今年は20年ぶりに日本のお正月を体験した。米国暮らしをしていると、おせちや雑煮、酒を囲む家族団欒は特別なもの。束の間の帰国という事もあり、家族で温泉に行った。不思議に思ったのは、豪華な夕食時、日本酒を飲んでいたのは、私と姪だけだったこと。あとの親戚家族はビール、酎ハイ、サワーなどを何度もお代わりしていた。ひと昔前なら宴会につきものだった酒瓶は、どの席でも見当たらなかった。しかも、この温泉地はあの銘酒「獺祭」発祥の山口県なのに。
「日本人が日本酒を飲まなくなった」というのは本当だったのか。データによると、日本の酒蔵はピーク時の約3分の1まで減少しているという。寂しい現状を目の当たりにしたような気がした。
一方、米国では「SAKE」ブームの最盛期。私が住むサンフランシスコ、ベイエリアでは日本食レストランが約1000件くらいあるが、どこでも様々な銘柄の日本酒を取り扱っている。一般のバーにも「SAKE」が出現。最近のアメリカ人は日本酒の知識も増え、産地を知っていたり、好みを主張したりするようになった。ミシュランクラスのフランス料理やカリフォルニア料理レストランでも日本酒を取り扱い、コース料理のペアリングにも選ばれている。
すでに大手の日本酒メーカーは1980年ころからアメリカに進出しており、サンフランシスコ郊外には、大関、松竹梅、月桂冠などが現地生産で市場を賑わしている。さらに日本の酒輸出量はこの10年で倍増。中でも旭酒造の「獺祭」の躍進は目覚ましい。中国四国農政局のHPによれば、2016年度8億3316万円の輸出額が2018年には23億2400万円と約3倍となっている。その内15%が米国だ。2018年にはNYで米国産酒を製造、販売を開始している。
最近の食のトレンドキーワードは「クラフト」「ローカル」「少量生産」。起業家達が手掛ける「マイクロブリューワリー」が注目され、SAKEブームを牽引している。特に環境や地元を意識した消費者が多いカリフォルニア。レストランオーナーも地元産のSAKE、ワインを優遇する潮流がある。そしてその流れは全米に広がっている。
6年前、サンフランシスコ初の酒蔵、「Sequoia Sake」が登場し、地元の飲食業界をあっと驚かせた。そして2年前、サンフランシスコの対岸、オークランド市に地元の米と水を使った「DEN Sake Brewery」が誕生した。
DEN は、蔵開き間も無く飲食業界のアカデミー賞と言われる「ジェームスビアードアワード」にノミネートされ、サンフランシスコの有名レストランから注目を浴びている。蔵元で起業家の迫 義弘(さこよしひろ:通称ヨシ)さんに話を聞いた。
世界一小さな酒蔵
その小さな蔵は、廃材置き場のような場所にあった。新しいことを始めようとアーティストや職人たちが集まって来る所だ。コンテナなどが点在する一角に、ブリキで出来た小さな小屋を見つけた。「まさか、ここが酒蔵」? 入り口で「商い中」の小さな札が目に入った。ヨシさんの酒蔵だ。
中に入るとヨシさんが、つなぎズボンに長靴を履いて仕事をしていた。蔵は何の飾り気もない。畳2枚分くらいの「製麹室」と奥に「仕込み室」があるだけ。冬は底冷えがするが、さらに冷房が効いた寒い仕込み室で殆どの時間を費やしている。この”ミニマル”な蔵から、上質な酒が作られているとは、私の想像を超えていた。
ミュージシャンから蔵元に「音楽と酒造りは似ている」
私がヨシさんに初めて会ったのは10年前。どこかプレーボーイ的なミュージシャンという印象だった。しかし起業家、杜氏となった今は「職人」の顔つきに変わっていた。でも何故ミュージシャンが蔵元に? ソムリエになる人は多いが、個人で一から醸造所を作る人は珍しい。しかもここ、アメリカで。
「アメリカに移住したのは、以前転々と旅行していた中で、サンフランシスコに3ヶ月くらい暮らしてみたいと思っただけ」とヨシさん。でも実際に暮らしてみると、その文化や風習が自分にとてもあってたらしい。いつの間にか20年が過ぎていた。
最初はアルバイトをしながらアメリカ人とバンドを組み、クラブで演奏活動をしていた。CDも4枚リリースしている。ある日、バイト先だったカフェのオーナーから新しくオープンする「酒ワインバー」のマネージャーをしないかと声がかかった。が、自由に演奏活動ができるミュージシャンとしての生活に不満もなくあっさり断った。
そんなヨシさんに転機が訪れた。「2回目の誘いを断らなかったのはきっと僕の運命でしょう」。なぜかその時、移動ばかりのミュージシャンとしての先行きにフッと不安を感じたという。地に足をつけた生活をやってみようと、動いた。
日本人として日本の文化を伝えたい
そのバーはサンフランシスコで初めての日本酒+ワイン専門バー「Corkage」。ヨシさんがマネージャーを引き受けてからは常連客が増えて毎晩大繁盛で、「やってみたら意外と面白かった」。客はカウンター越しに産地や銘柄、特に「旨味」の違いなどを聞いてくる。これがヨシさんの酒スピリットに火をつけた。自分の知識を高める為、日本に帰り、「相模灘」を作る地元の酒蔵で修行。その後、利酒師としてアメリカに戻り、「酒教室」をはじめた。バーは一層繁盛し、酒の売り上げも倍増した。
ヘッドハンティングされ、麹を使った料理を専門とする日本食レストランに移って酒のペアリングをアドバイスするソムリエの仕事も始めた。そこでも「酒ペアリング教室」を開き、食と日本酒の深い味の楽しみ方をアメリカ人に教えた。「客商売は合っていると思った。でもたった一つ足りないものがあった」。それはーー何かを作り出す、作曲にも似たクリエイティビティだった。
「土地と農家を敬愛した酒を作りたい」「酒造りと音楽はどこか似てるんだよね。僕を突き動かしたのは共通した創造性だったのかな」とヨシさん。
2年ほど前に ヨシさんはそのレストランを退職。姿を見かけなくなった。その間、彼は友人の庭で酒造りに勤しんでいたのだ。「自分らしい、納得するカリフォルニア産地酒を作りたい」と。
「世界で一番小さな酒蔵」の誕生
酒蔵での修行や個人の努力もさながら、ヨシさんには協力者が偶然のように現れる。その1人が山廃純米吟醸原酒「カウボーイヤマハイ」(塩川酒造・新潟)をアメリカでヒットさせた塩川和広さんで、狭いアパートに2週間泊まり込み、夢中になって一緒に酒を作ってくれた。その時の学びや気づきは、今の酒造りに大きく影響しているという。
それから約2年の試行錯誤の末、2018年に友達の庭から今の場所に移り、酒造りをスタートさせた。側から見れば理想とは言い難い場所だが、ヨシさんにとって絶好のスタート地点だろう。「世界一小さな蔵」だが、大企業に負けないクラフト感がある。3年の月日をかけ、自分らしい酒造りにたどり着いた。
風土を生かした地酒
ヨシさんの酒は、シンプルだけど力強い。コンセプトは、この土地の風土を生かした地産地消。カリフォルニア米の契約農家を持ち、オークランドの水をフィルターなしで使用する100%ローカルな酒だ。米はあまり削らない。種類はど直球の純米一種のみ。正確に言えばその火入れか生の2種となる。
従来の日本酒の作り方は大吟醸や本醸造、純米など、作り方や技術が注目され、米農家にはあまり日が当たらなかった。日本では決まった米農家の米を買い付けるより、複数の生産者による混合米をJAから買う方が低価格という背景もある。
ヨシさんの酒のラベルには米の産地と生産者が書かれ、産地にこだわる姿勢はあたかもワインのようだ。それは、ヨシさんの2つのこだわりによる。一つは、ワインのように産地の風土を取り入れること。酒造りを始める前にワインの品種や産地を徹底的に勉強し、風土を大切にしたワイン造りに感銘を受けたためだ。もう一つは地元のアメリカ人に幸せな食生活を送って欲しいという想い。「タンパク質も脂肪も日本食より多いアメリカ人の食事に合う、果実が熟す直前の若く、切れ味がある飲み口なんだ」とヨシさんは表現する。熟成はせずそのまま出荷する。言い換えれば、熟成する時間がないほど注文が殺到している。500ミリリットルの瓶が30ドル前後と割高感はあるが、値段より品質のこだわりを称賛するのもアメリカ市場ならではだろう。
「地元の農家を支援したい」というヨシさんの想いは酒名、「田」(デン)に込められ、彼の優しさと本気さが味わえる。今、着実に地元レストランと地域に受け入れられ、新時代のSAKEブームを牽引している。