「安全 和諧 卓越」と記された碑。瀋陽鉄路陳列館の入り口手前に置かれている=2019年7月4日、瀋陽市、吉岡桂子撮影
あじあ号を牽引した蒸気機関車「パシナ」2両と筆者。左手の「757号機」はかつて大連に保存されていた=2019年7月4日、瀋陽市・瀋陽鉄路陳列館
中国、日本、米国、チェコ、旧ソ連など8カ国で製造された蒸気機関車が並んでいる。手前の2両が「あじあ号」を牽引した蒸気機関車「パシナ」=2019年7月4日、瀋陽市・瀋陽鉄路陳列館、吉岡桂子撮影
「あじあ号」を牽引した蒸気機関車「パシナ」757(勝利7型757号)。1934年川崎重工業製と紹介されている。最高時速130キロで設計され、旧満鉄がハルビン―大連を結んで運行していた。戦後も中国で1981年まで活用された=2019年7月4日、瀋陽市・瀋陽鉄路陳列館、吉岡桂子撮影
旧満鉄が長春―大連を運行した「あじあ号」を牽引していた蒸気機関車「パシナ」(勝利7型751号)。1934年旧満鉄大連工場製と紹介されている。戦後も中国で1983年まで活用された=2019年7月4日、瀋陽市・瀋陽鉄路陳列館、吉岡桂子
5月から一般公開が始まった瀋陽鉄路陳列館。門前に飾られていた「前進型」蒸気機関車は1956年、中国・大連の工場で製造された。「革命は人類の歴史を前進させる機関車」を意味するという=2019年7月4日、瀋陽市、吉岡桂子撮影
川崎造船(川崎重工業の前身)が1929年に製造と紹介されている。旧満鉄が遼寧省の炭鉱都市撫順と港湾都市大連の間を走らせていた。戦後も中国で1982年まで活用された=2019年7月4日、瀋陽市、吉岡桂子撮影
1927年に日本で製造と紹介されている。最高時速110キロで設計され、旧満州国内の幹線で旅客列車を牽引した。戦後も中国で1980年まで活用された=2019年7月4日、瀋陽市、吉岡桂子撮影
1937年に旧満鉄大連工場製造と紹介されている。急行「はと号」を牽引し、旧満州国の首都新京(現長春)と大連を結んで運行した。最高時速は120キロ。戦後も中国で1991年まで活用された=2019年7月4日、瀋陽市、吉岡桂子撮影
1945年に日本で製造されたと紹介されている。最高時速は80キロで設計され、旧満州国時代、貨物列車を牽引して走った。戦後も中国で1983年まで活用された=2019年7月4日、瀋陽市、吉岡桂子撮影
瀋陽鉄路陳列館には、上から展示車両を見渡せる場所もある。ただ、後部に限られる=2019年7月4日、瀋陽市、吉岡桂子撮影
スイカを売る屋台。「1斤(約600グラム)2元(30円強)だよ」。のぞいていると声をかけられた=2019年7月5日、遼寧省撫順市、吉岡桂子撮影
撫順市内を走っていた旅客電車は赤字続きで、2010年までに運行が停止された。真ん中にホームが残されていた=2019年7月5日、遼寧省撫順市、吉岡桂子撮影
旧満州時代の1936年に大連で製造されたブルドーザーの役割をする設備。2008年まで使われていた。撫順炭鉱博物館前に並べられていた=2019年7月5日、遼寧省撫順市、吉岡桂子撮影
「日本の三菱グループが製造」と紹介されている電気機関車。1933年から2000年まで炭鉱周辺で利用されたという。撫順炭鉱博物館前に設置されている=2019年7月5日、遼寧省撫順市、吉岡桂子撮影
「初心忘るべからず」。炭鉱博物館の前で、習近平政権のスローガンを掲げて唱和する人たち。後ろは、建国の英雄・毛沢東氏の銅像。1958年に撫順の西露天鉱を視察したという。習氏も2018年に訪れた=2019年7月5日、遼寧省撫順市、吉岡桂子撮影
大連市内を走る路面電車。20世紀に初めに日本の南満州鉄道(満鉄)の子会社が敷設した=2019年7月3日、遼寧省大連市、吉岡桂子撮影
路面電車の車内=2019年7月3日、遼寧省大連市、吉岡桂子撮影
大連市内を走る路面電車。運賃は1区間一律1元(約16円)と安く、庶民の足となっている=2019年7月3日、遼寧省大連市、吉岡桂子撮影
瀋陽鉄路陳列館の土産物店で買ったトランプ(5元=約80円)。満鉄あじあ号を牽引したパシナ751機も登場する=2019年7月4日、遼寧省瀋陽市、吉岡桂子撮影
撫順駅の旧駅舎。高架用の新しい駅舎が近くに設置され、展示場の看板が出ていたが、中はがらんとしていた=2019年7月5日、遼寧省撫順市、吉岡桂子撮影
撫順を走る鉄道は、石炭資源に目をつけたロシアが1904年に敷設し、旧満州時代に日本が拡大した。戦後は石炭運搬を担う「撫順電鉄」が運営している=2019年7月5日、遼寧省撫順市、吉岡桂子撮影
「石炭の都」撫順周辺では前漢の時代から露天掘りが始まったとされる。アジア最大の露天掘り炭鉱とされる「西露天鉱」の周囲には貨物列車が走っている=2019年7月5日、遼寧省撫順市、吉岡桂子撮影
1935年に旧満鉄の工場で製造された展望車。「あじあ号の最後尾に連結される場合が多かった」と紹介されている。戦後は中国でビジネスクラスとして2008年まで活用された=2019年7月4日、瀋陽市、吉岡桂子撮影
1950年代初めの朝鮮戦争で爆破された鉄橋の修復工事に取り組む中国の人々。中国東北部は北朝鮮と接しているだけに、朝鮮戦争にまつわる展示が中国の他の鉄道博物館よりも多い=2019年7月4日、瀋陽市、吉岡桂子撮影
周恩来首相(当時)が1952年、旧ソ連との共同管理が残っていた中国内の鉄道の権利がすべて中国に移されたことを告げるニュースの映像が流れていた。中国東北部の鉄道は、国境を接するロシアとの因縁も深い=2019年7月4日、瀋陽市、吉岡桂子撮影
中国の純国産をうたって開発された「中華の星」。試験走行では最高時速321.5㌔を記録した。2005年夏から約1年間のみ、瀋陽―河北省山海関を運行していた=2019年7月4日、瀋陽市、吉岡桂子撮影
中国、日本、米国、チェコ、旧ソ連など8カ国で製造された蒸気機関車が並んでいる。手前の2両が「あじあ号」を牽引した車両「パシナ」=2019年7月4日、瀋陽市、吉岡桂子撮影
撫順市内を走っていた電車。2010年までに旅客は運行停止になった。日本をルーツとする車両を含めて様々な種類が混在して走っていただけに、日本のファンには残念がられている=2005年7月、遼寧省撫順市、吉岡桂子撮影
「あじあ号」を牽引した蒸気機関車「パシナ」。いずれも1934年に製造され、車体は全長約26メートル、車輪は直径2メートルもある=2019年7月4日、瀋陽市、吉岡桂子