検問でID、罰則に腕立て伏せも…地区ごとに細かなルール、フィリピンの感染対策
7回目の今回は、フィリピン・マニラ郊外リサール州に住む、朝日新聞助手、ジョナ・ジオラゴンさん(44)がロックダウンの体験などを語った。(構成・鈴木暁子、写真は本人提供)
新型コロナの中、世界の人々はどう生き、何を考えたのか。世界各地からの証言です。
――新型コロナウイルスの流行によって、あなたの身の回りの生活はどう変わりましたか。
これまでも自宅で調べ物や電話取材をしたり、テレビやフェイスブックで会見内容を把握したりすることが多かったので、私自身は自宅勤務には慣れていました。ただ、他の多くの人たちも自宅勤務をしているのを見ると、状況が変わったと感じます。
フィリピンの学校では例年、4月に夏休みが始まります。今回も子どもたちは3週間だけ家庭学習をする必要がありましたが、その後はそのまま夏休みになったという状態です。夫の勤務先も閉鎖されており、多くの場合、私と夫は家にいるので、子どもは両親がいつも家にいることがうれしくて仕方がない様子です。この状況が終わって、私も夫も再び外で仕事をしなければならなくなった時、子どもたちは元の生活にすんなり戻れるだろうかと心配しています。
――仕事・働き方にはどんな影響がありますか。
多くの人がインターネットを使っているためでしょう、特に午後はインターネットの接続状況が悪くなる傾向があります。ウェブ会議システムを使った会見を視聴しにくくて困っています。
社会全体でインターネット接続のニーズが倍増していますが、フィリピンのインフラは、これだけ大勢の人が自宅勤務をすることを前提に整備されてはいません。ネットを使っている最中に突然遮断されても、再接続されるのを待つしかありません。
フィリピンではテレビやラジオの他にも、さまざまなメディアがソーシャルメディアを通じてニュースや一般の話題、うわさ話を流しています。フェイスブックが一番普及していて、インスタグラム、ツイッターも使われています。マニラから重要な情報や面白い情報を、離れた場所にいる記者にいち早く伝える私のような仕事をしていると、普段からこうしたソーシャルメディアをチェックすることがとても大事です。この習慣が身についていることが、出歩きにくい今、情報収集のためにとても役立っています。
困っているのはネットを使った記者会見やブリーフィングがあまりにも多いことです。特に、最近は深夜の会見が増えています。あまりに多くの情報があふれる状況には、手を焼いています。
――工場停止などの経済活動停滞や、外出制限で町を走る車が減ったことなど、自分の暮らす街の環境が改善されたと感じますか?
感じます。空気は間違いなくきれいになりました。私の住まいから、これまで見えなかった遠くの山々がくっきり見えるんです。空もずっと青い。路上に落ちているゴミも減りました。町中の環境汚染が改善されたと感じます。
――飛行機の運航停止などが予期せぬ地球温暖化対策に貢献しています。こうした変化をどう思いますか。
気候変動には間違いなく変化を及ぼしていると思いますが、経済成長とどちらか一方を優先すべきかというのは、あまり良い議論ではない気がします。どちらかを取るだけが答えではないはず。環境を保全する努力をしつつ、人々が食べて、生きていけるようにしなくてはなりませんから。
経済活動の停止で多くの人々が影響を受けていますが、痛手を負っているのは、以前から弱い立場に置かれた人たちです。豊かな人には深刻な影響はなく、せいぜい食べたいものを食べに行けなくなったとか、そういう制限があるぐらいでしょう。一方で、貧しい人たちは食べるものがない状況に置かれている。病院に行くお金もないまま自宅で亡くなっています。家族はその死を嘆き悲しむ余裕すらない暮らしをしています。
――住まいの地域ではどのような外出規制がありますか。それに対してどのように受け止めていますか?
マニラ首都圏とその周辺自治体はロックダウンの状況で、私の住まいもその対象地域です。検疫態勢は5月15日現在までで、計8週間にわたる長さです。他地域は4月末から緩め始めています。
ロックダウン中の検疫のルールは、自治体の越境を制限するというものです。私の住まいはリサール州とマニラ首都圏のちょうど境にあるので、この制限はなかなか面倒です。自治体の境にはチェックポイントがあり、たとえ1ブロック先であっても、簡単に越えて行くことはできません。ジャーナリストはこの規則を免除されています。ただ私は、基本的にルールに従っています。病気になりたくないですし、安全であることを選びたい。
住まいのある地区では各家庭に1枚ずつIDが配布され、買い物などに外出する際は、検問で見せる必要があります。IDを持っていないことがわかると、地区ごとに決められた罰則に従わなければなりません。例えば腕立て伏せや、ダンスをしなければならない地区もあるんです。
より狭いエリアの独自のルールもあります。私が住むマンションの場合、外出できるのは午前6~10時と、午後2~6時と定められています。しかも、週に2度だけです。それ以外の時間は基本的に自宅にいることになります。廊下や共用部をぶらぶらするのもダメ。自宅の外に出るときは必ずマスクを着用するよう求められます。警備員や清掃員、管理人の仕事も必要最小限になっています。
――子どもの一斉休校でどう対応していますか?
フィリピンでは4月に夏休みが始まったため、今は例年通り学校がない時期です。学校の再開時期については、まだ政府から明確な結論は出されていません。6月から再開し、一部はオンライン授業、一部は通学など、柔軟な対応をしてはどうかという意見が支持を集め始めているようです。9月再開の意見もあり、中には12月まで閉鎖という提案もありますが、こちらは不人気のようです。
最初は休校に戸惑いがありましたが、わずか3週間で従来の夏休みになったので、子どもたちは楽しんでいます。
子どもが2人いますが、それぞれ自分たちで考えることができる年齢です。15歳の長女は朝食を作り、お皿も洗ってくれます。10歳の長男もこまかい片付けをしてくれています。私はというと、毎日除菌スプレーを使って床磨きをしています。パンデミック以前からやっていたことです。
――国・自治体からどのような支援を受けましたか?
地元当局からこれまでに2度、食料セットを受け取りました。中身は米4キロとツナの缶詰6個です。貧困地域とはみなされていないため、自治体の支援はあまり多くはありません。
社会改善のための基金として、貧困層や収入源を失って困っている人たちには5千~8千ペソ(約1万500円~1万6800円)が支給されました。公共交通機関の運転手、工場労働者、小さなビジネスをする人たちなどです。中産階級の人たちには別の支援策があり、こちらは書類を添付のうえ申請が必要です。
仕事に戻れる人に対しては、政府がお金を渡す必要は感じません。政府がすべきことは、この感染症をコントロールする対策をとり、再び仕事ができる環境を取り戻すことだと思います。