毛皮のコートの中年女性や、スリムでメイクもばっちりな若い女性。「しゃべらなくてもロシア人は雰囲気で分かるよ」。魚の品ぞろえが豊富なスーパーで、フィンランド人の男性は言った。
ここはフィンランド南東部、ロシア国境にあるイマトラ。首都ヘルシンキからもロシアのサンクトペテルブルクからも車なら3時間ほどで行ける、人口3万人足らずの小都市だ。中心部のそばにある「イマトラの急流」は、18世紀以来の国際的観光地だ。自然豊かなリゾートというだけでなく、数年前からは大型スーパーなどショッピング施設が相次いでオープンしている。
お目当てはもちろんロシア人だ。スーパーの駐車場を見ると、ロシアのナンバープレートをつけた車が大半だった。大型車が多いのが特徴で、雪解けシーズンなので、どの車も窓が見えないほど泥だらけだ。
旧ソ連時代、両国の国境を越える人はごくわずかで、ほとんどは観光などでロシアへ行くフィンランド人だった。だが、1990年代から増加が続き、ピークの2013年には1300万人近くに。割合も90年代半ばには逆転し、最近はロシア人が7~8割を占めている。フィンランドはロシア人へのビザ発給にも寛容な姿勢をとっている。
2014年にはクリミア併合による欧州との関係悪化やロシア通貨ルーブルの暴落で、ロシアからの入国者は激減し、フィンランドの観光や小売業者は大打撃を食らった。それでも、昨年から再びロシア人の客足は戻りつつあるという。
かつてはロシア人による高級品の「爆買い」に眉をひそめるフィンランド人もいたというが、いまは食品や健康食品など日用品が買い物の中心だという。どこか、日本に来る中国人観光客の傾向を思わせる。同じような商品をロシアで買えるのに、わざわざ国境を越えて来るのは、「メイド・イン・フィンランド」に対する信頼の高さだろう。
イマトラからわずか数十キロの街、ラッペーンランタには、ロシア人向けにブランド衣料品などを売るショッピングモールが複数ある。2014年の秋、ルーブル暴落の直前にオープンしたモールを訪ねた。マネジャーのアシュア・アラチャコは、フィンランド人男性と結婚したロシア人だった。「オープンから間もなく客足がぴったり止まったけど、いまはとても順調です」と言う。「当初はとても高価な新製品を売っていたけど、いまは手頃なアウトレット商品を扱っています」。従業員のほとんどはロシア語が話せるという。案内してくれたラッペーンランタ観光案内所の女性は「ここで売っている靴は、キラキラしてロシア人好み。私たちフィンランド人はもっと実用的なの」と、履いていたスェードのシンプルなブーツを指して笑った。
市内にある別のショッピングセンターも、2013年から売り場を大きく拡張。担当者は「ロシア国境にあるからこそ、小さな地方の街がこれだけ大きくなった。ロシアとは戦争もあったけど、いまは良いお客さんです」と話した。
イマトラやラッペーンランタは、フィンランドで最も大きいサイマー湖周囲に位置する、屈指のリゾート地だ。空気は良く、サウナやスパ、様々なアウトドアスポーツや、健康的な地元料理を楽しめ、もちろんロシア人にも人気だ。地区には素朴なものからぜいたくなものまで、別荘がたくさん建っており、その数は約7000軒とも言われる。ロシア人が買ったり借りたりしているものも数百軒は下回らないらしい。
サイマー湖地区の観光を推進する企業のユハ・ソルホネンは「ロシアはこれまでも将来も、常に鍵となる市場です」と言う。ただ、「中国やインドなどアジアからの観光客も急増している。一つの市場に頼ることなく、新しい市場を開拓しています」。取材で会ったこの日も、中国出張から帰国したばかり。また、この日はラッペーンランタとイタリア・ミラノの間に直行便が新たに就航。5月中旬には、ギリシャ・アテネとの直行便も運航が始まった。
冷戦時代は西側陣営にいながら、ロシアと緊密な関係を保ち、絶妙なバランス外交をとってきたフィンランド。サイマー湖地区には、第2次大戦で故郷をロシアに追われてきた人たちやその子孫が多いが、ロシア人に対する悪口はあまり聞こえない。フィンランドは教育水準が高く、メディアなどの情報に流されず、冷静かつ客観的に判断する力が、国民の多くに備わっていることも関係しているように感じた。
イマトラ市長のラミ・ハスは言う。「私たちは国境地域に位置していることを、一つの強みとしてとらえている。私たちにはどんな状況下でもロシアとつきあってきたという経験があります。私たちは様々な状況下で生きることに慣れています」(敬称略)