プーチン大統領の支持率に異変
FIFAワールドカップ(W杯)ロシア大会は大きなトラブルもなく全日程が終了し(決勝戦の乱入騒動だけは誤算でしたが)、ロシア代表も事前の予想を大幅に上回る躍進を遂げました。ロシアW杯は、大成功だったと結論付けて間違いないでしょう。「さぞかし、今のロシアは良い雰囲気なんだろうな」と想像したくなりますが、実はそうでもないんです。ここに来て、国民のプーチン大統領に対する支持率が、急激に低下しています。プーチン大統領は、W杯を政権の浮揚に繋げることができず、逆に大会が「つまずきの石」になってしまったような印象です。
プーチン大統領の支持率低下は、様々な調査で確認されていますが、ここでは「全ロシア世論調査センター」の数字を見てみましょう。同センターでは毎日1000人のロシア国民に電話アンケートを実施しており、その中で「貴方の信頼する政治家を挙げてください」ということを問い(複数回答可能)、それを週ごとに集計して発表しています。この設問でプーチン大統領およびメドベージェフ首相を挙げた回答者の割合を跡付けたのが、下に見る図です。なお、諸要因により、年によって集計回数が違うので、年の間隔が均等になっていませんが、悪しからず。
図を見ると、まず目立つのは、プーチン大統領への支持が2014年に急上昇したことです。2014年と言えば、ウクライナで政変が起き、ロシアがその機に乗じてウクライナ領クリミアを併合した年。ロシアは、欧米をはじめとする国際社会から厳しい批判を浴びました。2012年に始まる第3期政権で、プーチン政権の求心力は今一つ高まっていませんでしたが、それを一変させたのがこのウクライナ危機でした。多くの国民は、「プーチンはロシアの国益を護ってくれる唯一無二の指導者であり、今日のような難局にあっては、我々はプーチンの下に団結しなければならない」と考えるようになり、その結果プーチン支持率は過去最高水準に高まったのです。ロシアの専門家の間では、これは「包囲された要塞の効果」と呼ばれています。
年金問題で怒った国民
ただ、その効果も、次第に剥落してきました。2018年3月の大統領選挙自体は無風でしたので、プーチン大統領は難なく再選を果たし、5月7日に4期目の政権をスタートさせました。しかし、ガソリンの値上がりなどで国民の不満はくすぶっており、この間、プーチンを信頼するという国民もじりじりと低下を続けていました。
決定打となったのは、まさにW杯が開幕した6月14日の出来事でした。この日の閣議でメドベージェフ首相は、国民に痛みを強いる2つの大きな政策方針を示しました。第1に、現在18%である付加価値税(日本の消費税に相当)の税率を、2019年から20%に引き上げること。第2に、年金制度を、受給開始年齢を引き上げる方向で改革することです。
各機関の調査結果を見ると、プーチン大統領の支持率が目立って下がるようになったのは6月後半からであり、増税と年金改革が原因であることは明らかです。図に示した全ロシア世論調査センターのデータも、6月24日の集計で40%の大台を割り込み、7月8日の集計では37.6%という過去最低に近い水準に落ち込んでしまいました。
とりわけ、受給開始年齢を10年間かけて段階的に5歳引き上げるという年金改革は、多くの国民の怒りを買いました。W杯開催都市では、治安維持のためデモが禁止されていたので、外国のサッカーファンは気付かなかったかもしれませんが、W杯とは関係ない多くの都市では、数百人、数千人規模の年金改革反対デモが起きていたのです。
プーチン大統領は、大統領選の公約では、年金受給開始年齢の引き上げなどには触れず、むしろ年金額を引き上げるべきだと主張していました。それが、当選したとたんに、不利な制度変更を国民に強いるというのでは、中高年層が怒るのも当然です。しかも、嫌われ者のメドベージェフ首相を矢面に立たせて、国民の注目がサッカーに集まっているW杯開幕日に発表させるというのは、いかにも姑息でした。ペスコフ大統領報道官は、「プーチン大統領は年金問題の検討には加わっていない」とコメントしましたが、この国の重要問題はすべて大統領が決めていることは、周知の事実です。
重要な試合を欠席したプーチン
ところで、W杯で筆者が不可解に感じたのは、ロシア代表の決勝トーナメント1回戦スペイン戦、準々決勝クロアチア戦に、プーチン大統領の姿がなかったことです。スペインからは国王フェリペ6世が来訪し、クロアチアのグラバル=キタロビッチ大統領も駆けつけたにもかかわらず、なぜかホスト国の国家元首であるプーチンは不在で、VIP席にはメドベージェフ首相の姿が見られるのみでした。
ペスコフ報道官は事前に、「大統領は多忙を極めるため、スペイン戦には出向かない」と説明していました。しかし、スペイン戦があったのは日曜日であり、クレムリンの公式HPを見る限り当日に公式行事などはありませんでした。プーチン大統領は、試合の前と後にチェルチェソフ代表監督に電話をしたと言いますし(試合後にはスペイン国王にも電話)、また試合そのものは最初から最後までテレビ観戦したということです。得意の交通規制を発動すれば、クレムリンからルジニキ・スタジアムまであっと言う間であり、行こうと思えば行けたはずです。クロアチア戦のあったソチも、大統領の別荘のあるところで、外国の賓客と当地で会談することも多く、通常の行動圏内です。
実は、プーチン大統領は2014年の自国開催ソチ冬季五輪で、男子アイスホッケーのロシアVS米国の試合に駆けつけながら、ロシア代表が宿敵米国に敗れてしまうという屈辱を味わいました。もしかしたら、その時の経験がトラウマになっているのかもしれません。今回のW杯で、スペイン代表は優勝候補の一角であり、ロシア代表がこてんぱんに負けることも考えられたので、スタジアムに出かけていって敗軍の将のような気まずい思いをしたくなかったのかもしれません。対クロアチア戦にしても、ロシアは完全に格下と見られていましたからね。
プーチン大統領に代わって、クロアチア戦を現地で見届けたメドベージェフ首相はツイッターで、「ロシア代表、今回のW杯における戦いをありがとう」とコメントしました。それに対してあるロシア人サポーターは、次のようにリツイートしました。「プーチンに伝えてくれ。もし貴方がこの試合を観に来てくれたら、ロシア代表は勝ったはずだ、と」。おそらく、多くのロシア国民が、そのような感情を抱いたのではないでしょうか。いや、クロアチアに勝てないまでも、先頭に立ってロシア代表を応援するプーチン大統領の姿を国民が見たら、年金問題による支持率の低下も、より軽微で済んだかもしれません。