頂上決戦へ 赤い列車に潜む野心
大理石が敷きつめられた「パリ駅」のホームに、2両編成の赤い列車が滑り込んできた。スイスの登山列車のような顔立ち。金のラインがあしらわれた車両に入ると、LEDの柔らかなライトが高級感を醸し出している。堅めの木造りの椅子が、焦げ茶色の光沢を放つ。次の駅を告げる車内のアナウンスは、普通語(中国の共通語)、広東語、英語。緑の木立と南方らしい強い黄色のグラジオラスを車窓から眺めているうち、2分足らずで「イタリア・ベローナ駅」に着いた。まじめそうな若い技術者が、スマホの画面をスワイプしながら降りていく。
華為がオープンしたばかりの研究開発基地「松山湖キャンパス」は欧州の12都市の街並みを模して造られた。イギリス・オックスフォード、イタリア・ボローニャ、ドイツ・ハイデルベルク、フランス・ブルゴーニュ、チェコ・チェスキークルムロフ、ベルギー・ブリュージュ、スペイン・グラナダ……。赤レンガに石畳、白い壁にとんがりお屋根。広い湖にはハスの花も浮かぶ。約1万8千人が働く108棟を数えるオフィスは、テーマパークのお城にも見える。ずんずん走ると、建設中の華為の社員住宅が遠くに見えてくる。いずれ3万人が働く拠点となる計画だ。
「空気がきれいで静かな場所が研究開発に集中できる」。創業者で最高経営責任者(CEO)任正非氏(74)の意をうけて、松山湖周辺が選ばれた。深圳の本部から車で1時間ほど離れている。広さは120万平方メートルに及び、皇居とほぼ同じである。投資額は100億元(約1600億円)という。デザインを手がけたのは、日本の日建設計だ。任氏は「日本の優秀な設計者に任せた。素晴らしい出来だ」と満足そうである。世界約170カ国の拠点で18万人が働く同社の取引先などから、見学者がひっきりなしにやってくる。平日は1000人、週末には社員の家族らを含めて5千人を超えることもあるそうだ。まさに、華為パークである。
12の駅が配置され、全面開業すれば全長7.8キロ。最高時速は40キロで、約30分で結ぶ。各駅で停車中に高速充電する仕組みの電車である。製造したのは、世界一の鉄道車両メーカーで中国国有企業・中国中車(CRRC)の株州(湖南省)工場。もちろん、特注である。線路の幅は、中国国鉄と同じ1435ミリの本格派だ。運行は広州市の地下鉄会社に委託し、運転士は5人いる。制御・管理室も「パリ駅」そばに控える。
イノベーションを重視する情報通信産業は、自由な発想を生み出す空間に工夫を凝らす。華為とスマホの出荷数を競う米アップルは、カリフォルニア州クパティーノに約70万8千平方メートルの敷地を擁する本社を持つ。「宇宙船」とも呼ばれた丸い形をした近未来的なデザインの社屋が印象的だ。メンローパーク市のフェイスブックの新社屋「MPK21」は、ニューヨークのグッゲンハイム美術館も手がけた著名な建築家フランク・ゲーリーが設計した。樹木に覆われたような空間や屋上庭園がある。屋外にも人々が集えるオフィススペースが用意されている。
華為は、国際特許出願件数で2年連続で世界一を誇る。社員の半分近い8万人が技術系で、年間1兆円を超す研究開発費を投じる。その基地がテーマパーク風なのには、正直言うとちょっと驚いた。任氏を筆頭に、若い社員らも新しいオフィスを楽しんでいる様子なのだが、木陰からシンデレラやハリーポッターが顔を出しそうな雰囲気なのだ。ハウステンボスともいえる。
中国ハイテクをリードする企業の研究開発基地だけに当然、中国内でも話題を呼んだ。厳しい意見も飛んでいた。「民族企業の科学技術村としてアップグレードする貴重な機会を失った」(ネットメディア澎湃新聞)。「科学技術をリードする企業として模倣者のイメージを払拭しようとしているのに、欧州の都市を模倣するのはいただけない」(IT関連サイト天極網)。私は「世界の窓」を思い出した。華為の本部がある深圳市にあるテーマパークだ。エッフェル塔からピラミッド、アンコールワットまで、ありとあらゆる世界中の名所がミニチュアになっている。改革開放を加速した鄧小平氏の演説「南巡講話」と歩調をあわせて90年代前半に建設された。それに例えて皮肉る意見もあった。
もっとも、モーレツな仕事ぶりで知られる同社の社員の多くは、お城のようなオフィスであっても机の足元に折りたたみベッドやマットレスを用意している。昼食後には短い仮眠をとって午後の激務に臨むのだ。長い残業、45歳で「居場所」がある人材は限られると言われる厳しい競争、その評価としての高給……。こうした仕事に対する向き合い方は、どこにいても変わらない「華為文化」とも言えよう。
米国のトランプ大統領は華為を米中協議の取引材料にする。さらに、日欧など同盟国に対して、5Gの実用化で華為の排除を求める。欧州は、米国に即座に同調したオーストラリアやニュージーランドとは異なる姿勢をみせている。フランスのマクロン大統領は「華為や他の企業を排除することは考えていない。重要なのはフランスの安全保障と欧州の自治を守ることだ」と話す。ドイツのメルケル首相は「ドイツ政府の基準を満たす必要がある」と繰り返す。「欧州は米国と中国の争いに巻き込まれてはならない」(ドイツ産業連盟)とするドイツ企業の意を受けて、米国の基準とは距離を置く姿勢である。イギリスのメイ首相も辞意を表明する前、華為の一部採用を認める方針を明らかにしていた。中国への経済依存度が高いギリシャ、イタリア、スペインに加えて、ハンガリーなど東欧は、華為中心での敷設を固めている。
華為と米国との対立は今に始まったわけではない。米国の同業者シスコと競い始めた2000年代前半から、米国市場から締め出されてきた。国家の命脈となる通信産業は、安全保障と切り離せないからだ。このため、華為は、先進国市場への突破口を欧州に定めて関係を築いてきた。たとえば、サイバーセキュリティー担当の責任者は元イギリス政府の高官だ。欧州との関係は、部品のやりとりが中心だった日本とはまた異なるつながりがある。
ダウニング街10番地(イギリス首相官邸)でアフタヌーンティーを楽しんだこともあるCEOの任氏は言う。「どの国にも独自の利益がある。米国には自分についてくるように、すべての人に呼びかけるほど強大な力はない」。
欧風の街並みを眺めながら、赤い列車に揺られていると、欧中関係のみならず、米欧関係の複雑さが頭をよぎった。そういえば、アジアの米国との同盟国を見ると、韓国はすでに華為の基地局を使って5Gの展開を始めている。米国は5Gからの排除に加えて、華為への部品の輸出規制を始めた。欧州や韓国に対しても同調を求める「圧力」と「警告」を日増しに強めている。日本も他人事ではない。
携帯電話大手は、華為ブランドの最新スマホの発売延期や予約の停止を決めた。米国製のOS(オペレーティングシステム)を使い続けられるかどうか、不安だからだ。米国との板挟みとなる日本は政府、企業とも難しい立場である。「安全保障」も米国市場も重要である。いっぽうで、華為にとって日本製の部品がスマホの生産に必要であるのと同時に、日本の製造業にとって華為は、年間7000億円近い製品を買ってくれるお得意様でもある。日本企業の悩ましさは、国家の仕切りを離れて張りめぐらされたサプライチェーン(製品供給網)の複雑さを映し出す。
湖の水面にブラックスワンが見える。黒い白鳥。経済用語でいえば、リーマン・ショックのように、めったに起こらないけれど、いったん発生すれば極めて大きな影響を及ぼす事態を指す。「不測の事態に備えよ」という任氏の意をくんで、10年ほど前に原産地のオーストラリアからつがいを輸入した。その後、繁殖した子孫を新しい開発基地にも連れてきたそうだ。さらに、川のほとりには「灰色のサイ」の像まで見つけた。こちらも経済用語で、起こる確率は高いけれど、誰も何もできずに見ているリスクを指す。わかっちゃいるけど動けないでいるうちに、大事になる問題だ。経済成長の減速を受けて、習近平国家主席まで会議で「灰色のサイ」に言及し、引き締めを図っている。中国共産党機関紙人民日報にも取り上げられた、中国では有名なサイである。
いま、米国との覇権争いの最前線に立つ華為が直面するリスクは、ブラックスワンか。それとも灰色のサイか。
CEOの任正非氏に直接問いかけるチャンスがめぐってきた。
5月18日午後2時半、深圳の華為本部。任氏が日本メディアや研究者の一部と会見した。「目黒雅叙園のカフェが大好きな妻の提案で似た感じに設計した」という喫茶室が会場だった。米国が輸出規制を発表した直後にぶつかった会見の詳細は、ぜひこちらを読んでほしい。この日、細いテーブルをはさんで任氏の真ん前に座ることになった私は、2時間近い会見が終わったあと、スマホの写真を見せた。湖に浮かんでいたブラックスワンである。任氏は思いがけないことを口にした。
「この鳥は好きじゃないな。湖にぷかぷか浮かんでエサだけ食べている。私とは関係ないよ。ははは」。サイの質問どころではなくなってしまった……。
娘でもある孟晩舟副会長兼最高財務責任者(CFO)がカナダで逮捕された後、一気に有名になったブラックスワンだったが、任氏の意向でなければいったい、誰が何の意図で連れてきたのだろうか。確かに、創業者の言葉として物語や伝説がうまれることはめずらしくない。忖度であったり、誰かの考えの隠れ蓑だったりする。ブラックスワンは、そちら側の教訓なのかもしれない。
松山湖の研究開発基地のそばには、スマホの工場がある。三菱電機やFUJIなど日本メーカーの設備も目立つ。10年ごろからスマホ事業に参入した華為は18年、販売台数で米アップルを抜いて韓国サムスンにつぐ世界2位になった。5Gにスマホ――。中国という国家を背景に持つ以上、情報通信産業で頂上をうかがう動きを、米国はほうっておかない。それは、華為も予想していた。「我々が山を登り、山頂で米国にいずれ出合えば、矛盾や激しい衝突が起こり、負けてしまう。ならば、米国の帽子をかぶって、中国人が仕事をすれば、米国との鋭い衝突を避けられる」(任氏)と考えて、華為を米モトローラに100億ドルで売却する交渉をしたこともある。2003年暮れのことだ。だが、土壇場で破談に。以来、15年ほど前から数千人のチームを作って「米国と激烈な衝突」に備えてきたという。基幹部品の自社生産や調達の多様化をひそかに進めた。スペアタイヤ計画と呼ばれる。
任氏の会見後、一枚の紙が配られた。ぼろぼろになりながら飛ぶ軍用機の姿が描かれている。第2次世界大戦中に敵の弾を浴びても安全に帰還した旧ソ連製のイリューシン機である。「傷だらけにならなければ、しっかりした肌と厚みがある肉もない。英雄は昔から困難によって磨かれる」。赤字でそう、添えてあった。激しさを増す米国からの締め付けをうける自らの姿を重ねているようだ。任氏が若いころ人民解放軍にいたことで、中国軍との関係を取りざたされることを嫌ってきた同社にしては、めずらしいアピールとも言える。
「華為製品を使うからと言って愛国ではない。使わないから愛国でないわけでもない。華為はたんなる商品だ」。中国メディア向け会見では民族主義を戒め、「私の家族はアップルが好きだから使っている。華為を使ってない」と言ってのける。そんな任氏の理性と機知に富んだ会見とは裏腹に強い危機意識がにじむイリューシンである。
世界経済のみならず、国際秩序をも揺さぶる頂上決戦がやってきた。「重要な仕事なのに日が当たらない」とぼやいていたと言う「スペアタイヤ」チームのメンバーも、この赤い列車に乗って研究室へと向かっているのだろうか。