傷ついた国民の心、いやした「クリミア」
ロシアのすべての沿岸都市の中でも、ろくでもない田舎町だ」。19世紀ロシアの偉大な詩人レールモントフが、こう書き残した町がある。モスクワから南に約1200キロ、黒海に突き出た小さな半島の突端にある人口1万あまりのタマニ。湿気を帯びた風が吹き荒れ、「1日のうちに四季がめぐる」と地元住民は空を仰ぐ。
ニワトリの鳴き声が響く寒村の狭い道にいま、巨大なトラックが土ぼこりを巻き上げてひっきりなしに行き交い、人口を上回る数の作業員が押し寄せている。対岸のクリミア半島のケルチとの間を結ぶ全長19キロの巨大な「クリミア橋」の建設が、町を一変させているのだ。
今年中に片側2車線の道路橋を、さらに来年中に並行して複線の鉄道橋を完成させる計画だ。橋のシンボルとなる高さ45メートルものアーチは、すでに姿を見せている。今は荒天ですぐ欠航するフェリーしかないが、橋ができれば食品を含むロシアのあらゆる物資がクリミアを支えることになる。
2014年3月のクリミア併合から4年。多くの国が国際法違反だとしてクリミアをロシア領とは認めない中での橋建設の狙いは、クリミア半島をウクライナから切り離して名実ともにロシアの一部にすること。まさに国家プロジェクトだ。
建設特需に沸くタマニでは、食料品や不動産の価格が2~3倍に跳ね上がっている。消防士のエフゲニー(49)は約1万1000ルーブル(約2万円)の月給だけでは暮らしていけず、運転手などのアルバイトに励む。「暮らしにくくなって不満」というが、巨万の国費を注ぎ込んだ橋の建設には納得している。「大事なのは精神的な価値だ。『クリミア復帰』はロシアにとって、とても重要なんだ」
だれも「併合」とは呼ばない
ロシアでは「クリミア併合」とは、誰も言わない。「復帰」や「編入」という言葉を使う。「もともとロシアのものだ」という意識からだ。
九州より小さなクリミア半島は1783年、オスマン帝国の影響圏を離れて帝政ロシア領になった。第2次大戦ではナチスドイツとの激戦地となり、ケルチはソ連の「英雄都市」の称号を得た。突然ウクライナの一部となったのは1954年。ウクライナで出世した経歴を持つソ連指導者フルシチョフの気まぐれな「贈り物」だった。当時は「ソ連の中での帰属替え」にすぎなかったが、ソ連が崩壊してウクライナが独立したことで、クリミアはロシアにとって「外国領」となった。
冒頭で、クリミア併合を「ロシアの三つの誇り」に数えたレビンソンは、ロシアの世論分析の専門家だ。「ソ連崩壊で、ロシア国民は精神的に深く傷ついた。その傷を癒やせるのは、ただ一つ。ロシアが諸外国よりも弱くないということを実感することだった」と話す。「ロシアがクリミアという小さな土地を取り戻したことに意味があるのではない。これ以上、外国に屈服しなくても良くなったことを確認できたことが、決定的だった」
そう考えると、むしろ国際社会からの批判は、ロシアの復活をかみ締める快感すら呼び起こすのかもしれない。実際、世論調査で併合を支持する国民は4年経った今も86%以上に上っている。
核戦力を振りかざして自国の主張を通そうとする。米国を振り回す北朝鮮には好意的に接する。こうしたロシアの振る舞いを理解する一つのカギを、クリミア併合は与えてくれる。