■体験談や主観に頼らない教育を
海外では自治体や教育委員会などが教育政策の効果をさまざまなデータをもとに科学的に検証して、その結果を反映させる手法が浸透している国が増えている。エビデンス・ベースト・ポリシー(evidenced based policy)と言われる。一方、日本では「教育は数字では測れない」といった反応が多く、教育データそのものも乏しい。
危機感を覚えた中室さんは2010年に帰国すると、教育経済学の必要性を訴え、教鞭をとる慶応大学でも自治体などと協力して、教育政策の効果などを測定する試みを続けている。
日本の教育関係の本は、「東大合格」などの「成功」体験に基づくものがベストセラーになる傾向があるが、2015年6月に出版された中室さんの著書「『学力』の経済学」は30万部を超える異例の売れ行きとなった。中室さんは著書で、「どこかの誰かの成功体験や主観に基づく逸話ではなく、科学的根拠に基づく教育を」と訴える。昨年12月には、漫画版「まんがでわかる『学力』の経済学」も出版。「子どもを“ご褒美”で釣ってはいけないのか?」「“少人数学級”は効果があるのか?」「“いい先生”とはどんな先生なのか?」。中室さんは、さまざまな問いかけをしながら、具体的なデータをあげつつ、問いに答えている。
中室さんは、これからの子どもに必要な能力として、「非認知能力」をあげている。ノーベル経済学賞と受賞したシカゴ大学のジェームズ・ヘックマン教授らの著書で知られるようになった「非認知能力」は、「自制心」「やり抜く力」などが含まれる。IQや学力テストで計測される「認知能力」=学力とはまた別の能力として、日本でも注目されはじめている。
――中室さんは著書のなかで、「非認知能力」を「生きる力」のようなものとしています。どういうことでしょうか。
経済学では、個人差のある心理的な特徴のことを「非認知能力」と呼びますが、心理学では古くから研究対象であった「社会的情緒的能力」のことです。
教育学ではその一部を「21世紀型スキル」と呼ぶようですし、文部科学省は「生きる力」(※問題解決能力や自制心、協調性など全人的な資質や能力を指す)と呼んできましたので、非認知能力と言う考え方は決して新しいものではありません。ただ、経済学に限って言えば、行動経済学や実験経済学の発展とともに、経済学に心理学の知見を取り入れた分野融合的な研究手法が用いられるようになり、「非認知能力」なる言葉が経済学者の間で急速に受け入れられるようになってきたというのが私の理解です。
――日本でも「非認知能力」に関する著書などが増え、徐々に関心が高まっているようです。ヘックマン教授のノーベル経済学賞で注目されるようになりましたが、世界的に研究が進んでいるのですか。
ヘックマン教授らが実施して有名になった「ペリー幼稚園プログラム」(アメリカミシガン州の幼稚園で1960年代にスタートした低所得のアフリカ系アメリカ人の就学前教育児童を対象にした教育プログラム)では、子どもの将来の成功に影響しているとされた能力は、IQテストや学力テストで計測されるような認知能力というよりは、意欲や自制心などの非認知能力であったことが明らかになっています。
最近の研究にも同様の結果を示すものは多く、例えば1970年代初期に生まれた子供を30年以上追跡した調査の結果によれば、幼少期に自制心が高いと、32歳時点で健康や経済的状況がよく、犯罪にかかわる確率が低いことが示されています。日本のデータを用いた研究としては、行動経済学者でもある大阪大学の池田新介教授の研究が有名です。
池田教授の研究によれば、子供のころに夏休みの宿題を終わりのほうにやった人ほど、喫煙、ギャンブル、飲酒の習慣があり、借金もあって、太っている確率が高いことを示しています。つまり、宿題を先送りするような自制心のない子供は、大人になってからもさまざまなことを先送りし、禁煙や貯蓄やダイエットができないというわけです。池田先生の一連の研究をまとめた本は「自滅する選択――先延ばしで後悔しないための新しい経済学」というタイトルで、多くの人が経験的によく理解できる内容を経済学的に説明した良書です。
――非認知能力のなかで、「自制心」が一番重要なのでしょうか。
非認知能力には様々なものがあり、自制心は長期的な成果に影響するといわれているものの1つです。これ以外にも近年、特に心理学の分野で注目を集めているのが、「GRIT(グリット)」とも呼ばれる「やり抜く力」です。(ペンシルバニア大学の心理学者、ダックワース教授が「非常に遠い先にあるゴールに向けて、興味を失わず、努力し続けることができる気質」と定義)。「自制心」も「やり抜く力」も、ともに可鍛性(=鍛えて伸ばせる)があることを示す研究があります。またダックワース教授自身の研究に、「やりぬく力」とIQの間には相関がないことを示したものもあります。私たちはよく「勉強だけできてもダメだ」と言ったりしますが、では勉強ができるという以外にどういう能力が必要なのか、ということにはっきりと答える事は出来ていなかったのではないかと思います。ダックワース教授の「やり抜く力」に関する一連の研究はその答えのひとつなのではないかと私には思えます。
――アメリカでは現在も、「非認知能力」について、さまざまな研究が進んでいるようですね。
シカゴ大学のジョン・リスト教授らのグループの研究がそれにあたります。一部は既に、リスト教授らの著書である「その問題、経済学で解決できます」などでも紹介されていますが、シカゴ郊外の貧困層が多い地域に、ヘッジファンドから10億円もの資金援助を受けて、実験用の幼稚園を新設したのです。この幼稚園は、読み書き、そろばん、歌に重点を置いた認知能力を高めるグループ、「心の道具箱」と呼ばれるカリキュラムを通じて非認知能力を高めるグループなどに分けて、その後も追跡調査をしています。この研究は2000年に始まり、当時、実験の対象になった子どもたちはまだ成人後間もない若者ですが、現時点では、幼少期に非認知能力を高めるグループのパフォーマンスが高いことがわかっています。このような大学の研究者が行う大規模かつ長期的な実験を支える民間企業があるということもアメリカらしいところです。
実は、日本でも教育支援をしたいという企業や経営者は多く、私も相談を受けることがあります。ただ、日本の企業や経営者が行う教育支援は、アメリカのそれとは異なっていると感じます。
誤解を恐れずに言えば、日本の企業や経営者の教育支援は、「過去に自分が受けた教育の再現」が多い印象があります。特定のスポーツや芸術活動、勉強法などを推奨するなどして、自分の成功体験を、次世代の子供にも経験してほしいというわけです。これを間違っているというつもりはありませんが、現在、エアコンやパソコンなどが不足している公立学校はたくさんありますし、食堂や宅食などを貧困世帯の子供向けに提供しているNPO法人などもあります。私としては、エビデンスなき自己流の教育で自己実現をするのではなく、現場で苦労している教育のプロフェッショナルに対する支援をお願いしたいと思っています。
アメリカには、”Evidence Action”(エビデンスを行動に)という非営利団体があります。これは、過去の研究の中で確実に効果があると示された貧困削減の取り組みを、民間企業の支援や寄附によって社会に広めていこう、という動きを主導する非営利組織です。日本でも参考になる取り組みだと思います。
――そもそも、日本は教育予算が少ないという不満をよく耳にします。予算配分についてはどう考えますか。
地方自治体が策定する「教育振興基本計画」というものがあります。数年間の教育政策の指針のようなもので、私も時々、自治体から助言を求められる事があります。これには、学力、人権、いじめの問題、家庭の教育など、ありとあらゆることが網羅的に書かれている上、文学的な表現にとどまり具体性がないことも多いのです。これを見ていると、厳しい言い方になってしまいますが、教育政策に携わる人たちには、「資源配分」や「優先順位」が重要だという共通認識がないのではないかとさえ思えるのです。私たちのお金や時間は限られていますから、全ては実行できません。逆に全てを実行しようとすると、結局何も成果がでないということになりかねません。そもそも予算が少ないという問題もありますが、限られた予算を何に使えば有効なのかと言うこともしっかり議論すべきだと思います。
近年、経済学者を中心にして推進している「エビデンスに基づく政策形成」は、厳しい財政状況を背景に、予算切りの方便とみなされがちですが、これは誤った見方です。「べき論」や「経験談」がもとになっていては、少子化が進む中、教育に予算をつけることは難しくなってきています。少子高齢化の進行によって生産年齢人口が減少し、教員だけでなく、看護師も介護士も保育士も足りていないのです。私自身は、国全体の資源をもっと優先的に教育に振り向けるべきだという考えです。だからこそ、きちんと根拠を示しながら、子どものいない納税者をもしっかりと説得していく必要があります。エビデンスはまさにそのために必要となるのです。
――日本では、貧困世帯や教育格差の問題もクローズアップされるようになっています。「子ども手当て」や「教育の無償化」などの政策は格差解消に役立つのでしょうか?
子供の貧困問題に対処するために、「子供手当て」や「教育の無償化」のような、子供がいる世帯への所得再分配を求める声が大きいことはよく理解できます。しかし、こうした(親への)再分配が、子供の長期的な成果を改善させる効果があるかどうかについては未だ研究上の定見はありません。私はそれよりも、質の高い幼児教育を提供することで、子供の能力を高めることに投資したほうが良いのではないかと考えています。前出のヘックマン教授も、親への単純な再分配よりも、質の高い教育投資による「事前分配」のほうが、公平で、かつ経済的な効率がよいと主張しています。私もこの考え方に同意します。
――貧困世帯への経済的支援が、子どもの教育にプラスにならないのですか。
アメリカで、リーマンショックによって失業した700万人の父親を対象にした研究があります。この研究によれば、父親の失業による所得の減少が家計に与える影響は大きいものの、それは子供の学力、進学、初期のキャリアには影響を及ぼさなかったことが示されているのです。この研究の含意に基づけば、親の所得に対する支援をしたとしても、子供の将来の成果に大きな影響を与えないかもしれないということになります。
また、教育格差がいつから始まるか、という視点も重要だと思います。日本財団の調査によると、保護者の経済力の違いによる子供の学力や非認知能力の格差は小学校低学年で既に始まっていることが示されています。もしこの格差を縮小しようと考えるのであれば、それは子供の学齢がなるべく小さいうちに行うべきだということになるでしょう。
――日本の教育政策が「エビデンス・ベースト」になるうえでの課題は何だと思いますか。
教育関係者には、「エビデンスに基づく政策形成」にあまりよい印象を持たない人も少なくないでしょう。「子供の教育に重要なことはデータではない」と言われることもあります。もちろん、子供の能力や教育成果には数値化できないものも多く、データで全てを把握することができないことは言うまでもありません。ただ、医師が、患者の話だけでなく、血液検査やCTなどをもとに病気を診断するように、判断の材料となる情報は多いほうがよいと私は考えます。教育に限らず、日本はデータを軽視しすぎる傾向があり、経験や直感と同様に、もっとデータから得られる客観的な事実も判断に活かそうとするバランス感覚があっても良いのではないでしょうか。
教育全体の話に戻すと、私は平等な資源配分に固執することはやめたほうがいいと思っています。例えば、埼玉県のデータをみると、約1000校の公立小・中学校のうち、もっとも就学援助率が高い学校では51.4%、およそ2人に1人が就学援助を受けています。逆に援助率の一番低い学校だと0.3%。このように、学校によって家庭の経済環境の異なる子供の割合に大きな差があります。こういう状況下で同じように資源配分をしたら格差は拡大していくだけです。「全ての学校で40人学級」という平等に重きを置いた資源配分ではなく、学校の実態やニーズに応じた資源配分にすることが重要ではないでしょうか。「格差を縮める」べき公教育が、逆に格差を拡大する装置にならないよう、注意していかなければならないと思います。