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コロナで迫られたオンライン授業 教育の本質を考える場になった

Learning 更新日: 公開日:
松田悠介さん=2015年12月、瀬戸口翼撮影

国連教育科学文化機関(ユネスコ)によると、新型コロナウイルス感染症の影響で4月上旬には190カ国以上が全土で学校を閉鎖し、全世界の児童生徒の9割を超す約16億人が授業を受けられなくなりました。5月下旬時点でもなお約12億人が学校に通えていません。教育起業家の松田悠介さん(36)は、オンライン教育の可能性を説きます。(聞き手・大牟田透)

――新型コロナがパンデミックになった影響をどのように見ていますか。

これは大打撃ですね。学校が持つ教育的要素と福祉的要素の両方が損なわれた状況です。先進国、途上国にかかわらず、です。学校に通えないということは基本的人権に等しい学びの機会が奪われるということで、危機感を持っています。

まず福祉的要素でいうと、貧困や複雑な家庭環境にある子どもたちにとって学校は救いの場だったり、親以外の大人が介入できる場だったりしたわけですが、それさえも失われ、子どもたちに非常に大きな影響を与えています。

教育的要素でいうと、学校現場では先生方が子どもたちの表情などを確認しながら指導しているわけですが、その介入がない。日本でも話題になっているオンライン教育ですが、国レベルでうまくいった、オンライン教育で効果が上がったというところはありません。先進的とされる中国でも教育効果はどうしても下がるということが分かっています。

ただ、中にはオンライン教育でうまくやっている学校の事例はあります。自治体や国の単位ではなく、学校の単位では。成功の要因を分析してみると、もともと学校の先生に権限が与えられていて、平時から新しい教育を模索していたり、それこそオンライン教育にチャレンジしていたりしていました。そうした学校では非常事態になっても平時のことを続けていけばいいわけなので、対応できました。平時の段階で権限が与えられずに来た学校では、この非常事態でオンライン教育など新しい教育を求められても、これまでずっと対応せずに来た学校では、なかなか手が着かないという状況になっているように見えます。

クリムゾン・グローバル・アカデミー日本代表の松田悠介さん。オンラインでインタビューした

――うまくいっている具体例を教えてください。

中国は国で比べると比較的うまくいっています。もともと上海市に実験校があり、すべてオンラインにしてAI(人工知能)も入れて、子どもたちのデータを追跡して個別最適化する教育を提供しています。すべて監視されているという反論もあります。子どもたち一人ひとりの脳波を測り、集中度までモニターして『この子、集中度が上がってないな』と思うと介入します。子どもの心情からしてどうかという議論もあり、実験的要素が強いとはいえ、教育効果が証明されています。

米国では、サンフランシスコ市などがすぐにノートパソコンを家庭に配布して、オンライン教育の基盤を整えました。共通しているのは強いビジョンとリーダーシップです。日本の教育現場に求められているのはそこかなと思います。ポストコロナの状況で、AI社会に適応する教育をどうしていくか、グランドデザインを描くところではリーダーシップとコミットメントを期待したいですね。

フランスで、オンラインで学校から送られる教材を使って1日4、5時間、自宅で学習を続けるアーサー君

――ちょうど4月末にオンライン授業主体のインターナショナルスクール「クリムゾン・グローバル・アカデミー」が開校しました。松田さんはその日本代表ですが、どんな学校なのですか。

偶然、この時期の開校になりましたが、2年ほど前からニュージーランド政府に学校設置許可を申請していて、2019年末にようやく承認されました。オンライン教育は手段であって、学校教育そのもののあり方を見直す時代に入ったという思いが設立の動機です。工業化社会から脱工業化社会、情報化社会と移り変わり、いつの間にかAI社会に突入したのに、教育現場は5、60年前の工業化社会の教育から、そこまでドラスティックに変わってはいません。

教育機関は10年後、20年後のリーダー、「人財」を育てていかなければなりません。AI社会の中で生き抜き、課題を解決し、価値を生み出せる人財を育てることを目標にしています。

開校時の生徒は50人で、豪州とニュージーランドから約20人ずつ、英国とシンガポールから各3人、日本から2人などとなっています。今は9月入学の生徒を募集しており、来年の夏には生徒数1500人をめざします。

――世界の超一流大学などに入れることを目標にしているのですか。

日本ではどうしても偏差値偏重、東大至上主義みたいなところがありますが、我々は本人の適性や進みたいキャリア、学びたい内容に応じてベスト・フィット・スクールを特定し、さらにその先のキャリアを定めながら教育していきます。必ずしも超一流大学にということではありませんが、本人にとって質が担保された最適な大学への進学をめざします。

――オンラインであれば世界から生徒が集まりますが、日本にも拠点を置いたのはなぜですか。

これからの時代はダイバーシティー、多様性の尊重がとても重要です。オンラインの学校を作っても、生徒が米国人ばかりというのでは趣旨に合いません。いずれは途上国からも生徒を集めたいと考えており、そうしてグローバルな、小さな国連のような中で生徒が切磋琢磨(せっさたくま)していく。日本はGDP世界3位で、世界的影響力もある国なので、そうした環境で学ぶ機会を提供したいと考えました。

日本でインターナショナルスクールを開校すると、教師を日本に住まわせて給料を払うのでコストが高くなり授業料が年間300万円ぐらいになってしまいます。それがオンラインで校舎を持たないで世界の超一流の教育者をつなげば、コストを3分の1ぐらいに抑えることができます。教育の質を高く担保しつつ、多くの人に受けてもらうということではオンライン教育の可能性を感じています。

――モデルはあったのですか。

米スタンフォード大学が10数年前からやっているスタンフォード・オンライン・ハイスクールは参考にしています。教育者も保護者も懐疑的でしたが、今や全米でトップ10の高校に入っています。同校の校長先生にアドバイザーに入ってもらっていますが、新しい技術やデータ活用、アートで感性を育む教育などで特色を出そうと考えています。

■「子供に何を伝えるか」考える機会に

――コロナ禍が日本の教育に特に影響を及ぼしたことというのはありますか。

日本の教育は、実は海外から注目されています。国際的な学習到達度調査PISAは高い水準にありますし、全国民の識字率や基礎的な学力も非常に高い。学力面のみならず、例えば体育教育も日本ほどしっかり成り立っている国はありません。学校を設置するに当たっても体育館の面積やプールの有無なども細かく規定されています。そうして運動の機会が与えられることで、健康になります。人間の健全な育成につながるわけです。

給食もそうです。米国だったらカフェテリアでとかなるところですが、日本では給食で経済的に豊かか貧しいかに関係なく1食は栄養バランスのいい食事をとることができます。しかも、自分たちで衛生管理をして配膳します。掃除も清掃員がする国が多いなかで、自分たちで毎日掃除することも衛生教育になっています。こうした学校にあった日本の教育の良さが、新型コロナウイルスによって一気に停止しました。
子どもの支援をしている団体とよく意見交換するのですが、子どもたちの生活習慣は完全に乱れています。食事もそうですし、ネットで夜更かししています。そうしたことの心身への影響は非常に気にしています。

――逆にコロナが与えた良い影響というのはあるでしょうか。

文部科学省が、そもそも5年かけて実現することにしていたギガスクール構想を1、2年でやることになりました。学校現場の情報通信技術(ICT)環境を整え、オンライン教育をある程度ハイブリッド型に進められるようにするという構想ですが、そのタイムラインが縮まったということはよかったと思っています。

もう一つ、教育の本質を見つめ直すきっかけになったと思います。学校がないという中で、子どもたちに何を伝えるべきなのか、何が本質なのか、リソースも限られているなかで考える機会になりました。だからこそ、本質を見極め、方向性を示すということになるのですが、全員に適用するものは作れません。ですから現場にどれだけ権限を与えるかがポイントになってくるのです。

近年注目されているフィンランドでは、学校現場で子どもたちに一番向き合っていて、一番分かっている先生方に権限を与えたのが成功しました。大学院を出ていないと先生になれず、高いレベルの教育を受けた人たちが狭い門をくぐって入ってきます。そして入ったからには、カリキュラムの柔軟性だとか、予算の権限だとかは一定程度与えられるのです。校長などは実務に専念しています。

もちろん、フィンランドと日本は国の性質も税率も違いますから、フィンランドのやり方をそのまま日本に持って来るというのは間違っていると思います。でも、権限を与えるからこそ、先生も育っていく。我々が子どもたちにいま示していかなければいけないことは、有事の時にどう考え、どう意思決定し、どう学ぶかではないでしょうか。知識とかいろいろありますが、いま一番はそこだと思います。そこを体現、表現できるように態勢を整えないと、そういった意味での教育機会は損失していくでしょう。

オンライン学習に取り組む、福岡市西区の福岡西陵高校。一人の教諭がiPadに向かって説明し、もう一人が画面に映る生徒たちの様子を確認する=2020年4月13日、渡辺純子撮影(本文とは関係ありません)

■先生にゆとり生まれた

――休校になって、先生たちが教育について深く考えたという声を聞きます。

アンケートをすると、時間のゆとりができたという答えが目立ちます。平均の残業時間が月80時間という究極のブラック職場で、子どもたちに向き合う時間も奪われていたわけですが、休校になってむだな会議がなくなって授業準備ができるようになったという声が聞かれています。

米英では教員と事務員の比率が1対1とか3対2とかです。事務作業や経理、保護者対応などには事務員が取り組むのです。もちろん、いい面、悪い面あって米国ではセクショナリズムも生じていますが、日本では4対1ぐらいで事務作業が増えるに従って会議が増えていました。これを機に、先生方の働き方改革や本当に本質的な会議は何なのか、何に自分たちの時間を使うべきなのかを改めて体感していただいて、コロナが収まってもそれが続くように制度化するということが求められています。

――先生方にゆとりが失われていたのですね。

最近すごく感じているのは、どうやってゆとり教育を取り戻すかということです。これは先生のゆとりも子どものゆとりも、です。中央教育審議会の部会委員になって1970年代の報告書を読み返すと、「このままではまずいぞ」と詰め込む内容を減らして、ゆとりを取り戻そうと提言していました。総合学習の時間で社会とつながったり、プロジェクトベースの学びをしたりといった政策を提言したわけです。

そのゆとり教育は学力低下が批判されました。本当はそのときに子どもたちの心のゆとりだとか、感性やコミュニケーションなど学力以外の非認知スキルがどの程度上がったとかを見るべきだったと思いますが、ゆとり教育は失敗ということになり、脱ゆとりで教える内容を戻しました。

そこに、ここ10年ぐらい英語が大事だ、プログラミングが必要だ、アクティブラーニングもしましょうとなってきました。弁当にたとえると、詰め込む食材をどんどん追加してパンパンの幕の内弁当になってしまったわけです。そうなると一つひとつの食材は非常に小さいので教育効果はそんなに上がらないし、気は散るし、準備しなければいけない食材も学ばなければいけないレシピも増えて、先生も子どももパンクしているのが今の教育の状態なのかなと思います。

AI社会においては、もう少しゆとりを持ってアートや自然に触れて子どもたちの直感や感性を育むという教育を大切にすべきです。詰め込む知識は大げさにいえば4割ぐらい減らしてもいいと思います。日本の小学校3年生までの教育はこれも世界から高く評価されているのですが、テストもなく非常に自由に遊んでやりとりをしていく、そうした教育をモデルにしてどうやって中高に広げていくかです。

――オンライン教育はそこにどのように関わってくるのでしょうか。

双方向のオンライン授業は最大でも10人ぐらいにとどめるべきです。そのうえで、クリムゾンではデータに基づいて教育していくことなどで、今まで学校で6時間かけていた内容を2時間で効率的に学べるようにできると考えています。そうすれば浮いた4時間で自分の「好き」を徹底的に探究したり、芸術作品に触れて感性を育てたり、先生や友だちと実際に会ってコミュニケーション能力を高めたりといったことができるようになるでしょう。クリムゾンでも力を入れていく方針です。

――このパンデミックが与えたインパクトは、世界の教育を変えますか。

もうすでに変えていると思います。これまでオンライン教育は格差を縮めるツールといわれてきましたが、皮肉なことにこの非常事態にオンライン教育がベースになってむしろ格差を広げるのではないかと指摘されています。タブレット端末やパソコン、WIFI環境などオンライン教育の前提となるインフラが全員に整っていれば格差を縮める可能性はあるわけですが、実際にはどこの自治体でも約2割の子どもはそうしたインフラがないといっています。それにインフラがあっても主体的に学べずサポートが必要な子どもがいて、格差が大きく広がっていくことは危惧されます。

厳しい環境にある子どもや主体的に学べない子どもへの支援、福祉的機能や教育的機能の担保は急がれます。これらはもともとあった課題が顕在化したという話ですが、解決するのは我々の責務だと思います。

もう1点、良質なコンテンツがない中でオンライン教育がぐっと前倒しになりました。その結果、オンライン教育を続けても離脱率が高くなって「もう意味がないんじゃないか」となることは避けたい。クリムゾンや他のオンライン教育事業者が良質なコンテンツを開発して、徐々に主流になっていって初めて「教育が変わった」「後から考えるとあれがオンライン教育元年だった」といわれるのでしょう。そうなるように頑張りたいと思います。

――オンライン教育は、学校はもちろん、国の枠をも超えていくように思えます。

超えていくでしょう。教育はオープンであるべきです。階層や国境といったいろんな枠組みが取っ払われて、本当にオープンに子どもたちに最善の教育が何なのか考えられる社会を早く迎えたいなと思います。

教室の中で何が行われているか、いろんな人の目に見えるようになるでしょう。それを国民も非難うんぬんではなくて、顕在化した課題に対してどういうリソースを提供すれば子どもに最善の教育環境を作れるかということを考えるようにすべきです。

できていなかったことが明らかになって、苦しく思う先生がいるかも知れません。ただし子どもたちのことを考えれば、それがオープンになって子どもたちの成長をみんなが育んでいく社会を作っていかないと、どんな先生に出会ったかで教育格差が生じてしまいますし、システムの中に格差が残り続けることになります。

まつだ・ゆうすけ 体育教師、教育委員会職員などを経て、米国の2つの大学院で学んだ。教師の育成・派遣をするNPO「ティーチ・フォー・ジャパン」を2012年に創設した。