとに細かなルール、フィリピンの感染対策
- <ベトナムから>外出制限の暮らしの中で、大人も子供も身につけた知恵がある
- <ザンビアから>オンライン教育と言われてもネットがない コロナに見舞われた途上国の苦しみ
- <フランスから>働きながら子供2人のオンライン授業を支える母の苦労 でもいいこともあった
■「ロックダウン」なしで乗り越えた
――台湾の様子を教えてください。
台湾は4月30日まで5日連続で新規の感染者がゼロでした。日本のような「緊急事態」は宣言されていません。不要不急の外出をしないでくださいという当局の要請はありましたが、お店やレストラン、台湾名物の夜市はずっと営業を続けています。唯一、休業要請があったのは、接客サービス付きのナイトクラブです。女性従業員の感染が確認され、クラスター発生のリスクが高いと考えられたのです。
家の近所に小籠包の有名店があるのですが、新型コロナが出るまでは、1時間から1時間半待ちがざらでした。新型コロナ感染が問題になった2月ごろには待たずに入れるほど客足が減りましたが、先週末に行ったところ、40分待ちくらいでした。テイクアウトを行う店は町中で増えました。
――夫(50)は新北市の病院に勤める内科医と聞いています。
17年前の重症急性呼吸器症候群(SARS)流行当時も、緊急救命室(ER)に勤務していました。病院にも封鎖されるところが出て、まだ子どもが小さかったこともあって、とても緊張したのを覚えています。この経験から、正体のわからない感染症が出た時にはあらかじめ対応を相談して決めていました。夫が病院から帰ったら家のどこで服を脱いで、どう洗うか、帰宅後はウイルスが付着しやすい髪を洗うことなどです。
■留学先から戻った息子たち
――家族は影響を受けましたか。
米国の大学に留学中の長男(20)と次男(19)が3月下旬に急きょ、台湾に戻りました。長男は東部ニューヨーク州、次男は西部カリフォルニア州の大学に留学していました。台湾で感染者が多く見つかって対策が強化された2月初め、心配になって電話をかけた時は、2人とも「別に。みんな騒いでいない」と言っていたのですが、3月上、中旬には、全米の大学が次々に登校禁止や授業のオンライン化を打ち出し、息子たちの大学も、どうしても帰宅できない事情のある学生以外は学生寮を出て家に帰るよう通知が出されました。
大学で化学を専攻している長男は当初、戻るかどうか迷っていました。夏休みの実験や実習も残っているし、大学は田舎にあるため、マスクを着けている人も周りにいないと言うのです。まもなく大学からただちに退寮しなさいと通知があり、やむなくニューヨーク州内の友人宅に身を寄せました。
その頃台湾行きの飛行機のチケットも高騰していました。長男が当初予約していた3月下旬の直行便はキャンセルになってしまい、次に飛ぶのは2週間後の4月上旬だというので、あわてて出発を1日繰り上げました。
――感染者が多いニューヨークからのフライトで感染の不安はありませんでしたか。
参考にしたのが、息子のように海外留学している高校の同級生の、保護者たちの情報です。LINEのグループがあって、注意事項が書かれた一覧表が回ってきました。当時、米国から大勢の留学生が台湾に帰ろうとしていました。表に書かれていたのは、機内では薄手のレインコートを着て、めがねかゴーグルを着けること。機内食には手をつけず、飲み物もストローで飲んで、決してマスクを外さないこと。トイレにもなるべく立たないこと。手袋を何度も取り換えること。消毒用アルコールでよく消毒することなどです。息子は持参した化学の実験用のゴーグルを機内でかけたそうです。
■在宅検疫の日々
――帰郷後、息子さんたちはどう過ごしたのですか。
3月下旬に相次いで帰郷した息子たちには2週間の「在宅検疫」が義務づけられました。この期間に外出すると、高額の罰金が科されます。2時間未満自宅を離れると10万台湾ドル(約36万円)、2時間以上6時間未満が20万元(約72万円)です。感染者の濃厚接触者として在宅で隔離中の人が外出した場合の罰金はさらに高額です。
在宅検疫中の人が近くのコンビニへ10分間外出しただけでも警察が来る、と聞きました。ニュースでは、在宅検疫中の新竹県在住の人が50キロ以上離れた台北駅の近くに遊びに来ていて、悪質だというので、100万台湾ドル(約355万円)の罰金が科されたそうです。
息子たちは体温を朝夕計り、入国時にもらった表に記入しました。町内会長が毎日自宅に電話をしてきました。当局からは、食料やマスクなどの差し入れがありました。息子たちが米国から持ち帰ったスーツケースもポリ袋に入れて、2週間は開けさせませんでした。消毒用のアルコールは台湾でも品薄になって高騰し、普段は350ミリリットルで40台湾ドル(約140円)ほどで売っているのが、6倍以上の1リットル750台湾ドル(約2700円)でしたが、やむなく買いました。
――食事はどうしていたのでしょう。
息子たちは風呂とトイレ以外は部屋から一歩も出ず、食事は私が部屋の外から「何を食べたい?」と聞いて、出前のように各自の部屋の前に置いておきました。2人が使った食器を消毒するため、小型の紫外線消毒器も買いました。うちにはバスルームが2カ所あるので、息子たちとは分けていました。洗濯も在宅検疫中はしませんでした。
――三男(9)は小学生ですね。
三男は市内の私立小学校に通っています。台湾では例年、2月の旧正月が明けて1週間くらいしてから学校が始まるのですが、今年は当局が2月早々に学校再開を2週間延期すると発表しました。みんな仕事があるのでパニックになりましたね。私の場合は休暇も使い切っていて、とても困りましたが、会社に相談して2週間、在宅勤務しました。
――台湾当局は臨時休校を延長しませんでした。
台湾の感染症コントロールがうまくいっているということで、休校は延長されなかったのですが、再開に反対する声ももちろんありました。でも始まりました。その際、学校からいろんな通知がありました。マスクを1日2~3枚を用意して、体育の授業中も必ず着けなさいとか、スクールバスに乗る前と学校の敷地に入る時、教室に入る前に検温をするとか。体温が37度以上の時は登校禁止とか。1クラスから2人の感染疑いが出た場合は学級閉鎖すると通知がありました。学校や学級の閉鎖に備えて、オンライン授業の説明などもありました。突然の学級閉鎖に備えて、教科書を毎日持って帰りなさいという通知もありました。
■「おかしい」「不便だ」の訴えが政策に反映
――台湾当局は、品薄が続くマスクの供給で世界的に高い評価を受けました。
現在は1人が2週間で9枚マスクを買えます。1枚5台湾ドル(約18円)です。日本や欧米ではマスクが高値で品薄で買いたくても買えない、医療従事者ですら足りていないといないと聞くので、買えるだけ幸せだと思います。
以前は、台湾でも薬局の前に人々が行列して買っていました。でも不公平感が強かったので、健康保険保険証のカードを使って1週間に1人当たり3枚買えるようになりました。薬局に買いに行ったら在庫がなかったという問題を受けて、どこの薬局に在庫があるか、一目で分かる当局の公式アプリができました。共働き家庭などで行列に並ぶ時間がない人も多いことも考慮され、現在では、インターネットで予約してコンビニで受け取れます。コンビニ店頭の端末でレシートのような予約票を印字するしくみでしたが、うちのように5人家族の全員分をまとめて受け取ろうとすると、端末で操作する時間も長くなります。そこで、今ではスマートフォンの予約確認画面をコンビニのレジで示せば、紙の予約票がなくても受け取れるようになりました。
――どんどん改善されていますね。
台湾では人々が「おかしい」「不便だ」と訴えると、改善されます。当局も頑張っているし、民間もみんな協力しています。今では、割り当てられたマスクがいらない場合は、アプリで「他国に寄付」を選ぶこともできます。
■自信取り戻した台湾
――新型コロナウイルスの影響で台湾社会は何が変わったと感じますか。
今までの台湾社会は、国民党と民進党とか、「外省人」(第2次大戦後に中国大陸から渡ってきた人々)と「本省人」(大戦以前から台湾に住む人々)とか、大陸との関係とかで、ジレンマに陥っている部分がありました。選挙のたびに互いを攻撃して、ある意味で、心が分断されていました。台湾は経済も弱いし、大陸を頼りにしないとやっていけないと思ってきた人も大勢いたのです。
けれど今回一番変わったことは、人々に「台湾はやればできる」、そして「台湾は国際社会に貢献することができる」という自信が出てきた点です。私たちがちゃんとやれば、どの先進国にも負けない一番の対応ができるという誇りが生まれました。マスクだって、今では海外に寄付することができるくらいの余裕があるのです。
当局が新型コロナに上手に対処したことで、「中国に頼らなくていい。いやむしろ、中国を信用しなかったからこそ、ここまでできた」と思う人が増えたと思います。17年前のSARSの経験を踏まえて、自分たちでやり通したのです。
幸運だったのは、陳建仁副総統や陳時中衛生福利部長(大臣)など公衆衛生学の専門家が当局の要職に就いていたことです。私の夫も公衆衛生学の修士号も持っていますが、夫が言うには、公衆衛生学は「お金にならない学問」なのだそうです。今まで重視されなかった分野ですが、たまたま当局の中枢に専門家がいてくれて本当によかったと思います。
――台湾の対策本部の指揮を執る陳時中衛生福利部長は、LINEのスタンプになるほどの人気だそうですね。
中国・武漢からチャーター機で台湾人を帰郷させるという時、台湾の国籍を持たない台湾人の子女らを入国させるかで議論がありました。台湾と中国人配偶者の間の子どもの国籍については、台湾と中国どちらの国籍にするか親権者が選べます。そんな時、陳部長が記者会見で、「(その子どもたちの親権者は)最初から国籍を選べたのです。選択した以上、自己責任です」と言ったのです。
厳しい言葉に思われますが、陳部長が正しいことを言ってくれたと思いました。今まで、大陸といえば「私たちの兄弟」ということで、国民党の馬英九前政権では、台湾の健康保険を在留資格を取ることで大陸にいる親族も使えるなど、不公平な制度がありました。自分で国籍を選んだのだから、今さら台湾人のメリットを享受しようとしてもダメだと。そう言ってくれた時に、台湾社会がこれまで感じていた不公平感を癒やしてくれたような気持ちになりました。台湾のアイデンティティーや団結する気持ちが一気にわき出てきました。国際社会に参加できないとか、中国にいじめられ、その圧力に屈している台湾人じゃないんだと。台湾人の誇りがわいたのです。
海外留学生が大勢帰郷した時のことも印象に残っています。3月末の米ニューヨークからの飛行機内で10人以上の感染者が判明しました。感染拡大を恐れて「留学生は帰ってくるな」という声が上がったときに、陳部長が会見で「彼らは台湾人です。温かく迎えるのが台湾人です。だから責めないで帰しましょう」と言いました。本当に感動しました。台湾には中流家庭でも、海外留学に出た子どもを持つ人が大勢います。親として、海外にいる子どもがどれだけ心配か、それをわかってくれたと感じました。
■誰のためにルールを守るのか、の意識
――感染拡大を警戒するあまり、プライバシーが侵害される不安はありませんでしたか。
当初、当局は在宅検疫者に携帯電話を配布していましたが、人数が増えて足りなくなりました。代わりに、仮釈放中の性犯罪者が身につけるような位置追跡電子装置を身につけさせようという意見もあったのですが、陳部長は「私たちは人間です。肉の塊ではありません。だから人権を尊重しなければいけません。ルールを守れるという姿勢を信じたい」と言いました。その言葉にとても温かい気持ちになりました。誠実にルールを守るのは自分のためであり、家族のためであり、社会のためだと、それが人間としてやるべきことだと多くの人が認識しました。
新型コロナは台湾社会にとってためになったことも多いと思いました。社会の中でどういうふうに人と人が尊重しあいながら互いを守るかといった公民意識や、社会の一員としての意識が強まったと思います。そうした意識は、これまでの台湾社会ではあまり考えられてきませんでした。「ルールを守るのは、人から責められたくないから」という意識が内心ではあったように思います。今回のことで、台湾人としてのアイデンティティーと同時にルールを守るのは、自分のためなんだという意識が強まったと思います。