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旧ソ連諸国の国名をめぐるモヤモヤが止まらない

迷宮ロシアをさまよう 更新日: 公開日:
「ウクライーナ」の首都「クィイヴ」の中心部の広場。(撮影:服部倫卓)

在京大使館が突然「ウクライーナ」を名乗る

本連載では、ロシアの南西に位置する隣国、ウクライナのことを何度か取り上げています。最近、同国の在京大使館のホームページを眺めていたところ、こちらのページ で、重大なアピールが発信されていました。

アピールの趣旨は、「ウクライナの地名はロシア語ではなくウクライナ語をもとに英語や日本語に翻字されるべきだ」というものです。もちろん、この主張自体は理解できるものですし、筆者自身も以前からそのように心がけてきました。驚いたのは、大使館が、ウクライナは日本語で正しくは「ウクライーナ」と表記すべきだと主張していたことです。良く見ると、気の早いことに、ホームページ自体のタイトルがすでに「在日ウクライーナ大使館」になっていました。

ここで解説しておくと、そもそもロシア語やウクライナ語には、長音は存在しません。ただ、ロシア語やウクライナ語の単語の中には、基本的に一箇所「力点」というものがあり、そこが強く読まれるので、何となく長い音のように感じ、日本語にする場合に長音で表現することが多い、というだけのことです。たとえば、有名なアニメキャラの「チェブラーシカ」などは、別に「チェブラシカ」と表記しても間違いではありませんが、長年にわたる慣習で「チェブラーシカ」が定着したため、今では皆がそれを使っているというわけです。

ウクライナという名前は、確かに現地語の発音では「ウクライーナ」に聞こえます。ただし、それはロシア語でもウクライナ語でも同じ。独立から四半世紀あまりを経て、せっかくウクライナという名前も日本人の間にある程度浸透してきたのに、今さら「『ウクライーナ』と伸ばすのが正しい発音だ」とごり押しするのは、どうかと思います。「ロシア」だって、ロシア語の発音に忠実に表記すれば「ラシーヤ」になるわけで、そんなことを言い出したらキリがありません。

私は、日本人にとって覚えやすいのは、3~5文字程度のカタカナであり、「ウクライーナ」と1文字増えることによる弊害は、馬鹿にならないと思います。「ウクライーナ」だと長すぎて、日本人はたぶん略そうとするでしょう。「ウクラは美人が多いらしいね」などといった表現が飛び交い、かえって現地語とかけ離れてしまうことになりかねません。現に、旧ソ連諸国の中でも、国名が長い国については、ウズベキスタンのことを「ウズベキ」、トルクメニスタンのことを「トルクメ」などと呼ぶ日本人が少なくありません。

現地語の発音に忠実であることが正義とは限らない

ウクライナ側の態度には、「ウクライナ語の発音(特にロシア語との違い)をなるべく忠実に翻字してほしい」という思いが見て取れます。それは、理解できないではありません。しかし、日本人、日本語にも、発音や表記のしやすさというものがあり、それと折り合いを付ける必要があるはずです。

たとえば、ウクライナ南部に、ロシア語では「ニコラーエフ」と呼ばれていた港町があります。私は、ウクライナ語をもとにして、この街に「ミコラーイフ」というカタカナを充てています。ロシア語のNはウクライナ語でMに化けることがあるので、ちゃんとウクライナ語読みにしてあげることは大事です。ところが、今回の大使館の主張では、この街が「ムィコライヴ」と読まれるべきだとされています。もはや、日本人には読んだり覚えたりすることもままなりません。

さらに、今回の大使館のアピールによれば、首都の読み方は「キエフ」ではなく「クィイヴ」なのだそうです。確かに、我々が慣れ親しんできた「キエフ」はロシア語読みですので、それを正したいという気持ちは良く分かります。今年6月に、米国当局がこの首都の綴りをKievからKyivに変更したという追い風もあり、大使館としては日本にもそれに倣ってほしかったのでしょう。

しかし、「クィイヴ」で日本の一般国民に覚えてもらえるでしょうか? そもそも、日本外務省はこの4月から、国名には「ヴ」表記を用いないという方針をとっており、首都名についてもそれに準ずると考えられるので、「クィイヴ」を日本に根付かせるのには相当無理がある気がします。

ところで、上掲の大使館アピールによれば、英語における「ウクライーナ」の正しい現代的なスペルは、Ukraineだとされています。ちなみに、この綴りの英語発音は「ユークレイン」です。これは、酷いダブルスタンダードだと指摘せざるをえません。日本には現地語に忠実に「ウクライーナ」と長音にすることまで要求しておいて、英語は「ユークレイン」のままで、何のクレームも付けないのでしょうか?

1918年に成立したグルジア(ジョージア)民主共和国の百周年を祝う展示の案内。 ジョージア国立博物館にて(撮影:服部倫卓)

本当に「ジョージア」で良かったのか?

さて、旧ソ連諸国の国名をめぐるモヤモヤの、最たるものは、かつて「グルジア」と呼ばれていた国の、我が国における呼び名が、2015年に「ジョージア」へと変更になった件です。

ジョージア当局は日本側に、「グルジア」というのはロシア語の読み方であり、我が国にとっては不本意なので、ぜひ「ジョージア」という国名に変えてほしいと要請してきたわけです。ただし、ジョージアの人たちは、自分たちの国のことを「サカルトヴェロ」と呼んでおり、「ジョージア」というのは英語(およびその他の西欧言語)の読み方なのです。

もしも彼の国の人々が、「我々の本来の名称は『サカルトヴェロ』なので、ぜひ貴国も我が国をそう呼んでほしい」と求めてきたのなら、至極もっともな話です。ところが、実際には、「ロシア語読みは嫌だから、英語読みで呼んでください」と注文を付けてきたわけで、これには我が国の旧ソ連クラスタの皆さんが一様に疑問の声を上げました。

私が不満なのは、ジョージアと同じくEU・NATO加盟路線をとり、友好関係にあるはずのウクライナが、いまだにジョージアのことを「グルジア」と呼び続けていることです。ジョージアは、日本などよりも、友好国であるウクライナに真っ先に、「グルジア」という呼び名の撤回を求めるべきだったのではないでしょうか。

注目すべきことに、この6月にウクライナのポロシェンコ前大統領は、「ウクライナにおける『グルジア』の呼び名を、『サカルトヴェロ』に変更すべきなのではないか」という問題を提起しました。先の大統領選では国民にこっぴどく駄目出しをされ、現在は刑事訴追を逃れるためか国外に脱出した格好のポロシェンコ氏ですが、最後に一つだけ良いことを言ったなという気がします。