シリコンバレー発のIT企業家を続々輩出してきた米スタンフォード大学。2006年秋、芝生に寝転んで空を見上げながら、劉自鴻(リウ・ツーホン、36)は博士論文のテーマをあれこれ考えていた。
「ずっと求め続けられるのは、人の感覚に心地よいものだろう」
人間が最も情報を得る感覚は視覚だ。ディスプレーを見やすくするには大きくさえすればよい。だが、大きければ大きいほど、持ち運びにくくなって敬遠されてしまう。
「紙のように巻けたらクールなのになあ」
劉が創業した柔宇科技(ロヨル)は、大手スマートフォンメーカーのサムスンやファーウェイでさえまだ発売できていない、画面が折りたためるスマホを去年の秋に発売した。0・01ミリと薄く、曲げられるディスプレーがロヨルの核心技術だ。2012年に創業した深圳ベンチャーによる偉業は、芝生で空を見ながらひらめいた研究が原点だった。
劉は中国南部の江西省生まれ。子どもの頃、「なぜ」を繰り返して煙たがられたという、まるで発明王エジソンのような子どもだった。ビリヤードというしゃれた趣味を持つ。
家庭は自由な気風だった。「どこで何を学ぶべきか、何をするにも自分で選ばなければならなかった。それは、その後の人生の選択に役立った」と振り返る。つきぬ万物への興味は、自然の神秘を簡潔に表せる数学や物理に向かっていった。
中国最高峰と言われる清華大学に入学し、電子工学を学んだ。この学科を選んだのは「当時もっとも人気があり、(中国の大学入学試験)高考で最も挑戦しがいがあったから」だ。清華はとりわけ理系に定評がある。中国のシリコンバレーと呼ばれる北京・中関村の中核を成すイノベーションあふれる大学だが、校風は意外にも「行勝于言」。「言うよりも行うことが重要」という意味だ。劉は「どんなに独創的な考え方でも、最後は実現しなければ意味は無い」という意味だと考えている。
スタンフォードへの進学を決めた理由は、「異文化を知ろう」との思いからだった。「シリコンバレーの中心で、イノベーションにとって重要な機関。聞き慣れたIT企業を起業した人は、みなスタンフォードで学んだり、研究したりしたことがある。留学は自分にとってもチャンスだと思った」と言う。
だが、校風は清華とはあまりにも違った。「学生が突拍子もないアイデアを持ってきたとき、どう対応するか。『そんなのできっこないさ』『頭がおかしい』と言うのではなく、『おもしろいね』と言う。その一言に秘められたプラスのエネルギーは大きいと思った。第一反応で『おもしろいね』と言うのは、非常に大切だと感じた」と劉は振り返る。
そこで生きたのが子どもの頃からの「なぜ」を問うくせだった。教師から教わった物を吸収するだけでは、少し趣が違う問題を解こうとしても応用が利かない。スタンフォードの教員は、答えを教えるのではなく、答えに至る過程を教えていた。「なぜそうなるかを理解することが大切。子どもの頃に必要なのは、好奇心を養うことだ」と実感できた。
だが、「曲がるディスプレーを研究したい」という突拍子もない提案を受けた指導教官はさすがに困った様子だった。「研究したことはないので、どう指導していいかわからない」と弱気な態度を見せた。これまでの学生は皆、指導教官のウェブサイトに掲載された課題を選び、研究していただけだったからだ。
劉はそれに対して言った。「偉大な革新とは、誰もが研究したことのないものを言うのです。そうでなければ、革新とは言えません」。指導教官はその言葉に納得し、「では、提案を書くように」と言った。そして、知り合いの知り合いで、その道に詳しい研究者を紹介してくれた。
曲がるディスプレーの研究で2009年に博士号をとった劉。入学3年足らずでの博士号取得は、快挙と言われた。その後、いったんIBMに入るが、すぐに自らの研究を産業化すべく、2012年に起業した。
会社は電子製品のサプライチェーンが整ったものづくりの都・深圳に置いた。「アイデアをすぐ製品にすることができるし、世界各地から人材が集まる」と劉。留学していたシリコンバレー、そして投資を見込んで深圳に隣接する金融都市・香港にも会社を置いた。
社名の「柔宇」は「柔らかな宇宙」という意味だ。「世界は柔らかで曲線を伴ったものだ。銀河系は旋回するし、太極のように神秘的でやわらかなもの。人体もそうでしょう。でも、我々が生活の中で見るものは、ほとんどが角張ったものだ」。そう言う劉の独特な考え方に基づき、「『曲がる』技術を使って、世界をもっと感じて欲しい」との思いを込めた。
こうして「柔」という字が決まった。「柔らかな技術を広めたい」と思っていた劉だが、ではどこに広めようというのか?
壮大なことに「世界」を超えて「宇宙」とした。「柔」の後ろに「宇宙」の「宇」を配することにした。
英語名は中国語名と音が近い「ROYOLE(ロヨル)」だ。これには野心が込められている。「米IT大手のGoogle(グーグル)もOracle(オラクル)も『le』で終わる。我々も世界企業になりたいと思って」
アイデアを大切にするスタンフォードと、それを実現することを重視する清華。二つの大学の伝統が身にしみた劉は「二つの大学が違った側面から、ポジティブな影響を与えた」と話す。独特な発想からスタンフォードで進めた研究は研究段階だった。当然、製品の生産を実現するという清華の伝統「行勝于言」が、本当の腕の見せどころになった。
最初は誰も真に受けてくれなかった。「本当にそんなものはできるのか」「できるとしても時間がかかるだろう」「そもそも、そんなベンチャーにできる代物ではないだろう」と。
そうした疑念を覆すための製品化は苦難に満ちていた。数カ月かけて進めた開発が、最後の一歩のところでうまくいかない。徹夜をして調べてみたところ、完全な失敗だったこともあった。何度もそうした経験を経て、2014年にようやく製品化にこぎ着けた。
それでも問題は残っていた。「曲がるディスプレーはわかるが、一体何に使えるのだ」という疑問だ。「この業界は新しすぎる。多くの取引先にとって扱ったことの無いもので、どういった価値があるのかがわかっていなかった」と劉。そこでロヨルは自らの最終製品ブランドを持つことにし、「曲がるということだどういう意味を持つのか、明らかにした」。
そして、2018年秋に世に問うたのが、「FlexPai(フレキシパイ)」と言う名の画面が曲がるスマートフォンだった。
折りたためばスマホとして、広げればタブレットとして使えるフレキシパイは中国国内で発表。2019年1月に米国で開かれたCESで展示したところ、手にしたいと思う見学者が長い列をなした。サムスン電子とファーウェイが画面を曲げられるスマホを発表したのは、今年春になってから。しかも、2社ともまだ発売にこぎ着けられておらず、曲がるディスプレーのスマホはロヨルが独走状態だ。
曲がるディスプレーを大量生産する工場設備はすでに深圳に整備済みで、フレキシパイは中国国外での発売も目指す。日本からは現在、通販を通じて開発者版を購入できるが、将来的には日本国内で通常版を販売しようとしている。
ディスプレーが曲がるということは、これからの産業にどんな可能性をもたらすのか。
そう尋ねたところ、劉は「軽薄柔艶」という言葉を持ち出してきた。ガラスではなく薄膜を使うので、「軽」くて「薄」い。例えば、飛行機のモニターを全てこの薄膜ディスプレーに変えれば、少しでも機体を軽くしようとし、少しでも座席と座席の間の空間を節約したい航空会社に有利になるという。曲げられる「柔」らかさがあるため、平らでないものの上に設置することも可能だ。画面の解像度も高く、「艶」やかさがある。そのため、劉は「あらゆるものの設計を変える可能性がある」と見ている。
日本も中国もニュースはスマホで読むようになっている。紙の新聞の販売は減少している。そんなご時世なのだから、いらないと言われるかもしれない。それでもあえて聞かせてもらった。「新聞のレイアウトをそのまま受信する機能を持つ、新聞紙大の曲がるディスプレーはできるのか」と。
劉はこう答えてくれた。「ディスプレーはすでに大規模生産を始められている。だから何でもつくることは可能です。すでにスマホのような複雑なものが発売できているのだから、他の商品ならばもっと早く作れる。私たちがソリューションを提案します」
そうか。何だってできるか。展示場に目をやると、胸の部分がディスプレーになっているTシャツや、側面がディスプレーの帽子が飾られていた。