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プーチンが最高指導者になって20年目の今日考えたい 2010年代のロシア

迷宮ロシアをさまよう
2018年大統領選の際のプーチン候補の広告。「強い大統領、強いロシア」と謳っている(撮影:服部倫卓)

2010年代の終焉に寄せて

本日、2019年12月31日は、「2010年代最後の日」ということになりますね。日本では、元号というものがあり、この春に平成という時代の振り返りをしたばかりですので、「2010年代を総括する」というような論壇の動きは、あまり活発ではなかったような気もします。

一方、本連載のテーマであるロシアという国の場合は、1990年代、2000年代、そして2010年代という十年紀のくくりが、時代区分として不思議としっくり来ます。それでは、幕を閉じつつある2010年代は、ロシアにとってどんな時代だったのでしょうか?

本題の2010年代に入る前に、それ以前の流れを振り返っておきましょう。まずは1990年代。新生ロシアの初代大統領となったエリツィン氏は、「ソ連をぶっ壊す」という歴史的役割こそ果たしたものの、その政権下でロシアは政治・経済ともに混迷を深め、ロシアの国際的地位は低下しました。エリツィン本人も健康上の問題で満足に職務をこなせなくなり、1999年12月31日に辞意を表明して、その時までに目星を付けていたプーチン首相に政権を禅譲したのです(プーチンは大統領代行に就任し、選挙を経て、翌2000年5月に正式に大統領就任)。ですので、本日2019年12月31日は、プーチンがロシアの最高指導者の座に就いてから20年目の節目でもあります。

1990年代のエリツィン治世が破壊と混乱の時代だったとすれば、2000年代のプーチン治世はロシア再生の時代でした。折からの石油価格上昇に支えられた部分は大きかったものの、2000年代に入るとロシア経済は高成長に転じ、「世界の成長をリードする新興国の一つ」と位置付けられるようになりました。国力を回復したロシアは、軍事やエネルギー産業に偏ったいびつな姿ではあったものの、再び大国として台頭するようになります。筆者の属す日露貿易の業界では、この時代にロシアで日本車が飛ぶように売れ、供給が追い付かないほどでした。ロシアは2008年のリーマンショックと、それに伴う石油価格の下落で深手を負いましたけれど、それは一時的な後退であり、ロシアはまだまだ伸びていくと思われていました。

バブル華やかなりし時代、2006年のモスクワ・モーターショー(撮影:服部倫卓)

プーチンの大統領返り咲きとウクライナ危機

そして迎えた2010年代。「一目で分かる2010年代のロシア」ということで、下に見るような図を作成してみました。ピンクの縦棒で示したのが、経済成長率(2019年のGDPはまだ出ていないので、同年だけ1~9月の前年同期比)。そして、ロシアの「レバダ・センター」という調査機関が、毎月実施している世論調査で、「貴方はプーチン氏の大統領(または首相)としての仕事を信認しますか?」ということを継続的に問うているので(いわゆる「支持率」にほぼ等しいと考えていいでしょう)、「はい」と答えた回答者の比率の推移を折れ線で示しています。さらに、節目となる大きな出来事を、下部に付記しました。

2010年代のロシアにとって、最初の大きな分かれ目となったのが、プーチン=メドベージェフ体制をどうするかでした。もともとのロシア憲法によれば、大統領の任期は4年で、連続2期までしか務めることができません。プーチンは大統領を2期8年務め上げたところで、2008年にその座を腹心のメドベージェフに譲り、自らは首相の座に退きました。そのメドベージェフ大統領の任期も2012年5月に切れることになっていたため、その後どうするかが大問題となったわけです。

プーチンが2011年9月に下した方針は、ウルトラCと呼ぶべきものでした。プーチン首相が2012年3月の選挙に出馬して大統領返り咲きを目指し、メドベージェフ大統領はその下で首相に転じるというのです。プーチンの大統領復帰自体はある程度予想されていたものの、大統領、首相という国家指導者の地位を、まるで私物のようにたらい回しにするというやり方に、少なからぬ国民が反発を示しました。しかも、2008年の憲法改正により大統領任期は4年から6年に延長されていたため、逆コースのプーチン体制が2期12年間も続く可能性がありました。

この頃になると、プーチン=メドベージェフ体制は硬直化し、ロシア社会には「権力者のコネがないと、満足な就職もできない」といった不満が鬱積していました。ここで行動を起こしたのが、若い世代を中心とした大都市のミドルクラスです。2011年暮れから翌年にかけて、モスクワ中心部で大規模な反政府デモが繰り返し開催されます。プーチン体制には、企業城下町、農村、高齢者などの支持層があるため、2012年3月の大統領選では、プーチンが過半数を得票し、シナリオどおり大統領復帰を遂げることとなります。しかし、本来であれば国の将来的な発展を担うはずの大都市住民や若者層にそっぽを向かれ、プーチン政権は傷だらけの再スタートを切ったのでした。2010年代に入り2013年頃までプーチン体制の求心力が低下していたことは、下図からもお分かりいただけると思います。

さて、プーチン・ロシアが2010年代に目指したところを端的に言うなら、2000年代に回復した国力を足掛かりとしながら、国の近代化と一層の国際的地位向上を遂げるべく、飛躍を期した時代だった、ということになります。プーチンは、2011年から2012年にかけて意識の高い市民層から駄目出しを食らったものの、大国ロシアを取り戻す意欲にみなぎっていました。

主な動きを整理すれば、2012年9月に開催されるAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議に向け、その舞台であるウラジオストクの大開発が行われました。スポーツの面では、2014年のソチ冬季五輪、2018年のサッカー・ワールドカップという2大イベントに向け、国を挙げた準備に邁進。また、プーチンは2012年の大統領選に臨むにあたり、選挙公約の目玉として、ロシアを中核に周辺国を糾合して「ユーラシア経済連合」を創設するという構想を示しました。

その一方で、ロシア経済には2010年代に入って変調の兆しも生じてきました。特に、石油価格が充分に高かったにもかかわらず、2013年の成長率がわずか1.8%に留まったことは、「活力に満ち溢れた新興国」というイメージに冷や水を浴びせるものでした。現時点から振り返ってみれば、潜在成長率が1%台というロシア経済の元気のなさは、この頃すでに露見し始めていました。

ロシアが飛躍を期したはずの2010年代は、結果的には挫折の時代に終わります。プーチンのユーラシア経済連合構想が伏線となり、2014年のウクライナ危機を招来、これによってすべてが暗転してしまいました。クリミアを併合し、ウクライナ東部への介入を続けるロシアに対し、欧米は経済制裁を発動し、ロシアもこれに報復、今に至るまで関係は正常化していません。ロシアは「東方シフト」と称し、アジア・太平洋地域、とりわけ中国に接近することを迫られました。2014年のソチ冬季五輪は、開催時には大いに国威を発揚させましたが、その後ドーピング問題が発覚し、これも国際社会との軋轢に繋がります。

下図で奇妙なのは、ウクライナ危機の渦中で、2014年に成長率が低下し、2015年にはマイナス成長に見舞われているのに、国民のプーチン信認度がかえって高まっていることです。クリミアというロシアにとって「本来の」領土を取り戻し、欧米を向こうに回してでも国益を守ろうとするプーチンは、やはり唯一無二の国家指導者だという評価が高まり、多少の経済難は我慢しようという風潮が広がったためです。しかし、2018年3月の大統領選挙まではクリミア効果が効きましたが、国民への皺寄せも広がる中で、カンフル効果が永続するはずはなく、同年6月に政府が年金受給年齢の引き上げを発表すると、プーチンへの信認度もクリミア前の状態に戻りました。

ロシア社会は大きく変わっている

以上で述べたのは主に、政治・経済・外交などの大きな視点から見た2010年代のロシアです。他方、この間、ロシアでも世代交代や、IT化が進み、社会・生活のありようは、かなり深甚な変化を遂げています。

ロシアにおけるインターネットの世帯普及率は、2010年の41.3%から、2018年には69.0%に上昇。ロシア人の日常的な買い物で、非現金決済の比率は、2010年には2%でしたが、2019年には65%になりました。

また、2000年代のロシアであれば、市民が住宅や乗用車を旺盛に購入するという現象が注目されました。それに対し現下ロシアで、1980年から2000年にかけて生まれた「ミレニアル世代」の青年層は、「所有」にはあまり頓着せず、カーシェアリングを利用したり、住宅も賃貸を志向して頻繁に住み替えたりといった傾向が指摘されます。

ロシア社会が最も様変わりしたのは、健康・フィットネスの分野かもしれません。1人当たりのアルコール消費量は、2010年の18リットルから、2019年の9リットルへと半減(純アルコール換算)。成人に占める喫煙者の比率も、2010年の41%から、2019年の22%へと激減しました。

最近、ロシアに出かけると、ホテル、外食店、商店などで働いている若い人たちが、笑顔でテキパキと仕事をこなしている様子に、感心させられます。単純なようですが、「ロシアにも若くて優秀な人たちがどんどん出てきているんだな」ということを実感し、頼もしく感じます。プーチン大統領の最後の仕事は、若い世代を信じ、次の世代へのバトンタッチをしっかりとすることなのではないでしょうか。決して、過度に国家戦略に凝り固まり、古いロシアを再生産することではないはずです。