モスクワで反政府デモが続く
ロシアでは、9月8日が統一地方選挙の投票日となっており、その一環として、首都モスクワ市の市議会選挙が実施されます。そのモスクワ市議会選で、野党系の候補の立候補が認められなかったことから、モスクワでは市民による大規模な反政府デモが続いています。
今、ロシア政治に何が起きているのでしょうか? 私見によれば、プーチン政権が過去数年間に辿ってきた軌跡を振り返ると、今日の問題をより良く理解できると思います。以下では、ナターリヤ・ズバレビチという学者が唱えている「4つのロシア」という議論に依拠しながら、プーチン体制のロシアが陥った袋小路について考えてみることにします。
クリミア効果の剥落
レバダ・センターというロシアの調査機関は、毎月実施している世論調査で、国民が最高指導者のプーチン氏を信認しているか、いないかを長期的に跡付けています。その結果をまとめたのが、下に見る図です。これを見ると、プーチン氏は常に、6割を超える国民の信認を集めています。普通の国であれば、盤石の支持率ということになるでしょう。
しかし、国民のプーチン氏に対する信認は、2000年代の末から低下に転じました。特に、憲法の三選禁止規定を回避するため、一時期首相職に就いていたプーチン氏が、再び大統領に復帰する方針を示した2011年秋以降、プーチン氏の数字は目に見えて悪化しました。プーチン氏とメドベージェフ氏が、大統領職と首相職をまるで私物のようにやり取りする様子に、少なからぬ国民が愛想をつかしました。
折しも、2011年12月4日に実施された議会選挙で、体制側による不正が指摘されたことから、モスクワ中心部で大規模な抗議デモが繰り返し開催される事態となりました。結局、2012年3月4日に投票が行われた選挙に勝利し、プーチン氏は大統領に返り咲いたものの、むしろプーチン体制が揺らいでいるという印象を強く残しました。図に見るとおり、2012年5月に第3期プーチン政権がスタートして以降も、国民の大統領に対する信認はじりじりと低下を続けたのです。
事態を一変させたのが、2014年2月のウクライナ政変と、それに続くロシアによるクリミア併合でした。それから数年間、国民のプーチン氏に対する支持率は、いわばドーピングを施されているような状態でした。
しかし、これはプーチン大統領の支持率が本来の実力以上に下駄を履かされた状態ですので、それほど長続きするはずはありません。図に見るとおり、国民のプーチン信認率は、2018年半ば頃から下落します。本連載の「ワールドカップ成功の影でプーチン氏の支持率が落ちている」の回で報告したとおり、その引き金を引いたのは、年金改革と増税でした。
しかし、それは一つのきっかけにすぎず、むしろ、クリミア併合から一定の時間が経って、そのカンフル剤としての効果が、必然的に剥落してきたというのが真相でしょう。要するにプーチン体制は、2011~2012年頃に直面していた本来の厳しい状況に戻ったのです。
さて、上に述べたようなことは、「4つのロシア」論に当てはめると、より理解しやすくなると思います。「4つのロシア」論というのは、ナターリヤ・ズバレビチという学者(社会政策独立研究所地域プログラム部長)が、2011年12月にロシア紙に寄稿して知られるようになった分析視点です。ズバレビチ女史によれば、ロシアはまったく異なる4つの構成要素から成り、それらはまるで別の国のように異なると言います。具体的には、①大都市、②中規模な工業都市、③農村および小都市、④北カフカスおよびシベリア南部の民族共和国、という4つの要素です。以下、ズバレビチの議論を要約してみましょう。
「第1のロシア」:大都市
「第1のロシア」は、大都市である。ロシアには12の百万都市があり、さらにそれに近い人口の都市も2つあって、ロシアの人口の21%がここに住んでいる(注:2011年時点の数字、以下同様)。過去20年間でこれらの大都市は工業都市でなくなった。大都市では、雇用構造の変化(ホワイトカラーの増大)、中小企業への就労の増加が見られ、公務員ですらより高い職能を備えるようになっている。ミドルクラスが集中しているのも、まさにこれらの大都市である。移住者が向かう行先も大都市で、ロシア全体の人口に占めるその割合が高まっている。
「第1のロシア」には、人口50万人以上の都市も加えることが可能である。そうすれば、総人口に占める比率は30%まで高まる。最も定義を緩めれば、人口25万人以上の都市を含めることができ、そうなれば全人口の36%ということになる。
ロシアのインターネット・ユーザーや、変革を欲しているようなミドルクラスが集中しているのは、まさにこれらの大都市である。彼らが政治的行動を起こしているのは、プーチンの下で停滞がずっと続くという見通しに危機感を抱いているからだ。また、腐敗した国で投資が進まず、自分たちの就きたいような新しいタイプの職が不足していることにもよる。
「第2のロシア」:中規模な工業都市
「第2のロシア」は、人口2万~3万から、25万くらいまでの、中規模な工業都市や企業城下町である。ただ、時には人口が30万~50万に及ぶこともあり、最大の自動車メーカーAvtoVAZが所在するトリヤッチのように70万という例もある。すべての中都市がソ連時代の産業の専門を保持しているわけではないが、その精神や、ソ連的な生活様式は根強い。こうした都市では、ブルーカラーの比率が多い上に、公務員も多く、しかも職能の低い公務員が主流。需要が低かったり、制度的な壁があったりで、中小企業は圧迫されている。「第2のロシア」には、国民の約25%が住んでいる。そのうち、社会的緊張がとりわけ尖鋭な企業城下町には、約10%が住む。
もし今後、経済危機の新たな波が生じたら、最も打撃を受けるのは、「第2のロシア」である。鉱工業が大きな落ち込みに見舞われる中で、住民の適応能力は高くない。今後、これらの地方を支える財源が見付からないと、住民が職と賃金を求め政権に抗議する急先鋒となり、政権が大衆迎合的な決定を下す圧力が強まる。ただ、政権は「第2のロシア」をいかに懐柔するかを、心得ている。ミドルクラスにとっては死活的な諸問題(民主主義、ネットの自由など)も、職と賃金を求める「第2のロシア」にとっては、どうでもいいことである。
「第3のロシア」:農村および小都市
「第3のロシア」は、広大なエリアから成る辺境で、農村および小都市である。ロシアの人口の38%を占める。彼らは土地に生きており、農業の歳時記は政権交代とは関係ないので、政治には無関心である。たとえ危機で年金や賃金が遅配になったとしても、彼らの抗議エネルギーはほとんどない。
「第4のロシア」:北カフカス、シベリア南部の民族共和国
「第4のロシア」は、北カフカスおよびシベリア南部の民族共和国で、ここにはロシアの人口の6%弱が住んでいるにすぎない。そこには大都市も中小都市もあるが、工業都市は存在しない。都市のミドルクラスは今のところほとんど未形成で、他の地域に流出してしまって育たない。農村人口は増加し年齢構成も若いが、若者は都市に出てしまう。
これらの地域では現地の閥が権力、資源、民族、宗教などの闘争を繰り広げ、彼らにとっての関心事は連邦からの資金を取り付けることだけである。連邦からしてみれば、これらの地域への支援はそれほどの規模でもないから、経済危機が再燃しても対処でき、これら地域の状況は大きく変わらない。
帰ってきた「4つのロシア」
以上が、2011年にズバレビチが発表した「4つのロシア」論の骨子でした。
プーチン氏が常に6割を超える国民の高い信認を得ていると言っても、それは主に、受動的で何かと中央に依存しようとする「第2~4のロシア」から調達しているものです。活力溢れる「第1のロシア」に住む意識の高い市民は、2011~2012年の時点で、プーチン政権を見限りつつありました。
繰り返しになりますが、これを一変させたのが、2014年以降のウクライナ危機でした。ウクライナを巡りロシアが欧米と対立し、その中でプーチン政権がクリミアの「奪還」に成功。このことが、あまりにもロシア国民の愛国主義的な琴線に触れたため、元々はプーチン政権に批判的だった「第1のロシア」の市民すらも、「今は国民が一致団結してプーチン政権を盛り立てねば」という考えに傾いたわけです。
言い換えれば、2014年から2018年半ばくらいにかけての時期は、「第1のロシア」が、「その他のロシア」に、一時的・例外的に歩み寄っていた時代だったと言えそうです。当時は、提唱者のズバレビチも、「『4つのロシア』は一時的に棚上げになっている」と認めていました。
しかし、ウクライナ危機発生から4年、5年と経ち、欧米との対立がロシア経済の沈滞に繋がっていることが明確になるにつれ、「第1のロシア」、特に若者世代が、再びプーチン体制への不満を募らせるようになりました。その表れが、現在首都モスクワで起きている反政府デモです。
プーチン政権は、ロシアのイノベーション的発展、経済のデジタル化、中小企業やスタートアップの支援といったスローガンを掲げています。そうした新しい経済の担い手となるのは、基本的に「第1のロシア」のはず。しかし、現実には、プーチン政権は体制の安定に汲々とするあまり、市民の権利を制限するようなことばかりしていて、「第1のロシア」を敵に回してしまっています。
こんなことを続けていたら、大都市の有能な若者たちは、国を捨てて出て行ってしまうかもしれません。これまで以上に、エネルギー・資源輸出で稼いだお金で、「第2~4のロシア」を扶養するだけの国に堕してしまいます。目先の政治的安定は図れるかもしれませんが、国としての斜陽化は必至です。