おそらく多くの日本人にとって、なかなか近い国とは言いがたいロシア。だが、ロシア極東の人々にとって、日本はとても身近な外国。小さな子どもから、アニメ好きのティーンエージャーまで、日本語を熱心に勉強している。
「むかし、むかし、おじいさんとおばあさんが……」
サハリン州ユジノサハリンスク市の幼稚園。民族衣装で着飾った女の子のナレーションで、園児の劇が始まった。ロシアの物語だが、せりふは何とすべて日本語。たどたどしくて、時々、先生のささやきに助けられながらではあったが、内容は十分に理解できた。
2歳から7歳まで200人余りが通う第43幼稚園。朝鮮系の子どもはいるが、日系はいないそうだ。なぜ、日本語を?
「日本は隣の国なので。言葉だけでなく、文化も教えています」と、園長のナターシャ・ザイツェワ。園に日本語を勉強した先生がいたことや、保護者の希望もあり、昨年から日本語を教え始めたという。「小さい子は覚えが早いし、大きくなってもっと勉強しようと思う子どももいると思います」
ロシアでは、「シュコーラ」「ギムナジウム」と呼ばれる学校で1~11年生まで学ぶが、ユジノサハリンスク市では5校で日本語が教えられている。
このうち、2000年から日本語を教えている東洋ギムナジウムは、朝鮮系の住民が多い地域にある。5年生から日本語、韓国語、中国語を選択できるが、やはり一番人気は韓国語で、約160人が選んでいる。だが、次いで人気の日本語も約120人が学んでいるそうだ。
日本の高校2年にあたる11年生のナースチャ・キムは、日本語を選んだ理由について「私のおばあさんは日本人だから、日本の文化は面白いです。お母さんと東京へ行ったことあります」と日本語で答えた。同級生のナターシャ・ポトノワは「日本に行きたいから日本語を勉強します。クラスメートと東京に行った。面白いのは……秋葉原」
教える先生は韓国系のエレナ・キム(37)。祖父母は日本本土に住んだこともあり、日本語も話していたという。父親に勧められ、日本語を始めたというキム。「父は日本語ができたら仕事に生かせると考えていました。私も日本の文化はきれいだと思っていました」。
難関大学に進学する生徒が多いという第1ギムナジウムも、日本語教育に熱心だ。英語は2年生から必修で、5年生になるとフランス語か日本語を選択する。最近は人気が逆転して、日本語をとる生徒の方が多くなったそうだ。経済的に豊かな家庭の子どもが多いようで、日本語を勉強している生徒の3割から半数は、卒業までに日本へ旅行するという。
アニメはもちろん、「サムライの時代に興味がある」「日本の映画が好き。アキラ・クロサワは一番」など、日本の文化に詳しい上級生もいた。
両校の授業とも印象的だったのは、先生がほとんど日本語で授業を進め、電子黒板を使ったり、体を動かしたり、ゲームをしたりと、覚えやすいよう様々な工夫をしていた。会話だけでなく、漢字の音読みと訓読みなど、読み書きや文法をしっかり教えていることにも驚いた。会話より、むしろ読み書きの方が得意な生徒も少なくないようだった。
現在はサハリン国立大で日本語学科長を務めるオリガ・シャシキナは、1990年代前半に、この大学で日本語を勉強した。
当時は資本主義の新しいロシアが生まれつつある時代で、実用的な外国語を学ぶのがブームになったという。ただ、当時は日本語学科に入学するのは難しく、シャシキナは「友だちに無理だと言われ、チャレンジしたくなった」というのが動機だった。「いまの若者にとって、日本に行くのは普通のこと。サハリンで日本語は特別なスキルではなく道具。英語と同じように、自分の専門を広げるために使う道具なんです」
一方で、大学で日本語を専攻しても、残念ながら必ずしも就職には結びつきにくいという現実もある。やはり日本との関わりが深いウラジオストクなどでは、将来を考えて、日本語より中国語を学ぶ学生も増えているようだ。
それでも、シャシキナは日本語を学ぶことには大きな意義があると考えている。「日本語の学習を通じて、ロシアとは異なる文化や考え方を知り、どうやったらわかり合えるか、『近くて遠い』民族同士はどうすれば一緒にうまく生きていけるか、考えられるのです」(敬称略)